第四話 お兄様の黒い笑み
ばくん、ばくん、ばくん…
周りに漏れてしまうと錯覚するほど、心臓の音は騒がしい。落ち着け、落ち着けと脳内で繰り返しパクパクと空振っている口元に声を乗せる。
「ど、して…」
普通に話しかけようとしてこの体たらく。だけどどうあっても冷静に喋ることなんて無理だ。
そんな私の心情など気づく訳もないお兄様は、にっこりと貼り付けた笑みで口を開く。
「どうしてって、何がかな?僕は可愛い妹に会いたくてここを訪ねたのだけど」
ゾワワッ
二の腕に鳥肌大量発生。だけど四歳児の私はその嘘に気付いてはいけない。常時笑顔しんどくないの、なんて感想を持ってはいけない。あくまで、カッコ良くて頭の良いお兄様大好き!設定なのだから。
「そ、なの…。嬉し、いですわ、」
四歳児の表情筋が引きつるとか…ちょっと違和感がありすぎるかもしれない。お兄様はそんな私を視界に収めて、なお蕩けそうな黒い笑みを引っ込めない。
「うん。ところでシェナ、言ってくれないの?」
「……え?」
「おかえりなさいって、言ってくれないの?ただいまって、僕言ったんだけど」
扉からこちらへ一歩一歩近付いてくるお兄様。無意識に後ずさるお尻を椅子に押し付ける。
「え、と。…………お、帰りなさい?」
「うん。ただいまシェナ」
コツ、と私の前で止まったその距離は椅子に座っている私と立ち止まっているお兄様との足先がくっつきそうなほど、近い。
「また少し大きくなったのかな。背が伸びた?」
手を伸ばし頭を撫でられる。小さな身長で見上げているものだから首が痛い。
「ど、うでしょう。メランダはいつも、成長が速いなんて言ってくれますわ」
ひくっと口端が異音を発しながらもなんとか返答すると、お兄様は何を思ったか、突然私の脇腹に両手をつけた。
「へ?」
ぎゅっと力が入れられたかと思うと次の瞬間、宙に浮いた私の体はお兄様の両腕の中にくるまれる。
「わっわわわっ…!」
なんだなんだ!何をするこの野郎!抱き締められる感触に、染まる頬を抑えられず誤魔化すように暴れてみる。見目だけはいいお兄様だ、恥ずかしくないわけがない。バクバクと速まる心臓が伝わったらどうしよう。
「おに、お兄様…!なななんですか…!?」
「ううん。可愛いなぁって思ってね。うん、可愛いすごく可愛い。シェナはやっぱり最高に可愛いよね」
ボボボッ
断言しよう。私の顔は今、唐辛子よりも真っ赤だ。おかしい。お兄様が激しくおかしい。こんなキャラじゃなかった。こんな甘い言葉を妹に向けるなんてリップサービス、異常事態だ。抱きしめられてから一度も顔を合わせられてない。はっきり言って憤死しそう。
「おっお兄様、どこか怪我をされたんですか?」
「ん?どうして?僕はどこも痛くないよ。シェナが小さくて柔らかくて、気持ちいいくらいだ。可愛い僕のシェナ。嫁になんて死んでも出してあげないからね」
ぎゃぁああああっ!
おっおっお兄様がっ怖いー!耳元で囁かれるー!絶対なんかあるよコレ!そんで発言がロリコ…シスコンみたいだよ!
「お、兄っ様…!」
「くす、くすくすくす。あぁ、シェナ。真っ赤で可愛い。可愛いなあ。……ねえ?」
低く、耳の奥まで、吹き込むように、囁いてきた。最後の音が格段に低くなったことに恐怖を感じる。
「四歳の子供に、羞恥心って、あったのかな?」
ビクッ
お兄様の腕の中ですくむ体。
ああ…っそういうことか…!
私の精神年齢を計るための甘い言葉。なら私は豪快に罠へハマったってことになる。ヤバいなあ。素晴らしい作戦だよお兄様さすが腹黒。ヒットポイントがハンパないです。
「ふふ、やだな。そんなに震えないで?可愛い可愛いシェナローゼ。ねえ、僕に教えてよ。いつの間に、魔法なんて、覚えたの?」
ハニートラップゥウウ!無理!分かってても無理!十四歳で色気出すないちいち区切って話すなぁ!そして忘れるな私は二歳児だここ重要!!
「お、お兄様…降ろ、して下さ、」
「うん。僕の質問に答えてからね」
即答!?お兄様即答!?
そして何故腕の力を強める必要が!?
