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卑弥呼伝 〜最強の精霊使いが女王になるまでの物語〜  作者: 山本 正彦
第一部 倭国大乱編
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第七話 鬼神の力

 ヤマト国の北には大きな森が広がっている。人々はそこから木を切り出し、建物や防御柵の材料としてきた。また、森の動物を狩って食料とし、秋には木の実や食用のキノコを収穫してその恵みを受け取ってきたのだ。


「ババ様、祭壇の用意が整いました」

「うむ」


 ヒミコたちは森に面した開けた場所で儀式を行おうとしていた。白木で作られた簡素な祭壇の上には壺に入った酒と酒器、そして魚が供えられている。ヒミコは祭壇の前に正座をしたままヒバリの方を振り返った。ヒバリの横には兄のカグツチが立っている。ヤヒコは今も武門の長であるミカヅチの元で剣の修行中だ。代わりに護衛をかって出たのがカグツチだ。


「ほぉ、酒もあるのか」

「兄上、飲みたくなってきたのではありませんか?」


 カグツチの顔を見てヒミコはニコリと微笑んだ。カグツチも豪快に笑う。


「がははは、旨い酒と旨い魚。飲まない手はないだろう」


 ヒバリも笑いながら祭壇の前に正座すると器に酒を注いだ。太陽が天のほぼ真上まで上り、春のおだやかな光が三人のもとに降り注いでいる。なんとものどかな日和だ。


「木の神は酒好きじゃ。そなたと木の神は気が合うかもしれんのう。ヒミコ、そろそろ始めようか」

「はい」


 ヒミコはヒバリに祭壇の正面を譲って座り直した。カグツチはその背後で二人を見守る。


「しかし、森を切り開いて、切り株を焼き払おうというのに酒と食べ物だけで木の神は許してくれるのか?」

「兄上、その心配はございませぬ。なにも森をすべてなくそうというのではありませぬ。木を切り出すこの場所だけ。しかも畑に替えようと言うのですから納得してくださると思います」

「なるほど。畑もまた木の神の領分というわけだな」

「はい」


 ヒバリは木の神を召喚する呪文を唱え始めた。その横に座るヒミコの顔からも笑顔が消え、真剣な表情に変わった。


「森を育て、国に繁栄をもたらす木の神よ。我が願いを聞きとどけ給え。我……」


 呪文を唱えつつヒバリは巾着袋から呪符を取り出した。ヒミコは祭壇の向こう側を見つめている。カグツチの目には何も見えないが、彼女やヒバリの目には神か精霊か何者かの気配が見えているのかも知れない。

 三人の注意が祭壇の正面に向かったその時だった。森から黒い影がすばやく動いたと思うとヒミコの左腕をかすめた。


「痛っ」


 ヒミコの腕からは血が流れている。右手で傷口を押さえて止血を施しているが、痛みで表情を歪ませている。とっさにヒバリは地面に向けて呪符を放り投げた。すると、呪符が地面に触れたところから無数の草のつるがスルスルと伸びていき、影を捕らえようと一斉に動いた。

 だが、影の動きは速い。つるの動きを機敏にかわして距離を取った。


「ヒミコ、大丈夫か?」


 カグツチは剣を抜き放って構えた。影と見えたのは一頭の黒いオオカミだった。人間の大人とさほど変わらないくらいの大きなメスのオオカミだ。白い牙をむき出しにしてヒミコたちを威嚇している。


「兄上、お待ちください。恐らく、彼女はこの森の主です」

「主だと?」

「そうであろう?」


 ヒミコはオオカミに向かって声をかけた。だが、オオカミはあいかわらず威嚇を続けている。


「怒りを鎮めてくれぬか? わらわたちは森をすべて焼き払うつもりはない。一部分だけを畑に変えようとしておるだけじゃ。畑から得た恵みはそなたたちとも分け合うつもりじゃ」

