第60話 契約結婚
新婚旅行から帰って。
最初の週末。
神谷家。
「カニです!!」
由奈の声が響いた。
「声でかい!」
陸がすぐに突っ込む。
「だってカニですよ!」
「見たら分かる!」
「北海道ですよ!」
「それも聞いた!」
「新婚旅行のお土産ですよ!」
「それも聞いたわ!」
「じゃあテンション上がるじゃないですか!」
「知らん!」
テーブルの上には。
北海道から届いたカニ。
それも。
かなりの量。
その周りには。
優真。
澪。
直人。
陸。
由奈。
「すごいな」
直人もカニを見る。
「これ、結構したやろ?」
「まあ、新婚旅行だったし」
「優真さん」
「ん?」
「購入を決定したのは私です」
「あ、そうだった」
「えっ」
由奈が澪を見る。
「澪さんが!?」
「はい」
「こんなに!?」
「はい」
「どうしたんですか!?」
「どうしたとは?」
「澪さんですよ!?」
「佐倉さん」
「はい」
「どういう意味でしょうか」
「すみません」
由奈が頭を下げる。
「でも、澪さんがこんなに大量のカニを買うなんて」
「北海道で食べて、おいしかったので」
「……」
由奈が止まった。
「澪さん」
「はい」
「新婚旅行、楽しかったですか?」
「はい」
即答。
「……!」
由奈の両手が口元へ向かう。
「なんでや」
陸が止める。
「まだ何も起きてへんぞ」
「だって!」
「何がや!」
「澪さんが新婚旅行楽しかったって即答したんですよ!」
「普通や!」
「普通じゃありません!」
「新婚旅行やぞ! 楽しいに決まっとるやろ!」
「澪さんだからいいんです!」
「本人の前で言うな!」
「……?」
澪だけが。
よく分かっていなかった。
◇
「じゃあ食べようか」
優真の一言で。
カニを食べ始める。
「いただきます!」
「いただきます」
「いただきまーす」
しばらく。
部屋が静かになった。
「……」
「……」
「……」
全員。
カニを食べていた。
「カニ食うと静かになるってほんまなんやな」
陸が呟く。
「……陸さん」
「なんや」
「話しかけないでください」
「お前が一番集中しとるやないか!」
「今、いいところなんです!」
「知らんわ!」
優真が笑う。
「美味しい?」
「めちゃくちゃ美味しいです!」
「よかった」
「社長」
「ん?」
「毎年、新婚旅行行きません?」
「新婚じゃなくなるでしょ」
「じゃあ社員旅行で北海道に!」
「目的がカニになってるよ」
「ダメですか?」
「会社の業績次第かな」
「頑張ります!」
「動機がカニでええんか……」
陸が呆れる。
その隣で。
「……」
澪は。
カニと格闘していた。
「……」
殻を割る。
「……」
身を取る。
「……」
途中で切れた。
「……」
もう一度。
「……」
また切れた。
「……」
優真が見る。
「澪」
「大丈夫です」
「まだ何も言ってないよ」
「自分でできます」
「そっか」
「はい」
「……」
「……」
再挑戦。
「……」
失敗。
「……」
「貸して」
「できます」
「旅行の時から上達してないよ?」
「まだ二回目です」
「じゃあ練習する?」
「はい」
「分かった」
優真は自分のカニを食べる。
「……」
澪が頑張る。
「……」
「……」
その様子を。
由奈が見ていた。
「……?」
そして。
優真を見る。
「……」
また澪を見る。
「社長」
「何?」
「旅行の時から?」
「うん」
「……」
由奈の目が細くなる。
「何ですか、それ」
「何って?」
「なんで社長が、旅行の時の澪さんのカニ事情をそんなに詳しく知ってるんですか?」
「一緒に食べたからでしょ」
「それは分かります」
「じゃあ何?」
「……」
由奈が。
澪を見る。
「澪さん」
「はい」
「北海道では」
「はい」
「カニ、どうやって食べたんですか?」
「……」
澪の動きが。
止まった。
「……」
「澪さん?」
「自分で食べました」
「ほんとですか?」
「はい」
「……」
「……」
「社長」
「何?」
「ほんとですか?」
「俺に聞くの?」
