らいおん001
倉田真帆が鞄の中に教科書を詰め込みファスナーを閉めた。その様子を確認してかららいおんは、わざとらしくないように自然な動作で立ち上がった。真帆が肩に鞄をかけて、跳ねるような足取りで教室から出て行った。らいおんは早歩きで後を追った。
らいおんは真帆の1メートルくらい後ろにつく。やっていることはストーカーと変わらない。真帆の長く黒い髪が揺れている。あの髪に触れたい、と何度思ったことだろう。
中央階段を通って2階まで降りる。すぐそこに家庭科室がある。料理部の新入部員である真帆は、家庭科室のドアの前に立ち、
「ん? 開かない。鍵とってこなきゃ」
と、踵を返した。らいおんは体を避けた。肩と肩が、かすかに擦れた。
「うわぁうわぁ! ごめんなさい! ……って、あれ? らいおんじゃん。丁度良かった。鍵とってきてよ。ダッシュで」
「どうもです」
「はい、どうもです。いやそうじゃなくてさ。鍵!」
「鍵?」
「鍵とってきてって、男子が行くもんでしょ。こういう時は。ほらほら早く! ……聞いてる私の話?」
真帆はらいおんの瞳を覗き込んだ。不審物を点検するようにじろじろ見る。
「固まってる。石になっちゃったの?」
「はっ。すぐ取ってきます」
らいおんは真帆に見惚れていたのだった。それはもう入学式の時から。いや、それよりも前の春休みの登校日の日から。同じクラスの倉田真帆という黒髪巨乳美少女に心を奪われていた。
春です。わたし、涼〇青葉……じゃなくて。
正門をくぐってから校舎の昇降口に至るまでに、長い道がある。さくらロードとか呼ばれているその道は、名に違わず、桜の花びらが華やかに舞っていた。中学時代は学校に持ってこれなかったスマホを構えて、楽しそうに写真を撮る新入生たち。制服がぶかぶかで、なんだか垢抜けてない感じが丸出しだ。
らいおんはさくらロードから離れた場所に立っていた。頭上に白い花が咲いている。これも桜の仲間なのだろうか、とらいおんは考えた。さくらロードなんていう大袈裟な名前を冠せられているぐらいだし、ソメイヨシノ以外の桜の木が植えてあってもおかしくない。綺麗だから写真を撮っておくことにしよう。
「それ、林檎の木じゃない?」
斜め後ろ、ほんのすぐ傍から女の子の声が聞こえた。
「あ~やっぱり林檎の木だ。看板にもそう書いてあるし」
独り言を呟いているのかと思った。らいおんは無視してスマホのカメラの操作に集中する。良い角度から撮りたい。
「ていやっ!」
背中に電気ショックのような激しい刺激をくらった。らいおんは訝しげに首をひねった。状況を整理してみる。ていやっ!と、誰かが叫んだ。次の瞬間に背中に痛みがやって来た。もしかして背中を叩かれたのか、でも一体どうして?
「ていやっ!」
バチーン。二度目の衝撃。らいおんは後ろを振り返った。視線がぶつかった。息を呑んだ。
「あなたのことは木偶の坊と呼ばせてもらうから。そうさせてもらうから!」
身長差、20センチ。目算で弾き出す。上目づかいでこちらを睨んでいる。可愛い……いや、尊い。
「えっと……大変です。さっきから僕の背中を誰かがバシバシと叩いてきて……困ったな。犯人、見ませんでしたか?」
「犯人……。ふむふむ、白昼堂々にそんな乱暴を働く奴がいるとは」
女の子は細い指で顎をさすりながら、考え込むように目を閉じた。
「ええ、ひどい奴です。もし見つけたら磔の刑にしてやりましょう。僕はこれから犯人を捜しに行きます。あなたも協力していただけますか?」
細く開かれた瞳から、鋭い光が漏れた。殺気を感じ、らいおんは警戒度を上げた。
「どう収拾つけるつもり?」
と女の子は呟いた。空気が凍りつく。
遠くではしゃぐ新入生たちの雄叫びが聞こえる。入学したての高校1年生は、まるで躁病に罹患しているかのようにやかましい。
「こんなくだらないミニコントに巻き込まないで。背中を叩いたのは私よ、あなたが話しかけても返事を寄越さないから悪いの」
「……警部、制服に犯人の指紋が付着しているはずです。これを鑑識に回せばあるいは」
悩んだ末らいおんは、このノリを続けることに決めた。途中でやめたら負けだ。最後まで貫き通そう。
「むむ……。なによ、変な奴」
「け、警部? ほら、仕事の時間ですよ」
「ごほん。君はここで何をしているのだ? この事件の捜査からは、もう外しただろう。君はしがない派出所の巡査に甘んじていればいいのだ。一課に君のような無能の為の席はない」
と女の子は変な低音ボイスで言った。のってきてくれたけど、めっちゃパワハラ発言だ。自分が想定していた展開と違って、らいおんは全身に薄っすら汗をかいた。
「僕はねぇ、正義の味方になりたいんですよ」
「正義の。ほうほう、君はとんでもないエゴイストだ」
女の子は嘲る者の笑みを浮かべた。色々な意味でそろそろこの女の子の名前を知りたい、とらいおんは思った。かなりノリがいいようだ。
そしてらいおんは、もうひとつ思った。どうやって収拾をつければいいのだろう。ここからは撤退戦だ。撤退戦が最も難しいと聞く。誰も傷を負うことなく、このミニコントを終わらせる術は無いのか?
