第八話 クナ国の王子
森の中から大勢の声が聞こえる。森に住む動物を外へ追い出しているのだ。ここは阿蘇山よりも更に南に広がる広大な森だ。
森を抜けた先には二人の親子と十人ほどの従者たちが弓を手に待ち構えている。親子は赤く染められた上等な絹織物の上着を身にまとっている。父親は四十代半ば。この辺りを治める国の王だ。息子の方は十代の半ばといったところだ。年齢や身分だけ考えればヤヒコとほぼ同じような青年だ。ただ、剣の修行に明け暮れて強靭な肉体を得たヤヒコよりはやや細身の体に見える。
勢子に追い立てられて一羽の白いウサギが飛び出してきた。二人へ向かって真っ直ぐに跳ねてくる。
「ヒミヒコ、逃すな!」
「はっ!」
王はウサギを指差して息子に命じた。その間もウサギは逃げ場を求めて跳び回る。しかし、ヒミヒコは全く慌てない。速やかな動作で弓を引き、矢を放った。
「おお、よくやった!」
矢は空を裂いて飛んでいき、まるで引き寄せられたかのようにウサギの胴体を正確に射抜いた。王はまるで自分が射たかのように小躍りして喜んでいる。ヒミヒコは微笑みながら答えた
「ふぅ。うまく当たりました」
「陛下、なかなか立派なウサギです」
従者が駆け寄り、獲物を手にとって王に見せた。王はウサギの耳を掴んで持ち上げるとヒミヒコに示した。
「見ろ。これで八羽目だ。大したものだな。一度も外していないじゃないか」
「ありがとうございます。しかし、父上。今年は小物しか穫れませんね」
後ろを振り返ったヒミヒコは部下たちが並べた獲物を眺めて苦笑した。例年ならば鹿や猪などの大きな獲物を仕留めたものだが、今並べられたものを見ると、ウサギやイタチなど小動物ばかりである。
「天候不順だったからな。食料が足りないのだろう」
「それにしても、熊や鹿の一頭くらい獲れても良さそうなものです」
「ううむ」
王もうなずいた。ここ数年は異常気象で、豪雨にみまわれることが多かった。それが長い戦乱に拍車をかけていることは確かだが、それだけでなく動物たちの生態にも少なからず影響を与えているのかも知れない。
「狩りの時期が良くなかったのではないでしょうか」
「だが、巫術師に占わせたところでは今日が吉日……ミツハ、そうだったな?」
王は従者の中でも一番若い女性に声をかけた。男だらけの従者の中で紅一点の彼女だけが異彩を放っている。剣や弓矢は一切身に着けていない。装束は袖や裾が長く、狩りに適した身なりとは到底言えない。彼女は会話の内容から言って巫術師だろう。肩にかかるくらいの短めの黒髪を二つに分けて後ろで束ねている。服は真っ白で飾り気がなく、清楚な雰囲気が漂うものだ。化粧もしておらず、まだ幼さを感じさせる顔つきだ。ただ、奥に光をたたえたつぶらな瞳からは気位の高さが伝わってくる。
「はい。間違いなく、今日こそが狩りに良き日と存じます」
「ハハハハ。父上、巫術師の占いなど民や兵をだます道具に過ぎません。狩りや戦いなどに良き日は我ら支配者が決めて、巫術師に良い日だと言わせればよいのです」
ヒミヒコは自信に満ちた表情で断言した。ミツハは少し気分を損ねたか、軽く目を見開いてミニヒコの方に向き直った。
「お言葉ですが……」
「吉凶の占いだけでなく、巫術師が召喚する鬼神は戦場で役に立つ……か?」
ミツハが発する言葉を予見したかのようにヒミヒコは言葉を重ねた。ミツハはハッとしたような表情を見せた。
「鬼神は制御が難しい。例えばこの森全体を焼き払うことなら造作もないだろう。しかし、敵味方が入り乱れた状況で敵だけを焼き払うことは可能か?」
「そ、それは……」
おそらくそれが巫術の大きな弱点だろう。的確に問題点を指摘されてミツハは黙りこくった。
「占いにしてもそうだ。もう動物たちが冬眠から覚めて春の十分な食料を得て肥えた時期だ。狩りに適した日など今日でも明日でも変わらないだろう。ただ、天候を見て、晴れそうな日を示せば良い」
「……」
「まぁ、そう怖い顔をするな。可愛い顔が台無しだぞ」
そもそも王族に口答えした時点でどんな仕打ちを受けて文句は言えない。議論でやり込められたくらいで済んだことに胸をなでおろすべきだった。だが、ミツハは若く、そういった処世術は身についていないようだ。
「わたくしたち巫術師は決してそのようなでまかせで占っているわけではございません」
「賭けてみるか? お前たちの占いにどれだけの力がある? 次に森から出てくる動物はなんだ? わかるまい」
「占ってみます」
ミツハは踏み込んではいけない領域に足を踏み入れた。本来占いはこれから行うことが吉か凶かを占うものだ。森から飛び出てくる動物の種類などという具体的なことを知る手段ではない。ただ、幸いなのはヒミヒコの方は笑顔を絶やさず、あくまでも狩りでの余興という雰囲気を保っているところだ。
