SF 雪岡一花の場合
一花と雷二郎はエイジー47コピー機に乗って、月の周りを飛んでいた。月の表面三分の二ほどを基地が覆っているのが見えた。
機体は二人乗りだ。座席は縦に並ぶのではなく、横に並ぶ形をとっている。機体のコントロールを担当するのが雷二郎で、攻撃担当が一花だ。
一花はまだ信じられなかった。基地を発進する前に行った、たった一時間のシミュレーションで射撃用のレバーが手に馴染んでしまった。それどころか、撃ち方、ターゲットの動きを予測する方法、相手の攻撃を相殺するやり方、撤退時に使用する特殊光弾の使い方まで分かってしまった。それも新しい知識が大量に入って来たという感じはしなかった。はじめから、知識も技術も持っていたのだ。でなければ、こんなにスムーズな飛行はできないだろう。
今は戦闘訓練中ではなく、パトロール中だ。敵影は見当たらず、一花は手持ち無沙汰だった。
隣にいる雷二郎に話しかける。
「ねえ、ライ。風二郎と月夜、どうしてるかな?」
「あっちも今頃は宇宙を飛んでるんだろうな。月目指して。なんたって地球軍のエースパイロットだ」
「心配じゃないの?」
「兄貴がいるなら大丈夫だろう」
「ホラージャンルの時も思ったけど、ライってなんだかんだ言って、フウのこと信頼してるよね」
「そう見えるか?」
「少なくとも私よりは頼りにしてるでしょ」
「そうかもな。でも一緒にいて疲れないのは一花の方だよ。兄貴といると体がもたない。振り回されている月夜には同情するけどな」
風二郎と月夜が地球軍のエースパイロットであることは作戦資料に書いてあった。作戦資料には、これから一週間以内に起きてしまうであろう、地球軍との直接対決についての対応がこと細かに記されていた。
中でも次の三文は赤字で書いてあった。
勝敗は地球軍のエース機エイジー47をいかに素早く叩けるかにかかっている。エイジーのスピードに対抗できるわが軍の機体は、雷二郎、一花両パイロットのエイジー47コピー機だけである。コピー機なのでスピードは一段劣るが善処されたし。
「絶対、月側が負けるよね。無茶だよ」
「いや、絶対とは言えない。早く飛べばその分、敵に狙いを定めるのが難しくなるだろうし、兄貴ならポカもある」
「まさか本気で戦うつもり?」
「なわけないだろう。直接対決になったら兄貴たちと合流。そっからはエンド条件クリアかゲートを目指す」
「え、でもヒントもないんじゃ」
「そうだな。見当もつかない。だから行き当たりばったりになるだろうな」
一花は不思議に思った。こういうとき雷二郎はイライラするはずなのだが。
「落ち着いてるね」
「実は思った以上に操縦が楽しくてな。宇宙もきれいだし。現実の世界じゃこんな体験、一生できなかったはずだ。ホラージャンルよりは千倍マシなジャンルだよ。俺、案外SFが好きなのかも」
「私も好きだよ」
操縦桿を握っている雷二郎の手に、一花は手を重ねた。雷二郎の切れ長な目を見つめた。でも雷二郎は特に反応せず、淡々と言った。
「そろそろ帰投するか。一花、オペレーター室と連絡を取ってくれ」
「はーい」
星の散りばめられた空間を眺めながら基地へ戻った。
一花は星に願い事をした。
ジャンルトリップ中にちゃんと告白できますように。
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二人は軍人用のレストランへ向かった。
「どうだ調子は?」
「エイジーの飛びっぷりはいつ見ても惚れ惚れするぜ」
「明日の訓練も頼むよ」
二人は道行く多くの人から声をかけられた。しかし、基地の中の誰一人として見覚えがなかった。
「俺たちがこのジャンルに来る前から、この世界には俺たちがいたんだな」
「何かややこしいね。私たちがこのジャンルから別のジャンルへ行くとどうなるのかな?」
「さあな。この世界はこの世界でずっと続いていくのかもな。平行世界みたいに」
二人はスパゲティ専門店に入った。
店内は見回す。木製のテーブルと椅子、壁に飾られたお皿、グランドピアノ。一花はカルボナーラを、雷二郎はミートスパゲティを注文した。ウェイターの弾いているソナタを聴きながら、料理を待つ。