「ヒミコ、下がれ。オオカミに言葉なんか通じるものか」


 カグツチは剣を構えたまま一歩前へ進み出た。オオカミも姿勢をぐっと低くして、いつでも飛びかかれる態勢を調えた。


「カグツチ、少し待て。森の主ならば、木の神に仲立ちをお願いするしかあるまい」


 ヒバリは更に一歩前へ出ようとするカグツチを制して呪符を手に取った。神を召喚する呪文を口ずさむと呪符が微かな光を発し始める。


「……契約に基づき我に力を貸し給え」


 詠唱が終わると、ヒバリは呪符に言霊を封じ込めるように息を吹きかけた。すると呪符は霧のように消え去った。


「おお! なんだこれは!?」


 カグツチは大きく上を見上げた。祭壇の向こうに人の身の丈の三倍はあろうかという巨大な青龍が姿を現したのだ。大男のカグツチがまるで子供のように小さく見える。さすがのカグツチも呆気にとられて剣を持つ手を弛めた。オオカミもまた神に敬意を払うように牙を収めて静かに座っている。ヒバリは青龍に視線をとどめたまま答えた。


「木の神じゃ。そなたたち、神の御前であるぞ。争いをやめよ……神よ、ご足労いただき申し訳ありませぬ。この酒と魚は我らからの気持ちです。お受取りくだされ」


 木の神は風に揺れる木の枝のようにゆらゆらとゆらめきながらヒバリに向かって言葉を発した。


「ヒバリか。久しぶりだのう。しかし、森の者たちとひと悶着起こしておるようだの」


 その声はまるでひなたぼっこに現れた好々爺のようだ。木の神はあくまでも穏やかに、人間たちの言い分に耳を傾けようと言葉を繋いだ。


「それで、そなた達はなにをやりたいのだ?」

「我らは森の木を一部切り出して、われらのすみかの材料としたいと考えております。森を切り開いた跡は畑となし、作物は供物としてあなた様へ捧げまする」

「ふむ。森の者たちのすみかを奪い、そなた達のすみかとしようと言うのか。それがいさかいの原因だのう」


 ヒミコはヒバリと神の対話を聞いてはっとさせられた。確かに神の言う通りだ。木を伐れば自分たちの利益となるが、動物たちにとってはすみかを失うことになる。ヒミコが葛藤する中、なおもヒバリは対話を続ける。


「森にはもう余力はありませぬか?」

「森の者たちのすみかは足りておるがのう。どれほど切り出そうというのだ?」

「二十本ほど」

「ううむ。なかなかの本数よの。だが、食べものを彼らにも分けようと言うのならば、悪くない条件だと思うが……」


 ヒミコは神の御前で神妙に座っているオオカミの顔を見つめた。彼女がこれほどまでに敵意をむき出しにするのはなぜか。言葉は通じないが、それさえ分かれば妥協点は見いだせるかも知れない。


「ババ様、わらわが森の者たちと話し合ってまいります」


 ヒミコは呪符を手に取ると精神を集中させた。


「葉を茂らせ、万物に力を与える木の精霊よ。我、この森と我が魂を一体とせんと欲す。契約に基づき我に力を貸し給え」


 呪符が弾けると、緑色をした小さな精霊達が三体姿を現した。まるで小枝のような緑の髪の毛と木の実のような黒いつぶらな瞳をした精霊はヒミコの肩に乗ってじゃれつくように遊んでいる。


「行くぞ。あの森の中へわらわを連れて行ってくれ」


 森に憑依するにも、まずは何か依代よりしろとなる物が必要だ。祭壇の後方に広がる森の中でもひときわ大きなクヌギの木が見える。その枝の先端にヒミコは視線を凝らした。次第にヒミコの意識は遠くなっていく。精霊達はヒミコの意識を霊体として体から引き出して森へと導いていった。


(あのクヌギじゃ。まずは天辺まで登ろう。そこから全体を見渡す)


 ヒミコの霊体は精霊達に両手を引かれて、すーっと上空に上っていく。見る見るうちに地上のヒバリたちから離れていって、彼らが豆粒のように小さく見えるほどになった。クヌギの木の頂上に到着するまでほんのひと呼吸の間だ。ヒミコの霊体は一番高いところにある枝に座ると意識を木に浸透させていく。


(それにしても大きな木じゃのう。この幹を使わせてもらうぞ)


 枝から幹へ、そして太い幹を伝わって根へ。ヒミコの意識はすみやかに森全体へ広がっていく。今や木の葉の一枚一枚だけでなく、そこに暮らす生き物たちの動きも手に取るようにわかる。


