ホラー 里山風二郎の場合
「桂以外にもゾンビはいるようだな。これからどうする?」
「とにかく一花ちゃんたちと合流しないと。でもどこにいるんだろう」
風二郎は北教棟の一室に電気が灯っているのを発見した。
「あそこ、電気ついてる。保健室のあたり」
「二人がいたのかな? 北教棟に渡る?」
「どうっすかなー。罠かも。ゾンビが待ち構えていたりして」
風二郎は自覚していた。自分は雷二郎ほど頭がよくない。将棋、チェス、囲碁、オセロ、どれも雷二郎には完敗だった。だから作戦を立てるのには向いていない。勘とひらめきと運に頼るしかない。
「どのみち他に手がかりはないし、行ってみるか」
二人は廊下を連絡通路へ向かって歩き始めた。窓からは満月が見えていた。
「それにしてもきれいな満月だなあ」
「ほんとだ。月がきれい」
「お、愛の告白?」
「ち、違うもん。告白の時は、私は『死んでもいいわ』の方、使うから。あっちの方が気持ちがちゃんと届きそうだから」
月夜は口の前で手を振って否定した。
会話は水面でぶつかる波紋のようだった。
風二郎は怯えていた。月夜に気づかれてないかな。張りぼての裏に潜む臆病な自分。
「死んでもいい、か。月夜は生と死が絡む物語もたくさん読んでるんだろうな」
「生死に関係ない物語を探す方が難しいぐらいだよ。To be or not to be, that is the question.だよ」
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。でも俺ならこう訳すかな。ここにいてもいいのか、それとも去らねばならぬか。生き死にって、今の自分のいる場所を肯定できるかどうかっていう問題だと思うんだよ。今の自分の居場所を否定することと死の間には、それ程差がない気がするんだ」
「フウ君って時々変なこと言うよね」
「うるせーよ」
「私は好きだけどな。フウ君のそういうところ。フウ君とハムレットって似てるかも。ハムレットは狂人のふりをする。フウ君はいつも元気なふりをする。どっちも仮面をかぶるのが上手いよ。でもフウ君はハムレットには一歩及ばない。私の前では時々、素のフウ君が出ちゃってるよ。私をホレイショーだと思って、仮面をはずしてくれているのなら嬉しいんだけどね。きっとそうじゃない。詰めが甘いだけ」
風二郎は戦慄した。髪の毛が全て逆立ちそうだった。背中には冷や汗をかいていた。
「月夜。お前、やっぱ本の読み過ぎだわ。こえーよ。何でも手に取るように分かってんじゃねーか」
「そんなことないよ。私のは誘導も入ってるからね。フウ君が勝手に自分の中のそういう一面をピックアップして、当たってるって思ってるだけだよ。多面的な人格なんて分かりっこないんだよ。ま、これはさっき私をからかったお返しです」
今度から月夜をからかう時は相応の覚悟を持つようにしよう、と風二郎は思った。
北教棟も南教棟と同じく静まり返っていた。
この世界に自分たち四人以外の人間はいるのだろうか。ふと、そんなことを考えた。
「よーし。呼ぶかー」
風二郎は三階の階段から下に向かって叫んだ。
「ラーイ。俺たちここにいるぞー。ラーイ」
「一花ちゃーん、どこー」
暗闇に向かって叫ぶのは快楽だった。まだ誰も行ったことのない宇宙の彼方へメッセージを届けているかのようだった。もしくは死の国へ。
返答があった。しかし、返答は死の国の番人ケルベロスを引き連れていた。
「走れー。とにかく行き止まりのない方へ走れー」
雷二郎の声だった。一花の叫び声も聞こえた。
階段から身を乗り出して見下ろすと、雷二郎と一花がゾンビの群れから追われているのが見えた。
「やばい、逃げるぞ」
風二郎は月夜の手をとり、階段を駆け上がった。手をとったのは、月夜を置いて行かないためだった。かつてはサッカーグラウンド、テニスコート、河川敷、バスケコートなどを走り回っていた風二郎は、校内一の俊足だった。入学したての頃は、どの運動部からも誘いがあった。
