第二章26
その夜はあっさりとした別れだった。翌日のフランソワとの合流について話をして、警備の人員交代の時間まで部屋の中で待機した後、時期を図り窓から退室する。
ただ、あっさりとはしていたが、甘さが全くなかったと言えば嘘になる。窓枠に足をかけたときに服を引っ張られる感覚がして振り向くと、さっと近づいたエメリーヌが別れの挨拶とでも言うように口付けてきた。
昨日今日の間だけでもう散々してきて、更には今も自分からしてきたというのに、それでもエメリーヌは口元を手で隠して頬を赤くしながら小さく手を振っていた。
見惚れそうになるがそれで頭から落ちてしまったなんて笑えない。手を振り返しすぐさま前を向き、慎重にかつ素早く窓から地面へ降り立つ。
そのまま窓の下に待機して、後から飛び降りてきたアリスとクロエを抱きとめた。そして三人全員無事に降りたことを確認すると夜の闇に紛れるように隠れながら宿へと戻る。
寝室に入るとダンジョン探索や戦闘、鍛錬とは別種の疲れが一気に押し寄せてきたように自然足はベッドに向かう。先程に関しては俺たちはほぼ聞いているだけだったが、僅かに余計なことをしただけでも雰囲気を崩して台無しにしてしまう可能性もあった。
言うなれば自分がすることはほぼない冠婚葬祭や大会のようなものだ。殆ど当事者ではないものの、挨拶やちょっとしたマナーが必要な程度の出番はある。端的に言えば肩が凝ってしまった。
それを把握したのかサッとアリスが背中にまわり、適度な力加減で欲しいところに指を食い込ませてきた。思わずおぉ、おぉー……と妙な声をあげてしまう。
「ふふ、ある意味大役でしたね、お疲れ様でした」
「演出に必要不可欠ではあったからな、結構緊張するもんだ」
「ボクたちは本当に見てるだけでしたからね。なんだか申し訳ないです。まぁ、万が一のことを考えれば護衛としてついていく必要はあったから、留守番って選択肢はないですが」
「とはいえ、ジッと待っているっていうのもそれはそれで疲れただろ。クロエもほら」
ぽんぽんと膝上を叩く。そうすればクロエは目を輝かせてそこへ乗った。
小さな子供のような背丈ではあるが、相変わらず肉付きなどは女性のそれだ。アリスの場合は胸こそご立派に育ったが、それ以外はまさしく少女の体である。
二人の体を見比べると、ドワーフという種族が普通の人間とは体の作りからして違うのだなと改めて認識させられた。
クロエの肩に触れてみるとかなり張っていた。これは昨日今日でなったようなものではないだろう。おそらくは日々の鍛冶や細工による負担のせいだ。
「これからは怪我をしてなくても、疲労が酷いなら言ってくれ」
「職人としてはこれくらい普通なので……はぅんっ、あ、ぁ、これ、きもひぃ……」
何やら言おうとしたクロエの肩を癒しの奇跡を維持したままの手で揉み上げて黙らせる。過酷な職人としての作業によりパンパンに張った肩がみるみる柔らかくなっていった。
力を入れなければ動かなかった指がやんわりと沈み込む。そして指を動かすたびにクロエは小さく震えながらだらしなく口を開き言葉にならない声を漏らした。
「あ、ぁー……」
目は虚ろになり、半開きになった口元は力が完全に抜けているのだろう、たらりと一筋の線を引くように唾液が流れ落ちていた。ふるふると僅かに震えている肩をポンと叩く。
「ひんっ」
「ほら、終わりだ」
「あ、あぃがろぉーございまひた……」
お礼を言ったクロエはふらふらとそのままベッドへと倒れこんだ。はぁーと満足気な溜息を吐きながら幸せそうな顔で寝転んでいる。
それを横目で確認しながら、もう一度膝を叩く。勿論のこと、俺の肩を揉んでくれていたアリスに対してだ。叩かれた膝を見て、彼女はいそいそとそこへ乗る。