「ピアノの演奏か。懐かしいな」と雷二郎が言った。
一花は遠い日のことを思い出していた。
小学校に入学する直前の春、ある日、一花は戯れに祖母の家にあったピアノを弾いた。八十八ある鍵盤の一つ一つが違う音を鳴らした。そんな当たり前のことに身を震わせた。
「初めて一花の発表会を見に行ったときは緊張したよ」
「演奏する方はもっと緊張してるんだよ」
「そうだな。確かに緊張して見えた。でも演奏が終わった後、俺が言った言葉覚えてるか?」
一花は雷二郎からも店内のピアノからも目をそらした。
「覚えてないよ。もうピアノなんて弾かないんだから、覚えててもしょうがないじゃん。あ、料理来たよ。食べよ」
料理を食べ始めると、男たちが入って来た。
一花と雷二郎は立ち上がって敬礼した。男たちの中に、朝、二人に腕立て伏せを命じたボギーという男がいたからだ。ボギーは月面軍の司令だった。
「二人ともリラックスしてくれていい。訓練や任務の時間以外は対等な人間同士だ」
朝の厳しい態度が嘘のようだった。
「一花、ちょうどいいところにいた。今日の連れは君のファンが多い。演奏してくれないか。もうあと何回君の演奏を聞けるか分からないからね」
ピアノの演奏が止まった。
「どういうことですか?」一花は困惑していた。
「つまり、一花はよくここでピアノの演奏をしていたということですか?」
「していたもなにも、雷二郎、君だっていつも一緒に聴いてたじゃないか」
一花は自分が来る前にSFジャンルにいた自分自身を呪った。
黙っていると、ボギーは笑った。
「いや、気分が乗らないならいいんだ。無理に弾かせるもんじゃない。私たちも刻一刻と迫る戦いに神経をすり減らしているが、エースパイロットの君たちの肩にかかる重圧は私たち以上だろう。食事を楽しんでくれ」
ボギーと他の男たちで店の席はほぼ埋まった。
一花はフォークを置いた。
ボギーやここにいる他の軍人のこと、声をかけてくれた人たちのことを思った。今の私は彼らと一日程度の付き合いしかないけど、彼らの記憶には昨日までこの世界にいた私が刻まれているのだ。私は無責任だ。戦いが始まったら、彼らのうち何人かは死ぬかもしれない。全滅だってあり得る。今日が私の演奏を聴く最後のチャンスでもおかしくはないのだ。
「一花、顔を上げろ」
一花は顔を若干上げたが、雷二郎の目を見ることはできなかった。
「ちょっと行ってくる」
「え? どこに?」
雷二郎がピアノの前に座った。片手で鍵盤を叩いた。きらきら星のメロディーが店内に響いた。
「今日は雷二郎が弾くのかー?」
「いいぞー、やれやれー」
「俺にも弾かせろー」
男たちは途端に笑顔になった。笑い声が演奏と溶け合っていった。
ボギーが一花の前に座った。
「雷二郎はとても楽しそうに弾くな。ま、君もだが」
「私は、あんな風には、もう弾けません」
「そんなことはないと思うがな。たとえそうだとしても、一度手にした楽しみや喜びは不死鳥のように蘇る。捨てることなんてできない」
ボギーの言葉は当たっている。一花は、机を鍵盤に見立てて叩きだしそうになっていた。
きらきら星は初めての演奏会で披露した曲だった。演奏し終わった私にライは感想をくれたっけ。
「すごく楽しそうだった。他の誰よりも。聞いてるこっちまで楽しくなった」
ライの演奏を聴きながら、必死に胸の奥に湧き上がる衝動を抑え込んだ。月夜を傷つけておいて、私だけ楽しむなんて駄目だ。
一花は店を出た。寝室に向かって歩いた。
すぐに雷二郎が追いかけて来た。
「演奏はもう終わったの?」
「ああ。あの曲以外、弾けないからな」
「いい演奏だったよ。すごく楽しそうだった。聞いてるこっちまで楽しくなるような」
雷二郎の瞳は宇宙みたいに黒く、澄んでいた。
「それでも弾かないんだな」
「それでも弾かないよ」
そう自分自身に言い聞かせた。
「強いな、一花は」
「本当は弱いんだからライが支えてよ」
一花は冗談めかして言った。雷二郎は目を見て答えた。
「ならそうさせてもらう」
「え?」
「二度は言わない」
一花は自身の心臓のテンポをキープすることができなくなった。




