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卑弥呼伝 〜最強の精霊使いが女王になるまでの物語〜  作者: 山本 正彦
第一部 倭国大乱編
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第九話 ミツハの疑問

 かつて我が国は国名を『ワ』と称した。当時日本には文字というものがなく、音だけが意味を持つ。中国王朝は当て字でそれを『倭国』と記録した。

 山がちなワ国の国土では多くの民を養えるほどの水田を拓ける土地はそう多くはない。しかも、当時の先進国である中国の王朝との交易の有利さを考えると、最新の武器を備えた強大な国はやはり今でいう九州地方に集中してくる。

 当時の九州の耕作地で最大のものは千歳川(現在の筑後川)流域のヤマト国。次がヤヒコの故郷である阿蘇山のふもとに広がる肥沃な大地。ただ、ここは力関係が複雑で、三カ国が分割して支配している。そして、その次に広大なのが、さらに南に存在するクナ盆地一帯である。その盆地を貫通しての流れるクナ川の水が豊かな水田を育んでいる。川の名前をとって、その辺り一帯を領土とする王国をクナ国と称した。


 大きな旨味のある大陸との交易を独占するために九州の各地に割拠した諸国がこれまで長い戦いを繰り広げてきた。いわゆる『倭国大乱』と呼ばれる四十年に渡る戦乱の世は北のヤマト国連合と、このクナ国を中心としたクナ国連合の争いに収束しつつある。クナ国を治める王、イサオシは四十九歳。奇しくもヤマト国の王、イザナギと同い年である。


 イサオシは大きな獲物を従者たちに担がせてクナ国へ帰ろうとしている。その後方には第一王子のヒミヒコが他の者と談笑しながら歩いている。不思議と彼の周りには人の輪が自然とできる。もうひとつの太陽が地上に降り立ったような明るい雰囲気で周りを包み込んでしまうのだ。


 ミツハは大勢の主従の最後方をトボトボと歩いていた。背中には彼女の小さな体には不釣り合いなほど大きな弓を背負い、胸には一羽の白ウサギを抱きかかえている。その横を大柄な若者が一人、一緒に歩きながらミツハにじゃれついている。


「よお、なんで落ち込んでるんだ? ヒミヒコ様から褒めてもらえたんだろ?」

「うるさい!」

「怒ることねぇだろ。なぁ、ちょっとでいいから、その弓を触らせてくれよ」

「ダメ! 絶対ダメ! あんたなんかが触っていいものじゃないの!」


 彼はミツハと変わらない年齢に見える。質素な麻の布を身にまとった一般兵だ。動きやすいその格好から言って、彼は勢子をしていたのだろう。だから、森の中で獣を追い立てていた彼にはミツハとヒミヒコの間に起こった出来事を知る由もなかった。


「巫術師のおまえがそんなもん貰ったって使いみちがねえだろ」

「キクチヒコ! ヒミヒコ様からいただいた弓を『そんなもん』とか言ってるとぶっ飛ばすよ」


 ミツハはそのつぶらな瞳でオオヅヒコを睨みつけた。オオヅヒコはすくんでみせたが、その表情は笑顔のままだ。ふたりは普段からこうやってじゃれ合っているに違いない。


「おぉ怖っ。わかったよ。で、そのウサギは食うのか? 俺にも半分……」


 ミツハは黙ったままキクチヒコの足を踏みつけた。


「痛え! なにすんだよ!」

「ばーか!」


 地面にうずくまるキクチヒコを置いて、ミツハは先を歩いていた。

 キクチヒコから言われるまでもなくミツハは落ち込んでいた。ヒミヒコにやり込められたことが落胆の原因ではない。それよりも、自信を持って占った結果が外れてしまったことが衝撃だったのだ。

 やり方がまずかったのか。いや、師匠のカエデから教わった通りに寸分違わず儀式をおこなったはずだ。ミツハはもう一度あの森で自分がやった動作を頭の中で反すうしてみた。しかし、彼女には何がおかしかったのかはわからなかった。


(巫術には限界がある)


 脳内に湧き上がってくる考えをミツハは首を大きく左右に振って振り払った。



 その頃、クナ国内では盛大な宴の準備が進められていた。あらかじめヒミヒコの指示で伝令が送られていたのだ。今日の宴は大掛かりなものとなる。国の中心にある客殿だけでなく、建物の外の広場にも食事の用意がされている。そして、今宵は身分に関わらず誰でも参加してかまわないと国王イサオシの名で国中に伝えられた。戦乱の世になってからクナ国でこれほど盛大な宴が開かれたことはない。


 昼を回ってしばらくすると王の一行が到着した。門をくぐると一行は大勢の歓声に包まれた。人々は衛兵に制止されながら人垣を作っている。その間を王を先頭に狩りに随行した面々が進んでいく。もはや国中が祭りのような賑やかさだ。留守居役の家臣たちが王に深々と頭を下げると獲物を受け取った。王は左右の人垣をぐるりと見回した。


「今日の獲物はみなに分け与える。備蓄の食料や酒も倉から出させよう。今宵は大いに飲め」


 歓声がより大きくなって、うねりのように高まった。従者たちも最高潮に達した雰囲気に興奮しているのが表情にも出ているようだ。


「うはっ、まるで戦争で勝ったみたいな騒ぎだな。ミツハ、見ろよ。すごい人の数だ」

「……」


 キクチヒコは子供のようにはしゃいでいる。それとは対象的にミツハは黙りこくっている。心ここにあらずといった感じだ。歓声にかき消されて聞こえていないと思ったのか、キクチヒコは口をミツハの耳元に寄せて大きな声でどなった。


