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卑弥呼伝 〜最強の精霊使いが女王になるまでの物語〜  作者: 山本 正彦
第一部 倭国大乱編
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第十五話 大地の力

 水が張られた田をドジョウがスイスイと泳いでいる。ヒミコはその泳ぎを邪魔しないように素足をそっと泥に差し入れた。ドジョウはヒミコの足の間をすり抜けていった。


「ねぇしゃま、ドジョウ! つかまえて!」

「ドジョウか。スサノオ、わらわは苗を持っているゆえ今は無理じゃ。あとで捕ってやろう」


 ヒミコはあぜ道に座るあどけない弟の言葉に愛しさを感じてにっこりと微笑んだ。その横では彼女とスサノオの間の弟のツクヨミが泥から足が抜けなくなって悪戦苦闘している。


「うわぁぁ。転ぶ!」

「しっかりしろよ。つかまれ」


 ヤヒコが手を差し伸べてツクヨミを助ける。さすがにヤヒコはツクヨミに寄りかかられてもビクともしない。ぐっとツクヨミを引っ張ると態勢を立て直すのを助けた。まだ六歳のツクヨミは両脇に立つヒミコとヤヒコの助けがなければ田植えも難しそうだ。


「兄様、ありがとう」


 それを見て、スサノオの少し後ろに立っているカグツチが豪快に笑った。


「はっはっはっ。ツクヨミ、気をつけろよ。転んだら泥だらけになるぞ」

「うん」


 初夏の柔らかな日差しが心地いい。風は全くなく、すごしやすい陽気だ。ヒミコはからりと晴れた空を一度見上げてから再び田に目を落とした。


「では、始めるとするか」


 ヒミコの掛け声に応じて、横一線にずらり並んだ人々が動き始めた。


 田植えの時期を迎えて、ヤマト国の老若男女十数万の民が一斉に駆りだされて苗を植えている。ヒミコたちがいるのはその広大な水田のほんの一角だ。本来は王族であるヒミコたちがやるような作業ではないのかもしれない。しかし、ヒミコは幼い頃から毎年のこの恒例行事が大好きだった。足に伝わる泥の感触。田に生息する生き物たちの生命力。春から夏に向かう空気の清々しさ。すべてが好ましく感じられる。


 カグツチは先日の例の儀式での一件で怪我を負ってからまだ完全には回復していない。今もあぜ道に立って剣を杖代わりにしてこの光景を眺めている。しかし、その表情は柔らかい。夏草の成長のように彼自身も怪我が癒えて力を取り戻してきているのを実感しているのだ。

 その少し前で膝を抱えて座っているスサノオは段々と自分たちから離れていくヒミコたちの後ろ姿を眺めて少し寂しそうな表情をみせた。カグツチはスサノオの横に移動すると足を投げ出してどかっと座った。


「よっと。スサノオも来年辺りには一緒にできるんじゃないかな」

「ホント?」

「ああ。しかし、観ている分にはいいが、やってみると腰が痛くなるし結構大変だぞ」

「うん。でもやってみたい」


 カグツチは手元に生えているナズナを手に取った。手の平におさまるくらいの長さの細い緑の茎。そこからたくさん枝を伸ばした細い柄の先には小さな軍配のような形をした実が一つずつ付いている。その実を下に引っ張ると茎から剥がれた表皮にぶら下がる形になる。カグツチは実の一つ一つを下に引っ張っていく。スサノオは不思議そうな顔をしてカグツチのやっていることを眺めている。

 カグツチは全部の実を引っ張り終えると、でんでん太鼓のように茎をくるくると回した。すると、ぱちぱちと微かな音を立てて実が舞った。ちょっと前までつまらなそうな顔をしていたスサノオの表情がぱっと明るくなった。カグツチからそれを受け取って自分もぱちぱちと音を立てて遊びはじめた。


「カグツチ様」


 あぜ道を歩いて近づきながら声をかけてきた男性がいる。歳の頃は三十くらいか。背は高いがヤセ型で、カグツチが持っているような重い剣を手にしたらよろけそうなくらい体の線が細い。体格的にはカグツチの兄のミズヒに近いかも知れない。ただ、ミズヒのような近寄りがたい神経質な印象は感じさせられない。むしろ柔和な表情を見せている。


「シナガ、いい天気で良かったな」

「はい。絶好の田植え日和です。おや。スサノオ様、いいものをお持ちですね」

「うん。しにゃがもあそぶ?」


 スサノオはシナガに向かってナズナを差し出した。


「ありがとうございます」


 シナガは膝まずいて両手で丁寧にナズナのでんでん太鼓を受け取ると、ニコニコと微笑みながら音を鳴らした。スサノオは自分で同じものを作ってみようとナズナを一本手に取った。その様子を眺めながらシナガはカグツチに言葉をかけた。


「足の具合はいかかですか?」

「だいぶ良くなったぞ。もう完全に治るまで半月もかかるまい」

「それは良かったです。どうやら陛下はこの夏にいくさをお考えのようです」

「やはりそうか」

「お気づきでしたか」

「ヤヒコをカナソナ国に潜入させたのそういうことだろ」

「はい。ところで、ヒミコ様はまた水の神との契約の儀式をとり行われるのでしょうか?」

「あれは延期だ。ヤヒコが説得した。しかし、よく納得したものだ。あいつも頑固なところがあるからな」

「そうですか。陛下はヒミコ様の巫術にも大きな期待をお持ちです。ここでお怪我をされても困りますからね」

「まあ、火の神だけでも十分強力だろう」


 カグツチは田植えを続けているヒミコの後ろ姿を見やった。あの一件以来、ヒミコはむしろ笑顔が増えた気がする。焦ることはないと悟ったのか、そこのところ真相はカグツチにはわからないが。