「ま、魔法は、ご本を見て…覚えまし、た」
「へえ、本を読んで覚えたの。本ねえ…」
「う、うぅ、はい…」
エグり取ろうとするような追求に身が縮こまる。
「四歳で文字を読めるどころか、魔法の概念を理解して駆使できるなんてねえ。しかも並みの大人じゃ出来ないやつもいる、師級まで?」
「…」
苦い顔をした私に、その反応、と呟くお兄様。
「僕の言ってる意味が分かるんだね?ほんと、理解でき過ぎてるよシェナ」
駄目だなあ、君は四歳の女の子なんでしょう?演技するなら、徹底的にしておかないと。
下手をすると聞こえないくらいの、小さな小さな声。だが私の体を硬直させるには十分の威力だった。
「ッ!」
「くすくす…ああ可愛い」
こ、の腹黒、どこまで知ってるの。
なんで作ってるって…まあ分かりやすい反応はしたけれども。でも四歳児が演技をしているなんて、普通は気のせいだと思うでしょう?大抵の大人はそうだよ。お兄様は大人ではない、けれど成人してない子供なら益々そう思うはず。それを狙ってやってたんだから。
ふと、どんな顔をしてそんなことを言っているのか気になって、お兄様のほうをそろそろと見上げる。
「…っ!」
嗚呼、見なければ良かった。
なんて冷めた微笑み。
嬉しそうではあるけど、笑っていない目。
ひしと感じる黒い黒いオーラ。
「……お、に、さま」
「なぁに?シェナローゼ」
くすくすと発せられる声。声だけなら、きっとあの甘い言葉も信じられた。
「お兄様、私は──────」
バンッ!
突如響くけたたましい音。その音の発信源を辿り顔を振り返らせると。
「お父様…!」
息を切らせながら扉を開け放った状態のお父様がいらっしゃった。今だお兄様に抱きしめられている体制で気まずさに身を動かす。だがお兄様はガンとして離そうとはしてくれなかったので、腹黒の考えていることなど無視して諦めた。
しかし気になるのはお父様だ。お父様はあの夫婦喧嘩以来、私と顔を合わせようとするどころか、部屋からもあまり出てこなかったはずだ。それが何故、よりによって今の時間帯に、しかも書庫なんぞへいらっしゃっているのか。うん、この状況見れば分かるよね。答えは一つ。
お兄様を探しにきたんだろーよ。
「…アマンドラっ、何を、している…っ」
息切れ切れお父様。なんで走ってくる必要が?お兄様、さっそくなんかやらかしたの?
「何をって、何でしょう。僕は長い期間会えなかった妹との親睦を深めているつもりなのですが」
はい嘘っ!違います!長い期間会えなかった妹の精神年齢を測りにきたんですっ!
「………何を考えている…」
くっと眉をひそめるお父様。正しい反応です。
「くすくすくす…嫌ですね。父上は相変わらず疑り深くていらっしゃる。本当ですよ、妹が恋しくて会いにきたんです」
鳥肌復活。
しかし完璧な笑み。そう、お兄様は以前までこれが通常運転だったんだ。それがいきなり黒いオーラを隠さなくなった。しかもこの様子を見ると、私の前だけってことかこの野郎。
「……何故、馬車からここまで直行した。私に挨拶を寄越してもよかろう」
うえっ、やっぱ直行コースか。
「そうですね。失念していました申し訳ありません。そして、遅ればせながらお久しぶりです父上。お元気そうで何よりです」
声だけなら、本当に父を労わっている息子の言葉なんだけどな。今は顔もだけど。黒いものは丁寧に隠されている。
「……突然の帰郷の理由を聞きせてもらおうか」
…お父様も知らなかったんだ。
「そうですねえ。僕も、父上にお聞きしたいことがあるのですが」
「……質問しているのはこちらだ」
「ええ、ええ。勿論です。こちらへ戻ってきた理由ですよね。学院に休暇を出してまで来た理由」
休暇出してまで?おいおい、そんなシステムあるのか学院とやらは。会社じゃないんだから。…この世界の会社の制度はわかんないけど。
「僕が父上にお聞きしたいことと同じ理由ですよ」
その時、少しだけ抱きしめられる力が強くなった。お兄様の顔を見上げると放出される黒い笑み。だけどそれは一瞬だけで、すぐにいつもの完璧な笑みに戻った。
「シェナローゼが婚約すると聞いたのですが、本当ですか?」
突然落とされた爆弾は、私を動揺させるのに数秒とかからなかった。
すみません、随分と間が空いてしまいました…。
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