第204話 歪んだ愛情の果て
東京都内のタワーマンションの一室。遠藤夫妻が暮らしている部屋で、夜の犯行は進行していた。
食事中に苦しみ始め、女社長である春香が泡を吹いて倒れた。夫である圭介が、食事に混ぜた毒の影響だ。
不倫をしていた春香に、責められる点はあった。ストレスを発散する目的で、別の男性と肉体関係を持った。
それ自体は法的に問題のある行為であり、償いは必要だっただろう。だがこうして、毒殺されていい理由にはならない。
「君が悪いんだよ……」
圭介は笑顔を浮かべて、倒れた春香を見ている。妻を毒殺しておいて、笑っていられる圭介は異常だ。
普段と何も変わらない様子で、圭介は春香の首元に手を伸ばす。脈拍を確認しているのだろう。暫くして、圭介は満足そうに手を離す。
春香の脈がもうない事を確認した圭介は、一旦リビングを出ていく。春香の死体をこのままには、しておけないからだ。
用意しておいた大きめのキャリーケースを、倉庫代わりにしている部屋から、リビングに持ち込む。
旅行に行く為、本来は買ったものだった。来月の結婚記念日に、2人で旅行に行く計画を立てていた。
春香は全く疑っておらず、圭介の言い分を信じていた。ホテルなどの予約は、全て夫がやってくれていると思っていた。
実際には予約などされておらず、航空券もとっていない。だってその頃には、春香は生きていないのだから。
半年掛けて行われた、春香の殺害計画は終わった。予定通り春香は毒に倒れ、物言わぬ死体となっている。
後は死体の処理をして、自分は何も知らないフリを続けるだけだ。妻が居なくなったと、偽りの捜索願を出すだけ。
隙を見て、圭介は不倫の相手も殺害するつもりでいる。だが暫くはまだ、行動に移すつもりはない。
このような事件は、案外普通に起きている。現実の愛憎劇は、昼ドラよりも残酷な結果が待っている。
創作の中で描かれるよりも、恐ろしい行動を人間は取る。例えば、浮気した相手の指を切ると言った奇行などだ。
二度と指輪を嵌められないように、薬指を切り落としたのだ。全世界に目を向ければ、そう言った事件は沢山ある。
たった一度の不倫で、そう思う人は多いだろう。何度もやったのならともかく、一度目ぐらいは許してやれと。
だがその1回目で、暴力を振るったり、離婚を決める人だっている。許容できる範囲は、全員が同じではない。
「これで誰も、春香に触れられない」
キャリーケースに春香の遺体を収めて、圭介は玄関へ向かう。この後の手順は、予め決めている。
エレベーターへ向かう圭介は、住人とすれ違う際に笑顔で挨拶をする。とてもではないが、死体を運んでいるようには見えない。
普段通りの圭介にしか見えず、近隣の住民は不審にも思わず、一言二言交わす。そのままエレベーターに乗り込み、地下の駐車場へ降りる。
春香の名義で購入した、高級な乗用車のトランクにケースを積む。その姿に、怪しさは一切感じられない。
圭介はもう、人としておかしくなっている。妻の遺体を運んでいるという、負い目のようなものはないのだ。
「もう少しだけ、待っていてね」
運転席に乗り込んで、圭介は車を発進させる。地下を出て、国道へ出る。日付が変わる前でも、都内は人影が多い。
平日の深夜ながら、飲み歩いていた若者達が歩いている。キャバ嬢らしき女性を連れた、中年の男性が居る。
いつもの東京を、圭介は非常に丁寧な運転で走っていく。表情や動作に、焦りは全く出ていない。
普通は人を殺せば、動揺してしまうもの。通常は取らないような行動を、何かしらやってしまう。だが圭介はそうじゃない。
彼にとって、これは救いなのだ。春香が別の男と、これ以上関係を持たずに済むという救済。そう心から思っている。
ただ法的に許されないのも理解しているので、真実を隠すつもりでいる。彼が向かう先は、奥多摩の森だ。
八王子を抜けて、暗い林道を走っていく。時間的に対向車は少なく、周囲を走っている車は殆どない。
