第47話 理由と夜の目撃者
「れ……な……さん……?」
「た……ちばな……さ……ん……!?」
静まり返るホテルの室内に、二人のうわずった声が虚しく響いた。
薄暗い間接照明の下、艶やかなガウン姿の玲奈と、ブラウスのボタンを一番上まで留めてガチガチに正座している薫子。あまりにも不条理なシチュエーションに、お互い指をさしたままフリーズしている。
「えっ、あ、ちょっと待って……混乱するわ……」
玲奈はこめかみを指で押さえ、深く息を吐くと、とりあえずベッドの端――薫子の少し隣へとすっと腰を下ろした。ふわりと甘い香水の香りが漂い、薫子はびくっと肩を跳ね上がらせる。
「……橘さん。あなた、ここがどういうお店か分かって入ってるの? それに、なんでこんなところにいるのよ……?」
「う、うん……! えっちなこと……するところ、だよね……? でも、私から来たくて来たわけじゃなくてっ……!」
薫子は涙目になりながら、顔を真っ赤にして必死に手を振った。
「今日、大学のお友達とランチしてたら……私が『恋愛感情とかよく分からない』って話になっちゃって……。そしたら友達が『自分の身体の感度を知りなさい!』って勝手に予約して、そのままホテルに放り出されたの……!」
「……はぁぁぁぁぁ……」
薫子の切実すぎる弁明を聞き終えた玲奈は、本日一番の大きな溜め息をついて頭を抱えた。
「……とんでもないお友達を持ったわね、あなた。押しに弱すぎるのもいい加減にしなさいよ……」
「うぅ……ごめんなさい……」
シュンと首をすくめる薫子を見て、玲奈は呆れつつも、どこか毒気を抜かれたように息を吐いた。そして、今度は薫子からおそるおそる声がかかる。
「あの……玲奈さんこそ、どうしてここに……? その、お店で働いてるの……?」
「……見たら分かるでしょ。昼間はフツーに会社員やってるわよ。でも、夜はここで働いてるの」
玲奈は脚を組み直し、自嘲気味に口角を上げた。
「真夜と完全に縁を切って、一人で生活を立て直そうと思ったの。昼の会社員の給料だけじゃ心許ないし、手っ取り早く稼げるからね。……まぁ、元々こういう割り切った関係は嫌いじゃないし、昼と夜で割り切るのも性に合ってるのよ」
凛とした声でそう語る玲奈。過酷な選択ではあるものの、誰にも頼らず自分の足で立とうとする彼女の強さが垣間見え、薫子は思わず目を丸くした。
「そうだったんだ……。玲奈さん、すごいね……ちゃんと自分の力で頑張ってて……」
「……は? なに感心してんのよ。風俗で働いてる女に対して言うセリフじゃないでしょ、普通」
ピュアすぎる薫子の返答に、玲奈は調子を狂わされたように顔を背けた。しかし、室内の気まずい空気はいつの間にか和らぎ、二人の間には妙な落ち着きが生まれ始めていた。
「冗談よ……そんな頭ごなしに否定しないでよ……いくら私でも傷つくわ」
玲奈は少し眉を下げ、芝居がかった仕草で胸に手を当ててみせた。
「ご、ごめんなさい……! 嫌とかじゃなくて、急なことでびっくりしちゃって……!」
必死に手を振って謝る薫子の様子に、玲奈はふっと毒気を抜かれたように微笑むと、ガウンの襟元を少し整え直した。
「ふふ、いいわよ。……でも、よかったわね。入ってきたのが見知らぬ人じゃなくて、私で」
「本当に……玲奈さんでよかったよ……」
心底ホッとしたように脱力する薫子を見て、玲奈はベッドのヘッドボードにゆったりと背を預けた。
「時間はあるんだし……話、聞くわよ。さっき言ってたでしょ? 『恋愛感情がよく分からない』って。真夜や夜留ちゃんとのことも含めて、何に悩んでるの?」
「え……いいの……?」
「お代はもう払われてるんだから、客の愚痴を聞くのもサービスのうちよ。……それとも」
玲奈はすっと身を乗り出すと、試すような、けれどどこか妖艶な笑みを浮かべて薫子の耳元に顔を寄せた。
「……言葉で話すより、私が他の子とシてるところ、見せてあげようか? 『女性同士の行為』がどういうものか、目の前で勉強してみる?」
「っっ〜〜〜〜!? な,なに言ってるの玲奈さんっ! 見ない! 見ないからっ!!」
顔をリンゴみたいに真っ赤にして目をぎゅっと瞑り、手で両目を覆い隠す薫子。その可愛らしい大パニックぶりに、玲奈は「くすっ」と満足そうに喉を鳴らして笑うのだった。
結局、その後は何の進展もないまま、薫子の悩み相談(?)だけで時間が過ぎていった。
――そして、その日の夜遅く。
「じゃあ……今日は本当にありがとう、玲奈さん」
「気にしないで。お友達には『すごく良かった』って適当に言っておきなさい。……気をつけて帰りなさいね」
ホテルのエントランスで別れ、薫子は安堵感からホッと息を吐きながら夜道へと歩き出す。名残で少しだけ女性のスタッフと腕を組むような格好になりつつも、無事に(?)初めての風俗体験を終えたのだった。
しかし、その光景を――道路の反対側から呆然と見つめる二つの影があった。
「……ねえ、真夜さん」
外食の帰り道、たまたまホテル街の近くを歩いていた夜留が、ピタリと足を止めていた。その声は震えており、手に持っていた飲み物のカップがカタカタと揺れている。
「……何かしら、夜留さん。早く帰らないと薫子さんが――」
「あそこ……見て」
夜留が指差した先。
派手なネオンが輝くファッションホテルの自動ドアから出てきたのは――見紛うはずもない、自分たちが愛してやまない薫子の姿だった。
しかも、その隣には――見知らぬ、艶やかな女性。
薫子は、その女性と親しげに腕を組み、笑い合いながら夜道へと消えていく。
「…………え?」
真夜の頭の中が、真っ白に染まった。
息を呑み、言葉を失うふたり。
(薫子さんが……ホテルから……? 女性と……?)
(お姉ちゃんが……なんで……だれ、あの女……!?)




