第十四話 開戦の予兆
国王イザナギは床に敷かれた毛皮の毛並みを眺めていた。その上で人ひとりが余裕をもって寝そべることができるくらいの大きさの熊の毛皮。それはかつて彼が狩りに出かけた折に得た獲物である。ここは彼の私室。部屋は拝謁の間と同じくらいの大きさがある。国内最大級の建物と言っていい。
この部屋で第一王子ミズヒは父にヤヒコから得た情報を報告した。ここまで入ってこられるのは国王の息子だからこそであり、通常は重臣であろうと衛兵に止められて入室が許されない。ミズヒは先程から敵対するクナ国連合に属するカナソナ国への侵攻を進言している。しかし、イザナギの反応はミズヒが期待したようなものではない。
「陛下、だからこそ今がカナソナ国を攻める絶好の機会なのです」
「そう急ぐことはあるまい。カグツチの回復を待ってからでも良い」
「ですが」
父の口から『カグツチ』という言葉を聞いてからミズヒの表情は一瞬にして変わった。明らかに焦っている。
「ですが、敵はたかだか二千の兵です。今いる戦力だけで十分です」
「カナソナ国は豊かな水田を有する重要な国だ。我らに敵対するクナ国が援軍を出さぬ訳がないぞ」
「クナ国の援軍を合わせても恐らく五千足らずでしょう。恐れるに足りません」
実際、ヤマト国の総力をかけて攻めればカナソナ国は落とせるだろう。しかし、相当な被害がでることは容易に予想が付く。イザナギは慎重な男だ。だからこそ初めはカナソナ国を属国にして戦わずしてヤマト国連合に組み込むことを画策した。しかし、カナソナ国はそれを拒絶した。今は攻めこむ機会をうかがっている段階である。
王の同意が得られないことにミズヒの焦りはさらに募っていく。
「しかも、二人いた巫術師が両方死亡したというのです。この機会をおいてカナソナ国を攻め落とす好機は他にありません」
「巫術師といえば、ヒミコの体力も戻っていないではないか」
『カグツチ』に続いて『ヒミコ』という名前が出てきたことでミズヒの表情はさらに険しくなった。眉間にはシワが寄り、顔全体が真っ赤に染まった。
「ヒミコなど、まだまだ未熟者! カグツチが怪我をしたのはヒミコのせいではありませんか!」
「だが、ヒミコは火の神との契約を果たした。水の神とも契約しようとしている。あれは使える」
「巫術などに頼らずとも……」
イザナギは困ったやつだと言わんばかりの表情を見せた。兄弟がこういがみ合っては将来に禍根を残すことになりかねない。
「そう焦るな。間もなく田植えの時期を迎える。このような時にいくさに人を駆り出すわけにもいくまい」
「……」
「それとな、次のいくさではソナ国の忠誠を試そうと思っている」
「そこまでお考えとは……ではソナ国に攻めさせるおつもりですか」
確かにソナ国に血を流させればヤマト国に損害はない。ヤヒコという人質を取られたソナ国は死に者狂いで戦うだろう。仮にソナ国がその場で寝返ればヤヒコを血祭りにあげ、カナソナ国ともどもソナ国も皆殺しにする。この父ならばそこまでやる。ここまで思い至ったところでミズヒは背筋に冷たいものが走るのを感じた。これ以上反論したら、自分は今後どうなるか……。
「とにかく夏まで待て」
「はっ」
イザナギの表情に変化はない。この王は一体どこまでまわりの人間を利用しようとしているのか、ミズヒには全くうかがい知れない。何かバケモノのように恐ろしいものから逃げ去るようにミズヒは部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
ヒミコがヤヒコの胸の中で気を失った後、しばらく意識は戻らなかった。ようやく意識を取り戻したのは翌朝のことだ。以前、火の神を呼び出した時はその日のうちに回復した。そのあとヤヒコたちを歓迎する宴にも参加したことを考えれば、今回の一連の騒動がいかに彼女の肉体に負担を強いたかがうかがえる。
今も自室で横になっている。起き上がることはできるが、立ち上がるとまだフラフラする。もう少し体を休める必要がありそうだ。
その隣には母親のイナツメが座り、なにかと世話を焼いている。