月夜の手を握って走りながら、思う。
俺は誰かの手を取って走る方を選んだんだ。一人で走っても周りには誰もいない。一人で極寒の大地を踏破するより、皆とぬるま湯に入る。
「フウ君、このままだと屋上に行っちゃうよ」
「じゃあ行っちゃえ」
屋上に出て端まで来たところで、雷二郎と一花が屋上にやって来た。
「これでそろったな」
「あ、こっち来るよ、あの二人」
雷二郎と一花は肩で息をしていた。
「お疲れ様でーす。三着、四着です」と風二郎は陽気に言った。
額に汗をにじませた雷二郎に睨まれた。
「バカ兄貴。時間がないぞ。最悪のビリが来る」
屋上の入り口から濁流が押し寄せた。濁流は四人を半円状に囲んで、フェンスまで追い詰めた。濁流は泡立ち、ゾンビが何体も現れた。ゾンビの中には、見覚えのあるものもいた。
「あ、あれ。俺と月夜のドッペルゲンガーのゾンビだ」
「フウ君、桂先生もいるよ」
「ゲート、ゲート。うさぎを映す水の鏡」
「ライ。ゲートのことはひとまず置いとかない? この状況やばいよ」
ゾンビの中から、桂ゾンビが前に出てきた。
「夜の面談はお断りですよ。かっちゃん。たとえ満月がきれいな夜だとしてもね。どうしてもと強情な態度をとるなら、ここにいる月夜が月に代わってお仕置きしちゃうぞ。な」
「私、そんなのできないよお」
風二郎は時間を稼いでいた。雷二郎が考えるだけの時間が必要だった。雷二郎なら打開策を思いつくと信じていた。
「面談ではない。食事だ。まずはドレッシングをかける。それと、桂先生だ、風二郎」
桂ゾンビは口を大きく開けると、「グエッ」という音と共に液体を口から飛ばした。
「ライ、左に避けろ」
風二郎は月夜を押し倒しながら左方向へジャンプした。
液体は四人の後ろのフェンスに当たった。フェンスはジュッと音を立てて溶けていった。液体からは嘔吐物のような異臭がした。
「まじかよ。ライ、まだか」
雷二郎は黙っている。
「くそ。おい、ゾンビよお、そのドレッシングくらったら、俺たち四人とも溶けちゃうぜ。俺たちが溶けると、お前らは食べれねーんだぞ」
「人肉もいいが、魂はさらに美味だからな。お前たちの肉体など、容れ物に過ぎない」
まだか、雷二郎。
雷二郎はゾンビたちに背を向けて、下を眺めていた。それから、ゆっくりと顔を上げ、上空を見た。
「分かったぞ。プールだ。プールがゲートなんだ。うさぎは月のうさぎのこと。それを映す水の鏡がプールだ」
興奮気味にそう言った。
「遅いんだよ。これが将棋だったら持ち時間使い切って、秒読み始まってたぞ。お前ら先に行け」
ゾンビたちは一斉に口から液体を飛ばした。風二郎は雷二郎の白衣を剥ぎ取り、盾にしてなんとか攻撃をしのいだ。
「早く行け」
「一人で足止めなんて――」
「一花。兄貴は捨て駒にはならない。行くぞ」
雷二郎が一花を連れて、先程フェンスが溶けてできた穴を抜け、屋上から飛び降りた。
月夜もフェンスの外までは行ったが、飛び下りなかった。月夜が振り向いた。
「フウ君。怖くて飛べないよ」
風二郎は歯ぎしりした。
ライの野郎。月夜だけわざと残して行きやがったな。捨て駒になるのは許さないということか。
「ああ、もう」
ゾンビたちが液体を発射するまでのインターバルが終わった。吐き出された液体の弾丸が迫っていた。
風二郎は走った。ドリブルするサッカーボールもないんだ。全力で走れる。
風のように走り抜けた風二郎は月夜の手を取り、強引にジャンプした。
空中を落ちながら、月夜に語りかけた。
「お前と一緒なら、死んでもいい」
プールの水面が迫る。水面にぶつかる前の刹那、風二郎は確かに聞いた。
「私も」
轟音が耳の中を駆け巡った。意識が遠のいていった。水面では、満月が揺れていた。




