第十三話 隣り合わせた危険
ミカズチは集められるだけの兵をかき集めて川へ向けて急行していた。事態は王族の命が関わっている。とにかく急がなければならない。しかし、現地へ到着した途端に兵たちがへたばっては意味がない。ミカズチは兵たちの疲労の度合いを見極めつつ、行軍の速度を調整する。
それよりもやや後方を付き従っている副官のイワサクが兵たちに激を飛ばした。
「気合を入れろ! 遅れるなよ!」
あまりにも急なことだったので五十人を集めるのがやっとだった。なにしろ情報が足りない。鬼神の怒りはどの程度なのか。果たしてこの数で鬼神を押さえられるのか。ヒバリはカグツチ王子の治療に専念しており、同行していない。状況は自分が判断しなければならない。場合によっては自分たちが盾となって鬼神を防ぎ、ヒミコにはそのすきに逃げてもらう。その場合、自分たちは全滅することになるかも知れない。ミカズチはそこまで覚悟を決めていた。
ヤマト国と川の中間地点あたりまできた。ミカズチはまた兵たちの方を振り返った。まだ脱落しそうな兵はいない。この速度を維持すればよさそうだ。ミカズチは兵たちの疲労を気づかって声をかけた。
「頑張れ! 一番乗りした者には褒美をやるぞ!」
すると、イワサクが前方を見てどなった。
「ミカズチ様、前方に誰かいます!」
「ヒミコ様じゃないか?」
「もうひとりいますね」
ミカズチは二人に向かって呼びかけた。
「ヒミコ様ぁ!」
「ミカズチ殿!」
ヒミコに肩を貸して歩くヤヒコが大きく手を上げて振った。ヒミコは限界が訪れたのかガクッと力が抜けて気が遠くなった。ヤヒコが慌ててその体を支える。
ふたりのもとに駆けつけたミカズチは深々と頭を下げた。
「おふたりともご無事でなによりです」
イワサクも遅れて駆けつけた。やはり同じように頭を下げる。
「ヒミコ様、わたしが背負わせていただきます」
「イワサク殿、助かります。俺が背負いますと言いたいところですが、さすがに疲れました」
ヤヒコはミカズチに肩を借りて歩いた。そして兵たちがそれを取り囲んで守る。
「では、帰還するぞ。ヤヒコ様、まいりましょう」
「はい」
一行はヒミコに負担をかけないようにゆっくりと帰り道を進んでいった。
◇ ◇ ◇
翌日、ヤヒコは拝謁の間で第一王子ミズヒにカナソナ国を偵察した結果を報告していた。出発前とは違い、国王イザナギの姿はない。昨日の騒動を受けて自ら兵を率いて偵察にでかけたのだ。ヒバリの見立てでは水の神はヒミコの姿を見失って落ち着きを取り戻しているだろうとのことだった。しかし、神の怒りが治まらずに付近を通りかかった民が襲われては困る。そのための一応の視察である。
ミズヒは立ち上がって上からヤヒコを見下ろしている。ヤヒコは平伏したまま報告しているため、どんな表情をしているのかは見えない。しかし、一ヶ月の偵察を経て様々な経験を積んだヤヒコは一回り大きく成長したような印象を感じさせた。
「つまり食料の備蓄は十分あるということだな?」
「はい」
「兵力はどうだ?」
「二千人の兵は動員できるかと」
「ふん、我が国の敵ではないな」
「ですが、兵の鍛錬は怠りなく行われていると感じました」
「油断はするなと?」
「はい。ただ、ミカズチ殿のような武勇に優れた者は私が見た限りは見当たらず……」
「貴様の意見など求めていない! 見たことだけを話せ!」
「はっ、申し訳ありません」
ヤヒコはミズヒではなくイザナギに直接報告したかったと感じていた。ミズヒは敵を侮りすぎる。自分の報告にミズヒの私見が入ってイザナギに報告されれば、それは害しか生まないだろう。
「もうひとつ、ご報告したいことがあります」
「なんだ?」
「巫術師が儀式に失敗して死亡するところを目撃しました」
「そうか! では、今はカナソナ国には巫術師はいないのだな?」
ミズヒの様子が明らかに変わった。これまでのいら立ちを含んだ口調から喜びさえ感じさせられる口調へ。ヤヒコの不安は余計に高まった。
「はい、その若い巫術師を指導していた者も共に死亡しました」
「そうか、それならば余裕で勝てるな。ふふふ、父上も喜ばれるだろう」
「……」
「ご苦労だった。下がって良いぞ」
「はっ」