「母上、兄上はご無事ですか?」
「大丈夫よ。心配しないで」
ヒミコは自分の体調よりも兄の怪我の具合が気になった。自分も怪我人だろうに、自分は置いておいて他人の心配をしてしまう。これはヒミコの心根の優しさを示すものであると同時に自分の身をないがしろにしがちであるという弱点でもあった。しかし、本人にその自覚があるのかどうか。
「でも、暇で仕方ないと言ってすぐに起き上がろうするの。ババ様に叱られてしぶしぶ横になっているけど」
「ふふふ、兄上らしい。でも、兄上にはご迷惑をかけてしまいました」
「安心なさい。大怪我をしたと聞いた時には私も慌てましたが、安静にしていれば元の通りに治るそうです」
「ババ様にはしばらく見張っておいていただかなければなりませんね」
「ホント。イザナギ様も呆れておいでです」
「父上はなんと?」
「あれは暴れ者だから少しおとなしくしていた方がいいと」
「ふふふ。ミズヒ兄様は?」
「あいつはバカだと怒ってらしたわ」
「まぁ」
カグツチはイナツメの実の子ではない。今から十九年前、カグツチを産んだ第一王妃イザナミは出産後まもなく息をひきとった。その後は第二王妃のイナツメが実の子のように育てた。幸いカグツチはすくすくと素直な子供に育ち、その後に産んだ自分の子どもたちを兄として可愛がってくれた。しかし、一番上のミズヒは三歳という物心ついて間もない時期に実の母親を亡くしたという心の傷が癒えず、他の兄弟に対してもどこか壁を作っているという感じは拭えなかった。
「ああ見えて、ミズヒは優しい子なのですよ。カグツチのことを心配しているのです。それより、あなたは大丈夫なの?」
「わらわこそ平気です。鬼神の召喚で疲れただけのことですから」
こうして母子ふたりきりで過ごすのも久しぶりだ。母との会話でヒミコもだいぶ安らぎを感じた。ただ、今回の件は自分の失敗が原因なので、カグツチが責められるのには心が傷んだ。
「あとでカグツチ兄様には謝っておかないと」
「そうね。ミズヒにも話しておいたらどうかしら。カグツチはあなたを守って負傷したんだから」
「そうします」
守られたといえば、やはりヒミコの脳裏には一人の人物が浮かんでくる。
「ヤヒコにも謝らなくては……」
ふとあの時のことが思い出される。あの時ヤヒコが現れなかったら自分たちはどうなっていただろうか。カグツチ兄様だけでも助けられただろうか。なんとかなったかも知れない。水の神の関心は自分一人に向かっていたのだから。しかし、ヤヒコが盾になってくれたおかげで自分が助かると同時に彼にも危険な思いをさせてしまった。
(でもやっぱり嬉しかった)
ヒミコは突然ヤヒコの唇の感触が頭に浮かんで顔を左右に大きく振った。これだけ色々な人に心配や迷惑をかけたのになんてふしだらな。しかし、ヒミコの中でヤヒコがかけがえのない人になっていることは自分でも否定のしようがなかった。
「助けていただいたお礼を申し上げなければいけませんね」
「はい。そうでした。謝るのではなく、お礼でしたね」
「ええ」
「母上、ヤヒコにはわらわの護衛に復帰してもらおうと思っています」
「そうなさい。あの方がついていてくださったら安心だわ」
母もヤヒコを側に置くことに同意してくれた。もちろん母の同意は護衛としてヤヒコを復帰させることへの同意ではあるが。それでも二人の仲を認めてくれたような気がしてヒミコはホッとした。
それだけではない。ヒミコにはもう一度水の神との契約を図る儀式を行いたいという思いがあった。ヤヒコが護衛についていてくれれば、今度こそ成功できる。そういう確信めいた思いが彼女の心の中にはあった。
「ヒミコ、具合はどうだ?」
外からヤヒコの声が聞こえた。ちょうどヤヒコのことを考えていた時に合わせたような訪問。まるで自分の心の中を覗かれたような気がして驚いた。ヒミコは慌てて声をかける。
「待て! 入ってくるな。しばらく待つのじゃ」
ヒミコは起き上がってクシを取って、あたふたと髪の毛をとかし始めた。その様子を見てイナツメははっとした表情をした。ああ、この子もそんな年頃になったのかとでも思ったのであろう。