「二人ともよさぬか。ミツハは巫術師の長であるカエデが手塩にかけて育てた一番弟子。わしは信用しておる」
「父上、この際はっきりさせておきましょう。このままでは巫術師が自分の力で国を動かしたなどと増長しかねません」
王にすれば、お抱えの巫術師が占いに失敗するのも、王子が発言を誤るのも何の利点もない。困ったやつだという表情を見せてヒミヒコをたしなめた。だが、ヒミヒコは聞く耳を持たない。
二人の会話をよそに、ミツハは火の精霊を呼び出して枯れ木に火を移した。その横には鹿の肩甲骨が置かれている。
「……」
占う内容を口ずさんでいるのだろうが、周囲の者にはよく聞こえない。ミツハは詠唱を繰り返しつつ懐から金属の棒を取り出して火にかざした。熱せられた棒が徐々に赤い光を発し始める。
「えぇい!」
気合とともに骨に棒を押し当てる。熱によって骨が割れるが、その割れ方で吉凶を占うのだ。
「……」
まだ割れない。再び棒を火で熱する。
「ええぇい!」
先ほど当てた場所よりはやや下に真っ赤になった棒を押し当てる。
「!」
パキッという音を立てて鹿の骨にヒビが入った。ミツハはそのビビをじっと見つめている。
「どうだ? 結果が出たか?」
「殿下、まずは熊が出るかを占いました。その結果、熊は出てこないという結果が出ました」
「ほう。それで?」
「次は鹿が出るかを占います」
「やめておけ。そうやって全部の動物について占うのか? 日が暮れるぞ」
ヒミヒコは話にならないという表情でミツハを制した。
「もういい。熊が出ないという占いで十分だ」
「ですが、私にも意地があります」
「意地? 巫術師が占いを誤れば最悪命を奪われる。おまえにその覚悟はあるのか?」
ミツハも引くに引けないところまで来ていた。ぐっと唾を飲み込み、ヒミヒコの顔を見つめた。
「あります」
「わかった。だが、占いはそこまでにしておけ」
「はっ」
占えば占うほど条件は限定されてゆき、ミツハにとっては不利になる。冷静さを失ったミツハはその点に気づいていなかった。ここで止めたのはヒミヒコの温情と言える。
次の獲物が森からおびき出されるまでしばらく沈黙が続く。森の奥からは勢子たちの大声が響いてくる。ヒミヒコは軽くため息をついて腕を組んだ。ミツハはやや顔を紅潮させて森を凝視している。すべてが静止した中、王だけは少し困惑した表情を浮かべて落ち着かない様子で立ち尽くしている。
ガサッという物音が響いた。一同が目を向けると、そこには大きな動物の影が見えた。明らかに熊の姿だ。
「そんな……」
ミツハは思わずつぶやいて、がっくりと地面にヒザをついた。王がミツハの顔を上から呆然と眺めている。しかし、ヒミヒコはまだ動かない。
「殿下、わたしの負けです……」
ミツハは地面に両手をついてうなだれたまま言葉を絞り出した。しかし、ヒミヒコはその言葉に返答せず、弓を引いて素早く矢を放った。矢が空を切り裂く音が響いた後、一同の歓声に変わった。矢は熊の眉間を正確に射抜いていた。
「おお、見事!」
「今日一番の獲物ではないか」
王を始め主従が喜びに包まれている中、ミツハだけがぽっかりと穴が開いたように沈み込んでいる。ヒミヒコはミツハに目をやった。
「すまん。森を出る前に思わず射てしまった」
「殿下、ご命令に従います。この場で自害せよとおっしゃるならば……」
「いや、待て。まだ終わってはいない。熊は森を出ていないではないか」
ヒミヒコはミツハの言葉をさえぎると従者たちに命令を下した。
「あれを捕らえよ。殺すなよ」
ミツハが顔を上げると、もはやヒミヒコは次の行動に移っている。ヒミヒコが指差す先へ皆が目を向けると一羽の子ウサギが跳び出してきた。それを追い込むように数名の従者が駆けていく。
あっけにとられているミツハにヒミヒコはもう一度笑顔で話しかけた。
「ミツハ、おまえの勝ちだ。森から最初に出たのはウサギだ。まったく……この強情者め」
「……」
「俺の揺さぶりによく動じなかったな。褒めてやる。褒美にこれを受け取れ」
ヒミヒコはミツハの目の前に自分の弓を放り投げて屈託のない笑顔を見せた。ミツハは思わずひれ伏した。
「ありがとうございます。この御恩は一生忘れません」
「礼ならこいつに言うことだ。こいつがおまえに勝利をもたらした」
ヒミヒコは従者が捕らえてきた子ウサギをミツハに手渡した。幼い子ウサギは自分の身に何が起こっているのか理解できていないのだろう。ミツハの胸に抱かれておとなしくしている。
「大切に育てます」
「好きにしろ」
「父上、今夜は熊汁にいたしましょう。ハハハハ、お前たちも来い。皆で食おうじゃないか」
ミツハは座り込んだまま、ヒミヒコが従者を従えて森を去っていくのを仰ぎ見ていた。