彼女の場合も毎日のように些細なズレさえ気にして修正を繰り返し、それを何百何千という数をこなしているせいだろう、子供だというのに肩がかなり張っている。ほぼ日課となっている尻叩きとそこへ使っている癒しの奇跡に加えて、全身のケアも必要かもしれない。
癒しの奇跡を起こしその光を維持しながらアリスの肩を揉む。
「ふっ、くぅん……!」
クロエと違い、耐えるように声を抑える。
しかしそのまま何度もぐりぐりと揉み込み、その肩の張りを瞬く間に柔らかくしていけば耐えることもできなくなっていった。
「はっ、ひぃんっ、ん、んぅー……はっ、はぁっ……」
びくびくと体を震わせながら息を荒らげ、大きく口を開きどうにか息を整えようと浅い呼吸を繰り返すアリス。それに対し指に少し力を入れ、ぐいっと肩に指を押し当てる。
「あぁあああぁー……」
堪らず恍惚の表情を浮かべたアリスは体を弛緩させて肩から広がる快感に身を委ねる。それを確認して一つ頷くとさらに揉み解してからクロエの隣に横たえさせてあげた。
ほぅと、ぼんやりとした表情のまま二人はベッドに倒れこんでいる。
ただアリスが何かに気付いたように小さく声をあげて、申し訳なさそうに倒れたままではあるが、俺を見上げてきた。
「どうした、アリス?」
「いえ……リク様の癒しの奇跡があれば、私が肩を揉む必要はなかったなと」
それを聞いた俺はすぐさまアリスの頭を撫で頬を撫で、膝枕をしてやった。
突然の行動に目を白黒させながらアリスは呆けた表情で俺を見上げる。
「大切なアリスに労わられて嬉しくないわけないだろう。必要だよ、ありがとう」
「……えへへ、はい」
俺のお礼にアリスは顔を綻ばせて、膝にすりすりと頬ずりをした。
それを見たクロエが倒れたまま俺の膝によじのぼり顎を乗せる。更に俺の手をとると軽く数度握るようにされたあと、いつもの如く指を口に含まれ労わるように舐められる。
「ボクの労わり担当は、リクさんの手なので」
「クロエがやりたいのもあるだろうけどな……でも嬉しいよ、ありがとう」
「んぐ、む……くふふ……かぷっ」
口内に捕らわれた指を動かし内頬や舌を撫であげるように動かせば、嬉しそうに笑い指を再度甘く噛んできた。
しばらく膝枕を続けていたが、そろそろ俺も眠たくなってきたので二人の間に寝転がるようにして腕枕へと移行した。腕に頭を乗せたアリスがふんふんと匂いを嗅ぐ。
「エメリーヌさんにもしてあげたんですね」
なんでわかるの。ほんとこの子凄い。色んな意味でゾクゾクしちゃう。
アリスはにまぁっと笑みを浮かべた。いつもの彼女である。
「貴族のお嬢様、しかもあんなに豊満な体をした方に腕枕ですか。さすがはリク様ですね。ただの町娘の私がしてもらうためには、色々とご奉仕するべきでしょうか……」
ぐいぐいとたわわに育ったそれを押し付けながら体を寄せてくるアリス。こちらのツボを日に日に把握していっている彼女の攻勢に俺はたじたじ、ただ内心はむしろありあり。
いや、内心はというか、ほぼオープンなわけだが。ごく自然に彼女の言葉と動きに誘われるように胸に手がのびているわけであるし。ただ、それはそれとして。
「アリスがお願いすれば、大体のことは聞くけどな」
「ひゅぅー……」
アリスの口から変な息漏れの音が出た。やはり意識の外に押しやっていただけで意識させられると思い出して照れるらしい。熟れたリンゴのようになった頬が愛らしい。
そんなアリスの様子を尻目に、クロエはマイペースに俺の手を食んでいた。舐め上げ甘く噛んで、どこから取り出したのかハンカチで軽く拭くと頬に押しあてる。
「はぁー……やっぱり落ち着きます……よく寝られそう」
俺の手の感触がないと寝つきが悪いというのは本当だったのか。俺の手には安眠作用もあるらしかった。クロエ限定だろうけれど。
何故ならアリスはそれからしばらくの間眠ることができず悶々としていたからだ。彼女が落ち着いて眠るのを見届けてから、俺もようやく眠りについた。