「夏といえば収穫直前だが、兵糧の方は大丈夫なのか?」

「はい。兵糧の備蓄は十分ありますから問題ありません。しかし、今回はかなり大規模な兵を動かされるようです」

「おまえには苦労をかけるな」


 シナガはヤマト国の食料の管理を一手に引き受けている。三十万人ともいわれるヤマト国の民が飢えたり、奪いあったりせずに済んでいるのは彼と彼の部下たちの頭脳にかかっているといっても過言ではない。


「私の苦労など大したことではありませんが、大きないくさとなれば多くの血が流されます」

「ヤマト国とクナ国、どちらが勝ちを収めるか。それが決着するまではいくさは終わらないということだろう」

「そうですね。しかし、気が遠くなりそうです」


 シナガはだいぶ遠くまでいったヒミコ達に目をやった。カグツチもじっと遠くを見つめている。


「父や俺達の代で終わらせられればいいが……」

「難しいとお考えですか?」

「見当がつかん。せめて、ヒミコやこのチビたちが大きくなって子を成す頃には終わらせたいものだな」


 カグツチはそっとスサノオの肩に手を置いた。



   ◇ ◇ ◇



 ヒミコたちは田んぼの中ほどまで進んでいる。少し腰を伸ばして後ろを振り向く。


「だいぶ植えたのう。じゃが、まだ半分か。ツクヨミ、疲れてはおらぬか?」

「ううん。平気」

「そうか。おお、見よ。スサノオが手を振っておる」


 ヒミコたちの位置から眺めると、小さなスサノオが豆粒のように見える。ヤヒコはスサノオに向かって手を振り返した。


「あいつもやりたがってたが、まだ小さすぎるかな」

「そうじゃな。ツクヨミくらいになればできるじゃろうが」


 ツクヨミも手を振り始めた。ヒミコは手にした苗に目を落とした。


「不思議なものじゃな。こんな小さな苗が秋になるとたわわに稲穂を実らせる」

「大地の恵みってやつか」

「地の神の力かも知れぬな」


 そう意識してみると、ヒミコは足元に何らかの力の存在を感じる。ただ、その力は巫術師としての才能がある彼女でなければ感じられないほどの微かなものだ。ヒミコは懐から呪符を取り出し、呪文を唱え始めた。


「草を芽吹かせ、生きとし生ける物を守る大地の精霊よ。我、田に稲の苗を植えんとす。契約に基づき我に力を貸せ」


 呪符が弾けるように空中に霧散すると、そこには小指ほどの大きさの小さな地の精霊が三体現れた。精霊は全身が土気色をしていて、まるで土を練って作った泥人形のような形をしている。精霊達は稲の苗を抱えては投げ、抱えては投げして水田に植えていく。


「そなたらを呼び出すのも久しぶりじゃのう」

「おっ、そいつらも手伝ってくれるのか。楽でいいな」

「子供の頃はこやつらとよく遊んだものじゃ。こやつらは自然薯を探して掘るのが上手でな。持ち帰ると母上に褒められたものよ」

「へぇ」


 ヤヒコは精霊達を見て微笑んだ。ヒミコとヤヒコの間でそれを見ていたツクヨミは田植えを再開した。


「ヤヒコ兄様、ぼくらも負けてられませんよ」

「ああ、そうだな」


 ヤヒコもツクヨミのとなりで苗を植え始めた。


 精霊達はヒミコが持っていた苗をすべて植え終わると、ヒミコの体にまとわりついて飛び回っている。


「なんじゃ、おまえたち。一緒に来いというのか?」


 ヒミコは意識を田の泥の中に潜り込ませた。三体の精霊達に引かれてヒミコの意識はどんどん土の中に入っていく。それでも意識の半分は体の方に残している。ヒミコの目には苗を植えながら少しずつ離れていくヤヒコとツクヨミの後ろ姿が写った。


(困ったのう。手を抜いて休んでいると思われるぞ。おまえたち、どこまで行こうというのじゃ?)


 精霊達はなおも土の中にヒミコの意識を導く。徐々に地上の光が届かなくなり、暗くなる。その先にはぼんやりと光る一点が見える。


(あれか?)


 ヒミコは精霊達に導かれるままに光の目の前に進んだ。



 その頃、地上ではヒミコの目の前に人の背丈ほどの泥人形が現れていた。田植えをしていた人たちは散り散りに逃げた。ツクヨミはヤヒコの背中に隠れた。ヤヒコはヒミコの側を離れず、身構えて様子を探っている。

 ヒミコは意識を地上に戻した。そして、目の前の泥人形を見てつぶやいた。


「これは……土の王か」

「いかにも。眷属たちが面白い人間がいると騒いていたが、なるほど人間にしては強い力だ」

「わらわは土の精霊達に気に入られたようじゃな。幼い頃から一緒に遊んではいたが……」

「眷属たちは我が力をおまえに貸し与えて欲しいと言っている」

「それはありがたい。わらわはいずれはそなた達を支配する土の神とも契約を果たすつもりじゃ」

「よかろう。まずは我が力を使いこなしてみせろ。神の御前に出るにはそれからだ」

「うむ。そなた達の力、大切に使わせてもらうぞ」


 泥人形はドロドロと崩れて元の田んぼの土に戻った。ヒミコはヤヒコの方を向くとにこやかに笑った。


「驚かしてすまなかった」

「いきなり呼びだす奴があるか」

「ははは、精霊たちがわらわを導いたのじゃ。他の皆も驚かしてしまったな。おーい、大丈夫じゃ。再開しようぞ」


 ヒミコは手を振りながら、とびきりの笑顔でまわりの人々に呼びかけていた。

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