ぴ、ぴ、ぴ、ぽーん。午後4時、23分、丁度をお知らせします。
陽が暮れた。
「おいおいどうしたんだい? こんな人気のない所に私を呼んで」
と倉田真帆は言った。らいおんは会話の流れで、なんとか女の子の名前を聞きだすことに成功していた。ちなみにコントはまだ続いている。ミニコントどころじゃなかった。
「覚えてますよね。7年前のあの事件」
コントの中では、すでに7年もの年月が過ぎていた。だから真帆は少し腰を曲げている。演技が細かい。
「芝居じみた台詞だ。でも悪くない」
「あなただったんですね。全て。あの時も、あの時も、そして、あの日……も?」
この7年の間にらいおんは警察を辞職してフリーのジャーナリストになっていた。学ランを脱ぎ捨てて、長袖のシャツの腕をまくっている。ジャーナリストの空気を出そうと工夫しているのだ。
「遅いぞ。らいおん。いまさら捕まえてくれるな。孫が幼稚園に入るんだ……」
4年前に真帆に孫が生まれたという設定。
「来週の月曜日に記事を出します。僕があなたに与えられる時間はそれだけです」
「まったくひどいな。そんなタイムリミットを気にしながら、どうして孫と遊べよう」
真帆はがっくりと肩を落として、背中を向けた。影が伸びている。小さくなって、やがて見えなくなった。
林檎の純白の花びらが、らいおんの肩に乗っていた。それを軽く払って、反対の方向に足を向けた。
そんな濃い出会いがあったとさ。らいおんはそんなことを思い出しつつ、ぼーっとしていた。
「だから、鍵を! 鍵を取ってこいや! なめとんのんかいワレ!」
「鍵ならここにあるよ」
真帆がらいおんにブチキレていたところに、新たな人物が登場した。大人びた涼やかな声音。どんな怒りもおさめ、どんな悲しみも癒してしまうような。
「ちなみにこれ合鍵だから。先生には内緒にしてね」
沫几は髪を耳にかけて、にこっと微笑んだ。さすが3年生の先輩だ、とらいおんは感嘆した。所作が流麗である。
「鍵、お預かりします」
「うんよろしく」
らいおんは家庭科室のドアを開けた。
「鍵、お返しします」
「ワンって言いなさい」
「わ、わ……できません!」
すんでのところで固辞した。そういうのはらいおんの性癖とは合わなかった。これまで危ない場面はいくつかあったが、らいおんは人間をやめるという選択だけは避けてきた。
なんか、名前がらいおんだからややこしい。漢字で書くと雷音だ。
「わんわん。沫几先輩。今日のご飯は何ですか?」
と真帆は露骨な棒読みで言った。飼い主への服従の意思が微塵も読み取れない。誰も御しえないドS、それが楚山沫几だ。クラスの中では相当なブリーダーをやっているらしいが、料理部の部員に対しては今ひとつマウントを取れていない。
「真帆。あなた、犬のフリをした人間ね」
沫几は驚愕の表情で呻いた。恐ろしい子……!みたいな感じで。