(見えた。われらが伐ろうとしておるのはこの辺りの木じゃ。他と何が違うのじゃろう。なにゆえ森の主はあれほど怒るのじゃ)


 ヒミコは注意深く森の木一本一本を観察し始めた。見ると、森の主もいつの間にか森の中までやって来ていた。牙こそむいていないが、警戒心は解いていないようだ。


(わらわの姿が見えるのか)


 修行を積んで巫術を用いなければ霊体や神を目にすることができない人間は彼らよりもある意味衰えているのかも知れない。ヒミコは森の主にも畏敬の念を感じた。


(そなたが守りたいものがここにあるのじゃな)


 オオカミは一本の木の枝を見上げている。ヒミコはその視線の先を追った。


(なるほど。ツバメの巣か。すでに卵を産んでおる。これでは巣を他へ移すわけにもいかぬな。この辺りの木は残した方が良さそうじゃな)


 ヒミコはオオカミの目の前の木の幹に意識を集中させた。ぼんやりとヒミコの霊体が姿を現す。


(森の主よ。このツバメの夫婦の子作りの邪魔はせぬ。わらわを信じてくれぬか?)


 森の主は何も返答はしなかったが、そのまま祭壇の方へ戻っていった。ヒミコは再び意識を森全体へと広げた。そして、森の住人たちの暮らしにおよぼす影響をできるだけ少なくするにはどの辺りの木を伐採すべきか検討し始めた。


「ほぉ、面白き娘じゃのう。まるで戯れるがごとく我が眷属たちと触れ合っておる。森の主とも話がついたようじゃ」


 木の神は草のつるのような細い無数の触手をするするとヒミコの体に絡みつかせて、その力を探っていく。

 ヒミコは精霊達が誘うままに意識を森に広げていたが、不意に手を引かれるような感覚を覚えて自らの肉体の方に意識の主体を移した。こういった意識の移動は巫術を使う際に必要になるものだが、ヒミコがここまで自在に行えるのは天性の才能と言える。


「ホッホッホッ、なかなか強い力じゃ。この力は……なんと、火の神も力を貸しておるのか」

(はい。木の神様もお力を貸していただけますでしょうか)

「うーむ。だが、火の神の力は破壊の力。その上わしの力を得れば火の力はますます強くなるじゃろう。そなたはまだ幼い。無理をすれば、そなたの体を壊しかねんぞ」


 ヒミコの体は触手でぐるぐる巻きになって、もはや体が見えないほどになっている。だが、木の神と対話する彼女の心の中の声は落ち着きを払っており、動揺は見られない。むしろうろたえているのはカグツチの方だ。カグツチにはヒミコの心の中の声が聞こえていない。不安に感じるのは無理もないところだ。剣を構えながらヒミコを救いだそうとそろそろと近づいていく。


「ヒ、ヒミコ、大丈夫か? 今助ける」


 兄の声を聞いたヒミコは意識を完全に自分の体に戻した。意識が戻ったことでヒミコの声も実際の音声が伴った声に変わった。


「兄上、落ち着いてください。わらわは大丈夫です。今、木の神様とお話をしております」

「そ、そうか……」

「ホーホッホッ。見事に自分の魂を操るのう。ますます面白い。ヒミコとやら、まずは水の神の力を得よ。水の力は火の力を抑える。さすれば、わしもそなたに力を貸そう」

「ありがとうございます」


 ヒミコは木の神に頭を下げると、ヒバリの方に向き直った。


「ババ様……」

「わかっておる。水の神との儀式じゃな。立ち会おう。その前に木の切り出しと開墾が先じゃ。森の主とはどんな話になった?」

「森の主が教えてくれたのです。われらが切り開こうとしていた辺りの木にはツバメの夫婦が巣を作り……」


 ヒミコはヒバリに森の主との話し合いについて説明を始めた。畑が広がれば、より多くの人がヤマト国に集まってくる。そうすればヒミコの巫術の力も人々の暮らしに役立てる機会も増えるだろう。ヒミコは自分の心が希望に満ちあふれていくのを感じていた。

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