其の十七「あやかし夜市の姫寿司屋」
◇ あやかし夜市 午後九時
「さすがにこの時間になるとお腹が空くな……」
「おっ、旦那食ってくかい? 旦那でも食えるやつは……っていうと」
夕飯を食べずに行脚しているので、さすがに腹の虫がきゅうと切なげに鳴き始めた。でもあやかし夜市の食べ物は大半が黄泉竈食……あの世のものだから食べると現世に戻れなくなるものばかりだ。真宵さんは人間でも食べられるものはあると言っていたが、俺にはそれの見分けもつかないし、刹那さんや春国さんに教えてもらうしかないんだよな。
「お腹が空いていたら狐火も使えませんからね」
うんうんと頷いて春国さんが言う。
腹が減っては戦もできぬ……の狐バージョンかなにかだろうか。あやかし、神それぞれ違う言いかたがあって、たまに聴くと面白い違いだ。狐にとって狐火は簡単な術ということなんだろうか。こうしてたとえに出されるとすると。
「ええと、僕の神社から出している果物関係の出店や、あちらの縁日に近い出店の食べ物は令一さんでも食べられますよ。あと、あそこのラーメンとか」
指差された方向を見ると、春国さんの神社の出店はもも飴。りんご飴やあんず飴ではなく、もも飴。仙果が桃っぽかったので、あれももしかしたら仙果なのかもしれない。普段は薄めて使う薬みたいなことを言っていたので、ああして果物ごと売っているということはそこまで効力の強くないやつなのかな。
他にも焼きそばやたこ焼き、ホットドッグに焼うどんなんかが目についた。
逆に調味料をつけずに白焼きになっているタイプの謎の肉やでかいタコの足ような……要するに触手っぽいやつとかは明らかに俺が食えるものではない。
それらを視界から外していると……。
「あ、川姫の姫寿司屋が出てます。レアですね……僕あそこ行きたいです」
「俺はいいぜ。旦那はどうする? あの寿司屋も旦那が食えるもんしかないはずだ」
「寿司か……気になるな。行く」
実際、夕飯はしっかり食べておかないと。
刹那さん達は分からないが、俺は食べないと簡単にエネルギー切れになる人間だ。あと思考力も落ちる。怪異達と協力してくれるよう交渉するためにも、詭弁を使える程度の思考力はないといけない。あと問題なのは眠気だが……それはあとでなんとかすればいいだろう。
「ほら、あそこですよ。今日は出張店舗をやっているようです」
「店建てて定期的に来るんだよなぁ、あのお嬢」
彼らが目指しているのは石畳の脇に建てられた小さな店。出店ではなく、しっかりとした店だ。こんなところあったかな? と疑問に思いつつも手招きする刹那さんについて歩き、暖簾を潜る。
今日はやっている……という言葉からするにやっていないときもあるんだろうな。多分、俺が前に来たときとかはやっていなかったということだろう。もしくは、単純に気がつかなかったか。初めて来たときはおっかなびっくりだったし、そのあと真宵さんや紅子さんと来たときは途中で葛の葉ヒュドラの件があったから詳しくみている暇はなかった。覚えていなくても不思議ではないだろう。
暖簾を潜ればそこはカウンター席がいくつかある対面式の寿司屋になっている。いわゆる回らないほうの寿司屋だ。回らない寿司屋の初めてがあやかしの経営するものというのが、なんというか……貴重な体験だよな。
「いらっしゃいませ、ようこそ寿司屋『うお姫』へ」
店主らしき女性がふんわりと微笑む。ウェーブがかった長い金髪。しかしその髪の内側は銀色という不思議な髪色の女性だ。薄い青と黒の混ざった着物を着ていて、なによりも特徴的なのはその耳だろうか。髪の隙間から覗く、本来耳がある位置からは魚のヒレに似たものが突き出ている。
イメージするのは人魚姫だろうか。
軽く会釈して刹那さん達に続き、カウンター席へ。
女性の後ろを見れば看板には確かに「うお姫」の文字が踊っている。
だから姫寿司屋か、なるほどな。
「男性三名さま……ですか」
少々憂いを帯びた表情になったものの、店主は気を取り直して「ご注文がお決まりになりましたら言いつけてくださいまし」と微笑んだ。
周りを見ればそこそこお客さんが入っているようで……と、そこで知った顔を見つける。
「あれ?」
白い着物にほわほわと浮かぶ白い人魂。赤い椿の簪でまるで着飾った鶴のような女性、そして、その隣には雨垂れ模様の黒い着流しに雷を思わせる黄色の羽織をした男性。
「真白さんに、破月さん?」
「あら、来たの」
「おお、ここが先か。よきかな」
淡白に返す真白さんに、機嫌よく笑う雷鳴竜、破月さん。
この二人にも協力を願いたいと思っていたところだし、ちょうどいいと言えばちょうどいいのだが……。
「お二人も来ていたんですね」
「あゆるが来てって言うからよ」
「座敷童と兎は留守の守りをしている故、土産を買ってやらんとなあ」
あゆる……というのは店主の名前だろうか。
「あ、俺シメサバで」
「おっと、遠慮しなくていいぜ旦那。この店はそんな高いもんじゃねーからな」
「いざとなったら僕、出しますよ」
「え、悪いって。さすがに自分で払うよ」
俺達も三人で多少揉めつつ、注文を決めて店主へと伝える。
それから雑談とばかりに、店主へと質問をすることにした。
「えっと、店主さんは真白さん達の知り合いなんですか?」
「そうですよぉ。わたくしめこそ、真白様を敬愛する怪異『川姫』ですわぁ。化け鮎とも言いますねぇ。名を、氷魚あゆると申しますぅ。よろしくお願いしますねぇ」
それを聞いて、協力をお願いするために交渉しようとしていた口から咄嗟に出た言葉は。
「鮎の化身なのに寿司屋……?」
自分も魚なのに魚を捌く寿司屋ってどうなんだ。




