其の二十三「神前試合」
◇ 豊穣神社前 午前0時 ◇
「っと、うわっ!」
バックステップ。目の前からやってくる刃を躱す。
後退後はすかさず利き足で踏み込み、今度はこちらが赤竜刀を振り下ろした。
「甘い!」
が、振り下ろしたばかりだったはずの相手の太刀によってそれは防がれる。
おいおい、あんなに重そうな太刀使っているのにどうしてそんなに素早く振るえるんだ。
赤竜刀は打刀だからまだ長さも控えめでやりやすいが、太刀はそうもいかない。銀色に閃くサイドテールとそこから覗く銀色の耳。そして四本のしゅっとした美しい尻尾が戦意を表すようにうねって、本人は非常に楽しそうに笑っている。
神社の目の前、神前試合でもするかのように俺と――銀狐の銀魏さんは刀を構えて対面していた。
神社の境内のほうには刹那さんと、はらはらした様子の春国さん。それから目隠しがあるのに、まるで見えているかのように俺達の試合を観戦している金狐の金輝さんが控えている。
春国さんが報告をするからと神社に向かって少し。春国さんがお目付役である二匹の狐の神使にも協力を仰ごうとして、銀魏さんが苦言を呈した。
曰く、春国さんは友人だから分かるが、自分達は仲良くなった覚えなどない。自分達を利用したいならば、実力をその身で示せと。
だからこうして赤竜刀を構えている理由はひとつだけ。
「どうした? 一太刀でも俺に浴びせて来なければ、合格は渡せんぞ。あに様に無様な試合を見せるんじゃない!」
「はい!」
彼と試合し、一太刀浴びせる。それが、協力してもらうための条件であった。
彼の振るう刃は太刀『南風丸』
以前、冗談みたいな理由でハエ叩きに偽装して持ち歩いているなんて言われていた刀剣だが、その威力は絶大だ。銀魏さんは人間の俺に合わせて試合してくれているとはいえ、あまりにも強い。長年自身が妖狐に堕ちることなく、研磨し怪異を退治してきた腕は、ぽっと出の俺なんかよりもよほど精錬されている。
正直なところ、相手が手加減してくれているのに勝機が全く見えない。
一回攻撃を当てれば終了……なのに、まるで当たる気がしないのだ。
「舐めているのか? 正攻法でド素人のあんたが俺に勝てるわけがなかろう。なにがなんでも当ててやると向かってこい!」
呆れたように銀魏さんが言い放ち、踏み込む。
上段から振り下ろすような大振りの仕草。これなら防げると赤竜刀を掲げ鍔迫り合いに持ち込もうとした。
しかし、振り上げた彼の手からポロリと太刀が離され、一本の尻尾が柄を絡め取り、上に向けた防御の姿勢をとっている俺の胴に横合いから手痛い峰打ちが入った。
「っぐ」
手加減されているとはいえ、ものすごく痛い。
慌てて身を逸らして受け身を取ったものの、思い切りバランスを崩して倒れ込む。
「おら、これで首四つは取ったぞ」
目と鼻の先に突きつけられた刃は、その刀身に俺の怯える瞳を映し出している。真剣にやっているのに、勝てない。圧倒的な実力差に、気圧されている。それが如実に現れているのだ。
起き上がって、距離を取る。
「リン」
「きゅーきゅ」
リンに訊いても、やはり赤竜刀に決意の炎は宿らない。
なぜだ、なぜいつものように決意の炎が宿らない? なにが足りないんだ。紅子さんのために協力が必要だ。そのチャンスがあるなら掴まなくちゃいけないのに……!
リンの視界を借りてなお、銀魏さんの隙が見えない。
これ以上長引いたら日付が変わってしまう。
「あんた、普段怪異に対処するときは刀を振り回して当てるだけなのか? 違うだろう。どんな手段を講じてでも向かってこい。赤竜刀の『無謀断ち』が発動していないのは、あんたの気持ちの問題だぞ」
「俺の、気持ち?」
銀魏さんは視線を鋭くして頷く。
「下土井令一。あんたは、俺が味方だから手加減をしている。到底勝てない、無謀だと心の底から思っているのに、赤竜刀がその想いを力にできないのは、あんたが俺を害したくないと思って手加減しようとしているからだ。あんたは敵相手でないと、その全力を出せないでいる。知り合いに決して本気を出せない。傷つけたら怖いなんて思っているからだ」
確かに、心のどこかで傷つけたくないと甘いことを思っているのかもしれない。
「舐めやがって。そんなに信用がないか? あんた如きの一太刀を浴びて、この俺が死ぬとでも? そんなに柔だと思われるなど、不愉快だ!」
ビリビリと耳を叩くように彼の怒声が響き渡る。
心底嫌そうに、不愉快そうに。ああ、この感じ。そうか、紅子さんの言う「優しいんじゃなくて、キミがやりたくないだけ」と一緒だ。
無意識下の手加減が、彼の逆鱗に触れている。
そうだよな、俺なんかが全力で打ち込んでも、彼が死んだりするわけがないんだ。そうだった。
「あんたの持てる手段を全て使って俺に向かってくるがいい! 俺はあんたの格上ぞ! 格上喰らいの『無謀断ち』を使いこなせ! 後先のことなど考えずにがむしゃらに来い!」
赤竜刀を両手で構え、目を瞑る。
そうだ、今目の前にいるのは、打ち倒すべき敵。
普通なら絶対に勝てないような、向かうだけ無謀な相手。
だけれど、それに勝たなければならない。
無謀を決意に。
意識を変えろ。
どんなに威力が出たって、彼なら大丈夫。
彼に勝つ。勝つんだ。
「手段は、選ばない」
宣言して目を開ける。
まさか食後にこんな激しい運動をすることになるなんて思いもしなかったが、ちょうどいいのかもしれない。彼が試してくるということは、これを突破すれば協力してくれるということだ。出し惜しみしている場合じゃない。
「お願いします!」
「おら、さっさと来い!」
ゆらりと揺れる薔薇色の炎が、ちらちらと輝いていた。