しかし、ヤヒコは立ち上がらない。どうしても疑問が拭えないのだ。一体この人は自分の妹のことをどう考えているのか。ヒミコも儀式に失敗して死にかけたではないか。
「ヒミコ様が儀式に失敗されたそうです」
「おまえが助けたそうだな」
「はい。たまたま帰国の途中で通りかかりました」
「余計なことを……」
「申し訳ありません。ミカズチ殿の出兵が無駄になりました」
「まあ良い。しかし、おまえは人質であるということを忘れるな。だれもおまえが功績を上げることを望んではいない」
「ははっ! 考えが足りませんでした」
「もうよい。下がれ」
「ははっ」
ヤヒコは立ち上がるとその場を後にした。しかし、その表情はこわばったままだった。
その足でヤヒコはカグツチの居室を訪れた。そこには治療のためにヒバリもいると聞いたからだ。建物の入り口に立つと顔を両手で叩いてほぐした。怪我人を見舞うのに深刻な顔をしていてはまずいだろう。
「失礼いたします。ヤヒコです」
「おう、入れ。ちょうど良かった。暇で暇で仕方ないんだ」
ヤヒコが部屋に入ると、ヒバリはカグツチの太ももの怪我を覆う布を換えていた。ヒバリの巫術の力のおかげか出血は止まっている。しかし、赤い肉がのぞいており、傷口が完全に塞がったわけではないことはヤヒコの目にも明らかだ。
「お怪我はいかがですか?」
「大したことはない。もう平気なんだが、ババ様が離してくれんのだ」
「それはよかったです。ここはババ様に任せるのが一番でしょう」
「おまえまでそう言うか。親父にも怒られたところだ」
「はははは、そうですか。王命とあれば動くわけにはいきませんね」
「まったく、どいつもこいつも心配症で……いてて、ババ様、もう少し優しくしてくだされ」
「我慢せい。まめに薬草や布を交換せねば、治るものも治らん」
治療を施すヒバリの手際は見事だ。あっという間に患部が清潔な布で覆われていく。一通りの作業を終えて、ヒバリは汚れた布を持って立ち上がった。
「すぐに戻る。ヤヒコ、カグツチが動かぬように見張っておれよ」
「はい、わかりました」
「ちぇ、おまえもババ様側か」
「お許しください」
ヒバリは部屋を後にした。にこやかな笑顔だったヤヒコの顔が真剣な表情に変わる。カグツチもその表情を見て、ただならぬ相談があると察した。
「どうした?」
「あの儀式はまた行われるのでしょうか?」
「さあ、ババ様に聞いてみなければわからんが」
「俺はカナソナ国で巫術師が儀式に失敗して死ぬのを見ました」
「そうか。鬼神の力は恐ろしい。それを人間の手で使おうと言うのだ。危険が伴うのも当然か」
カグツチの表情が曇った。カグツチも目の前で鬼神の力を目の当たりにして、自分も負傷したのだ。その力の強さは身にしみている。
「あの儀式はヒミコが願い出て始めたのだ。水の神の力を得たいというヒミコの思いは相当強い」
「ババ様はなんと?」
「だいぶ迷っていた。なにしろヒミコの成長は自分の時よりはかなり早いらしい。これまでにこんなに早く巫術を習得していく例は聞いたことがないと言っていた」
ヒバリが戻ってきた。ここでヒバリにも話したほうがよいのかヤヒコは迷った。ヤヒコはできればカグツチには兄として反対して欲しいと思っている。あの場に居合わせたものの意見ほど説得力があるものはないだろう。果たしてヒバリはどう考えているのか。
カグツチはヤヒコの意を察したのか単刀直入に聞いた。
「ババ様、またヒミコが回復したら水の神の儀式をやるのか?」
「ヒミコがやるといって聞かぬだろうな」
「あいつは頑固なところがあるからな。ババ様はどう思うのだ?」
「まだ、早いのかもしれん。それに水の神がヒミコを生け贄として要求したのも気にかかる」
「恐ろしい執着だったな」
「ワシのような年寄りになってからの方が良いのかもしれんな」
水の神の怒りを鎮めるために美女を生け贄に捧げることは古くから行われてきた。どうやら水の神は好色らしい。ヒミコの美しさに水の神が惹かれたとすれば、契約には障害となるかも知れない。
ふたりとも儀式の再開には反対のようだ。ヤヒコはふたりに向けて切り出した。
「ババ様、カグツチ様、この場にヒミコを呼んで話をしませんか?」
「そうだな」
「ヒミコの体力が回復したらじゃがの」
ヤヒコの提案に二人は同意した。