「私がヤヒコ殿とお話していましょう」
イナツメは部屋の外に出てヤヒコを出迎えた。
「ごめんなさいね。あの子も女の子だから」
「あっ、こちらこそ急に押しかけるのは良くなかったですね。帰ります。ヒミコにはよろしくお伝えください」
ヤヒコは「しまった」という顔をしている。病に伏してやつれている女性の元を訪れるのは良くなかった。もっと気を使って、彼女が回復してからにするべきだった。
「でも、せっかくいらしたのですから」
「いえ、声だけでも聞けたので十分です」
ヤヒコと母の会話を聞いてヒミコはさらに慌てた。会いたい。でもみっともない格好は見せたくない。せめて髪だけでも……。
「ヤヒコ! 待ってくれ!」
部屋の中からヒミコの声が聞こえた。ヤヒコはイナツメと目を合わせて苦笑した。
しばらくしてヒミコは部屋の入り口から顔を出した。ヤヒコの目から見ても顔色は悪い。まだ体力は戻っていないのだ。無理して外に出たからか少しよろけた。イナツメとヤヒコが慌てて駆け寄る。
「まぁ、寝ていなくてはいけませんよ」
「そうだ。無理はよくない」
「大丈夫じゃ。少しつまずいただけじゃ」
ヤヒコのたくましい腕に支えられてまた部屋に戻る。
「ヒミコ、寝ていろ」
「大丈夫じゃというのに」
「いや、まだ顔色が悪いじゃないか」
「うむ」
やつれた自分を見せてしまった恥ずかしさと、自分を気遣ってくれている嬉しさと、ヒミコは複雑な心境のまま横になった。
イナツメはふたりの様子を見て確信したようだ。このふたりには母親の自分でも入っていけない絆ができている。寂しいような嬉しいような、これもまた複雑な気分だ。
「花の水を取り替えてきましょう」
イナツメは花が生けられた土器を手に部屋を後にした。
「熱はあるのか?」
ヤヒコはヒミコの額に手を当てた。ヒミコは神妙な面持ちでそれを受け止める。ヤヒコの体温を直に感じられる。それだけで何か満たされる気持ちになった。
「ないであろ?」
「そうだな」
「だから平気だと言うに」
確かに順調に回復はしてきているのは感じる。しかし、体のだるさや先ほどふらついたことを考えると外を出歩くのはまだ早いようだ。
「さっき、カグツチ殿のところに行ってきた」
「兄上はどうであった?」
「しばらくは寝ているしかないだろうな」
「やはりそうか。兄上には迷惑をかけてしまったな」
「仕方ないだろ。おまえだって鬼神の力を得て国のために役立てたいと思ってやったことだし」
「うむ」
「でも、急ぎすぎじゃないか? ババ様も水の神との契約はもう少し後でもいいって言ってたぞ」
ヒミコはヤヒコの瞳をじっと見つめた。自分の思いはヤヒコにだけは解ってもらいたい。
「わらわは水の神の力で洪水の被害を食い止めたいのじゃ。まもなく暴風雨の季節がやってくる」
「そうか」
「ババ様ひとりの力では限界がある。ふたりで力を合わせれば、より被害を減らせると思うのじゃ」
ヤヒコは少し驚いた顔をしている。
「それができれば、確かに多くの人を救えるかも知れないな」
「うむ」
ヒミコは微笑んだ。ただ単に力を求めて儀式を行ったわけではない。できるだけ多くの人を救いたいという思いがあってやってこと。それをヤヒコにだけでもわかってもらえれば十分だと感じた。
「そうじゃ。そなたにも礼を言わねばならぬ。そなたに救われねば、わらわは命を失っていたかも知れぬ。礼を言うぞ」
「それはいいんだ。だが、もう少し自分を大事にして欲しい」
「そうじゃな」
ヒミコは目を伏せた。
「わかっているのか? 俺はおまえを失いたくない」
「すまなかった。じゃが、この先、無理をせねばならぬ時もあるかも知れぬ」
今の世は大きく乱れている。およそ四十年間続いているヤマト国連合とクナ国連合の戦いはいつ決着が付くのか見当もつかない。確かに自分たちだけが何事もなく平穏に暮らすというのは虫の良い話かも知れない。
「わかった。無理をする時はふたり一緒にだ。わかったな?」
「うむ」
ヒミコは出来る限りの笑顔で答えた。なによりヤヒコがふたり一緒にと言ってくれたのが嬉しかった。これ以上ない味方を得たと思えた。




