其の二十二「二者択一? 無理に決まっている」
「そうそう、それが一番重要なんだ。なあ、あんた。結婚式をあげるなら、お相手の子に着てもらいたいのは白無垢かい? それともドレス?」
その瞬間、俺の頭の中は真っ白になった。
白無垢を着て、その下からちらりと覗く紅い瞳が俺の方を上目で見上げる姿。ほんの少しだけ照れて目を逸らす姿。まとめあげられた髪に神前で誓い合う俺達……。
ドレスならいっそう華やかで素敵な姿が見られるだろう。
ふわふわのドレスか、それともしゅっとしたマーメイドドレスなのか。赤のよく似合う彼女が白を着たらどれだけ儚げに見えるのだろうか?
ベールをそっと上げて俺を見上げる紅子さんは、いつものように悪戯気に笑って誓いのキスを……はっ!? そうじゃなくて!
「えっと」
「顔がにやけてるぜ旦那ぁ」
「刹那さんこそ、似たような妄想しているんじゃないですか?」
「お前さんには言われたくないぜ」
三者三様の笑み。
まあ、つまるところ全員が全員、好きな人で白無垢とドレスの妄想をしていたわけだ。二人のにやついた顔を見れば分かる。
こういうとき、紅子さんがいれば「これだからヘタレ童貞は」みたいなことを言われるんだろうな……。彼女がいない寂しさを覚えて少し俯く。
「ほれほれ、どちらがいいんだい?」
それはそれとして頭を抱える。
お客の前でニヤニヤとしながら煙管をふかしはじめる狸は、ちょっと文句を言ってやりたいぐらいには意地悪な顔をしていた。
「白無垢……ウエディングドレス……どちらも捨て難い……」
こんなんだからムッツリスケベって言われるんだよな。知ってる。
ああああでも! 白無垢姿の紅子さんが俺を見上げてくる妄想も! ドレス姿でしなだれかかってくる妄想も! どっちも現実になってほしいんだよ!
いつもの格好で似たようなことはしてくれるだろうが、やっぱり特別感は欲しいというか……! いやしかし、二兎を追うものは……とも言うし、きっぱりと決めるべきか……?
「おにーさん、誓いのキス……しようよ」
んんんんんんっ。
いや、紅子さんはこんなこと言わない。言わないから!
せいぜい「まだ覚悟が決まらないのかな? おにーさん」だ。知ってる。あの子が直接的にキスしてなんて言うわけないからな!
ん、そういえば……? 昔紅子さんとドレスとかの話をしたような。
―― お兄さんのお嫁さんになる人は、世の中の主婦に共通してる半分くらいの悩みが解決しそうだね。
――つまり、どういうことだ?
――これで通じないの? ええと……家事に理解のある男性は貴重だってことだよ。苦労を知ってるんだから、お嫁さんに押し付けたりしないでしょ?
――ああ、なるほどそういうことか。
なんだっけ。そのあと、とても大事なことを……?
――そんなこと言うってことは、紅子さんも花嫁とかには憧れたりするのか?
――んー、よく分からないかな。ドレスも白無垢も着付けが大変そうとしか思えないからねぇ。
――まるで夢がないな。
――それに……。
『アタシ、幽霊だよ? 死んじゃってるのに夢もなにもないんじゃないかな。アタシは消滅する気なんてさらさらないから、置いていかれるって分かってるのに恋なんてするわけないって』
「あ……」
消滅する気なんてないって言っていた癖に。
置いて行こうとしているのは、紅子さんのほうじゃないか。
もうこうなったら、着付けが大変だろうがなんだろうが、日にちを空けるでもして白無垢もドレスも両方見させてほしいくらいだ。
俺だって和洋の結婚式、どちらもやっていいと思うし、どちらもやりたい。きっとものすごく疲れるだろうが、それだけいい思い出になるし、やりがいがある。もしも紅子さんが渋ったのなら、そのときはそのときだ。本気で嫌がるなら尊重する。
だから。
「俺は両方見たいです」
突然質問の答えを言い出した俺に対して、絹狸さんは硬直した。
煙管の煙がジュッと音を立てて灰が落ちると、彼女は「あっつ」と言葉を漏らして慌てて立ち上がった。まさか俺がこんなに欲張りな主張をするとは思っていなかったのだろう。
「っぶ、旦那ぁ、言うねぇ」
「反省はしている……が、答えを変えるつもりはない」
春国さんも袂で口元を覆っているようだ。上品に笑っているあたりに育ちの良さを感じる。
「いいだろ、人間は欲張りなんだ」
「そうは言うけどなぁ。しかし、俺も馬鹿にして笑っているわけじゃないって分かるだろ? 旦那」
「それは痛いほど伝わってくる」
「だろぉ」
欲張りなら欲張りらしく、全部を選んでもいいだろう。
さて、対する絹狸の反応は?
「アッハッハッハッハ!」
硬直が解けたあとはめちゃくちゃ笑っている。
「いやねぇ、アタイもアンタに協力したいのは本気だよ? その上で質問したんだ。どっちがいい? って。アタイも呉服屋だからね、張り切ってやろうかと思って」
「それってもしかして」
「そうそう、作ってやろうってんだよ!」
これは、ミスか?
呉服屋なのだし、白無垢なら喜んで用意してくれた可能性があるのか。やらかした……?
「いいよ」
「え」
ひとしきり笑った後に絹狸が椅子にどかりと座る。それから椅子の上で豪快に足を組むようにして笑った。
「洋装も練習したかったところだ。アタイには手伝いもいることだし、その子なら喜んでアンタの手伝いをするだろうさ」
「その、手伝いの人って?」
呉服屋で働いている人に知り合いは絹狸以外にいなかったはずだが。
そこまでしてくれるような知り合いっていたかな。
「茅嶋麗子。かつて、アンタと紅子に助けられた『てけてけ』がここで働いているのさ。アンタは知らないだろうが、ちょくちょく紅子もここに来て面倒を見ていたことだし、恩は山のようにある」
てけてけ……って、紅子さんの誕生日のときの子か!
「ありがとうございます」
丁寧に頭を下げて唇を噛み締める。
繋がっているんだな。いろんなところで、まるで糸のように……縁ってやつが。
俺と紅子さんを中心に張り巡らされた縁の数々。
今は俺の小指にあるだろう、赤い赤いあの子の瞳のような色の糸は見失ってしまっているが、必ず見つけ出す。
みんなが先んじて用意しようとしてくれる、俺達への祝福。
こんなによくしてもらって失敗するなんてありえない。
だからきっと、待っていてくれよ。
胸に手のひらを当ててしみじみと祈る。
「外堀を埋めていくのは大切だぜ旦那。頑張れ」
「もう、どうあがいても逃げられないと思いますけれど……」
おいそこの親友二人、雰囲気をぶち壊すのはやめてくれ。