「聞いてんのか? ミツハ」

「ごめん。私、用事があるから」

「おい! どこへ行くんだよ」


 ミツハは列を離れてどこかへと走り去っていった。



 門から少し離れた場所。外界から隔絶された場所に巫術師たちにあてがわれた二つの建物がある。ここでも歓声は聞こえてくるが、だいぶ遠いためにかえって喧騒の外という感が強まっている。二つの建物のうち、大きな建物が巫術師の長であるカエデの居室だ。ミツハは帰国するとキクチヒコを置いて一目散にここへ駆けつけた。


「師匠、ただ今戻りました」

「ああ、帰ってきたのね。どう? 狩りの成果は」

「陛下もヒミヒコ様も大物が獲れないとお嘆きでしたが、最後は熊が獲れました」

「そう。よかった。王様のご機嫌がうるわしいのは良いことだわ」


 長といってもヤマト国のヒバリとは比べるまでもなく若い。むしろ女ざかりといえる年齢だ。胸元が開いた服装は魅惑的で、およそ質素な巫術師という印象を感じさせない。目元には赤い化粧を施し、唇にも鮮やかな紅が引かれている。


「師匠、お願いが……」


 ミツハはカエデの前で床にひれ伏した。すると、自然と彼女が背中に背負っている大きな弓がカエデの目に止まった。


「その弓は?」

「ヒミヒコ様より賜りました」

「ふん。呪符で戦う巫術師に弓とは……一体、何の皮肉かしら」

「ヒミヒコ様が森から最初に出てくる獲物が何かを占えとおっしゃられて、占ったのですが……」


 カエデの眉が曇った。その表情を見て、ミツハは思わず身をすくめた。


「信じないくせに占えという。やはりあのドラ息子は我らをバカにしている」


 ヒミヒコの話題を出すといつもこれだ。ミツハは自室に子ウサギだけ置いて、弓を置いてこなかったことを少し後悔した。だが、ここまで話した以上は隠しておくわけにも行かない。ミツハは顔を上げて今日起こったことを説明し始めた。


「申し訳ありません。わたしは熊は出てこないと占ったのですが、実際には熊が……」


 ミツハが言い終わらないうちにカエデの平手がミツハの頬を打った。


「よりによって、あの小倅に弱みを見せたのか!」

「申し訳ありません! 熊は森から出る前にヒミヒコ様が仕留めて、その後にウサギが……」

「もうよい! いまいましい!」

「はい! 申し訳ありません」


 取り付く島がない。ミツハは師匠の前でもう一度占いの儀式を行って、どこに問題があったのかを見てもらいたかった。しかし、今それを言えば師匠の怒りに拍車をかけてしまうだろう。ミツハはひたすら頭を下げて師匠の怒りが収まるのを待って、部屋から引き下がった。



 ミツハは狩りの疲れが出たのか自室で横になっていた。この建物は若い巫術師たち五人の住まいになっている。五人の巫術師といっても、巫術師としての才能が開花しているのはミツハのみで、他の四人はまだ師匠の身の回りの世話をしているような状況だ。それほど巫術師の育成というのは難しいものなのだ。

 ミツハは深いため息をついた。他の巫術師たちは広場に出ているのだろう。ミツハはただ一人、部屋の床にうつ伏せになっている。目の前で例の白ウサギが草の葉を食んでいる。ミツハが背中をなでるとウサギは目を細めた。まだ子供だからなのか人間に対する警戒心はないようだ。


「おまえは何も考えなくていいなぁ」


 無垢なウサギをなでていると少し気持ちが和らいだような気がしてくる。


「よお。ミツハ、そろそろ広場に行こうぜ。今夜は酒も飲めるぞ」


 キクチヒコが断りもせずに部屋に入ってきた。しかし、ミツハも別段気にする様子もない。彼女は振り向きもせずに答えた。


「行かない」

「なんでだよ」


 かなり気のない返事だ。キクチヒコは困惑したようにもう一度聞き返した。


「酒なんか、俺達の身分じゃ滅多に飲めないぜ。肉も食えるぞ」

「うーん。今はここで休んでいたい」

「じゃあ、ここまで持ってきてやるよ」


 ミツハはごろりと体を仰向けに変えると、起き上がって答えた。


「いらない」

「どうして?」

「どうしても!」


 ミツハの断固とした口調にキクチヒコはたじろいだ。


「わかったよ……酒くらいはもらってきてやろうか?」

「うん。ありがとう。優しいのね」

「当たり前だろ。俺はいつだって優しいぜ」

「うん……」

「よし、待ってろ」

 

 ミツハの愛らしい笑顔が戻ってキクチヒコはホッとした。そして、二人分の酒を確保するために広場に向けて矢のように走っていった。

 ミツハは再びうつ伏せになると子ウサギの顔をみつめて軽くため息をついた。


「行けるわけないじゃない。もしかしたら獲物にされたのはこの子の親かもしれない」


 子ウサギの頭をなでると自分から体を寄せてくる。ミツハは子ウサギに頬をこすりつけた。


「ごめんね。今日からわたしがおまえのお母さんだよ」


 ミツハはポロポロと大粒の涙を流した。

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