どんどん車は、山梨の県境へと向かって行く。元々圭介が、決めていた場所へ到着する。車を停めて、トランクを開ける。
まずはキャリーケースを車外へ下ろし、続けて積んでおいた長靴と軍手を出す。更にトランクから、大きなスコップとヘッドライトを手に取った。
もし誰かが見ていれば、もしかして……と疑うかもしれない。だが今はどこにも、人の目なんてない。
「さあ、これから春香の墓を作ろうね」
トランクの中に入れた死体へ、圭介は語りかけている。聞こえる筈もないのだが、どういうつもりなのか。
おかしくなってしまった人間は、常人に理解出来ない言動を取る。誰かに監視されていると、思い込んでしまうなど。
精神に異常を来たした場合や、何らかの疾患を抱えている場合に起こりうる。圭介の場合は、恐らく前者だろう。
愛していた相手が、不貞行為を働いていた。その事実が、彼の心を悪い方に刺激した。ある意味では、春香の目算が甘かった。
一度の不倫で圭介がこうなるとは、思ってもみなかっただろう。彼があまりに普段通りで、違和感すら覚えないまま死んでしまった。
春香の入ったキャリーケースを、圭介は運んでいく。彼は元々スポーツマンで、筋力はかなりある方だ。
体重の軽い春香を、持ち上げるぐらい出来てしまう。キャスターの跡を地面に残す事なく、圭介は進んでいく。
頭部につけたヘッドライトが、暗い森の中を照らしている。それ以外には、月と星の光しかない。日付も変わり、周囲はかなり暗い。
かなり奥まった位置まで進み、圭介はキャリーケースを寝かせた。元々位置は事前に決めてあり、木の幹に印を入れておいたのだ。
どす黒い狂気の中に、妙に冷静な面と計画性を感じさせる。本来の有能さを、不味い方へ発揮していた。
「ここが君の墓だよ、春香」
遺体を取り出し、圭介は地面を掘り始める。予め決めておいた木の根元に、春香を埋めるつもりだったのだ。
幹の模様が、春香の顔と似ていたから。瓜二つではないが、どことなく似ている。シミが人の顔に見えるなど、そう言った錯覚はよくある話だ。
人の目というものは、様々な捉え方をする。だまし絵や遠近法など、豊かな想像力が発揮される。
「ん?」
地面を掘っていた圭介は、視線を感じて手を止める。誰かに見られているような気がした。だが、周囲に誰もいない。
念のために圭介は、周囲を確認しておく。数分掛けて探してみたが、誰も見つけられなかった。気のせいかと思い、作業に戻る圭介。
しかし再び、誰かの視線を感じた。今度は気のせいではないと、視線の正体を探す圭介。そして、彼の視界に入る。
春香の顔と似ていた模様が、よりくっきりとしている。浮かび上がったと表現する方が、正しいかもしれない。
先程よりも、人の顔に見える。圭介の錯覚ではなく、実際に人の顔がハッキリしていく。徐々に春香の顔とは、違う顔になっていく。
「え? どういう……事だ?」
今や春香と似ているとは、言えないぐらい別人の顔。見間違いではなく、全く別の女性と断言出来る顔だ。
圭介が困惑していると、目の部分が動く。明らかに異常事態だが、圭介は動けなかった。何故なら、もう手遅れだからだ。
「あ……」
圭介の腹に、木の根が刺さっている。地面に寝かせてあった、春香の死体も同様だ。彼女の胸に、木の根が刺さっていた。
刺された事に気づいた圭介が、痛みを感じ始めた時、木の根が脈動を始める。ドクドクと血管のように、木の根が蠢く。
次の瞬間には、圭介と春香の体が萎んでいく。体の中身を、木の根から吸われているみたいに。僅か数秒で、2人の姿は消えてしまった。
女性の顔に見える模様が、ボコボコと動く。1人分だった顔の模様が、3人分に増えた。その模様は、圭介と春香に似ていた。
ヒトコワと見せかけた人面樹オチでした。
本来は中国の妖木ですから、外来種ですね。まあ草子居るしエエやろの精神。