「はい」
「……」
優真が澪を見る。
澪が優真を見る。
「……」
「……」
由奈が。
何かを察した。
「むいてもらいました?」
「……」
澪の耳が赤くなる。
「むいてもらったんですね!?」
「佐倉さん」
「はい!」
「声が大きいです」
「すみません!」
だが。
由奈は止まらない。
「社長がむいたんですか?」
「まあ」
「澪さんの分を?」
「うん」
「……」
両手で口を押さえる。
「だから何やねん」
陸が言う。
「カニの殻むいただけやろ」
「陸さん」
「なんや」
「分かってません」
「何がや」
「新婚旅行で!」
「うん」
「二人で!」
「うん」
「カニを食べて!」
「うん」
「社長が澪さんのカニをむいたんですよ!」
「だから何やねん!」
「尊いです!」
「知らんわ!」
「……」
澪の耳は。
さらに赤くなっていた。
「……優真さん」
「ん?」
「カニ」
「……」
優真が見る。
澪の手元には。
無残に途中で切れたカニの身。
「やる?」
「……お願いします」
「はい」
優真が受け取る。
「えっ」
由奈が止まった。
「今ここで!?」
「佐倉さん」
「はい」
「カニをむくだけです」
「分かってます!」
「では、なぜ興奮しているのですか?」
「澪さんが社長に普通に頼んだからです!」
「?」
「新婚旅行前だったら絶対、自分でやりますって言ってたじゃないですか!」
「……」
澪が止まる。
「確かに」
「認めた!」
「うるさい!」
陸が由奈の前にカニを置いた。
「ほら! お前も食え!」
「食べてます!」
「もっと食え!」
「食べます!」
再び。
少しだけ静かになった。
◇
「そういえば」
直人が口を開く。
「結局、北海道どうやった?」
「よかったよ」
優真が答える。
「飯も美味しかったし」
「澪さんは?」
「楽しかったです」
「そうか」
「はい」
「なら、よかったな」
直人が笑う。
「結婚式も終わって、新婚旅行も終わって」
「うん」
「これで一段落か」
「そうだね」
「……」
澪も。
その言葉を聞いていた。
一段落。
結婚式。
新婚旅行。
どちらも。
最初の契約にはなかった。
「……」
「澪?」
「はい」
「どうしたの?」
「いいえ」
澪は。
部屋を見る。
優真。
直人。
陸。
由奈。
みんなで。
同じテーブルを囲んでいる。
「……」
少し前まで。
この家は。
優真と暮らすための場所だった。
契約に基づいて。
生活する場所。
それだけだった。
だが。
今は。
「澪」
「はい」
「できたよ」
優真が。
綺麗にむいたカニを差し出した。
「ありがとうございます」
「どうぞ」
「……」
澪が手を伸ばす。
その時。
優真が。
少しだけ悪戯っぽく笑った。
「食べさせようか?」
「……!」
「えっ!?」
由奈が反応した。
「お前は黙っとれ!」
「だって!」
「澪、どうする?」
「……」
澪の顔が赤くなる。
「皆さんの前です」
「だから聞いたんだけど」
「……」
「自分で食べる?」
「……」
澪が。
優真を見る。
「……」
少し迷って。
「自分で食べます」
「はい」
「ですが」
「ん?」
「……二人の時なら」
「……」
「問題ありません」
「……」
優真が止まった。
由奈も止まった。
陸も止まった。
直人まで止まった。
「……」
数秒。
「きゃーーーーーっ!!」
「うるさああああい!!」
神谷家に。
由奈と陸の声が響いた。
「澪さん!」
「何でしょうか」
「今のもう一回言ってください!」
「言いません」
「録音しますから!」
「やめなさい」
「社長!」
「俺に振らないで」
「新婚旅行で何があったんですか!?」
「何もないよ!」
「絶対何かありました!」
「佐倉!」
「だって明らかに距離縮まってるじゃないですか!」
「お前はカニ食っとけ!」
「食べながら聞きます!」
「聞くな!」
「……」
騒がしい。
とても。
騒がしい。
澪は。
そんな光景を見ながら。
小さく笑った。
「……ふふっ」
「……」
優真が澪を見る。
「澪」
「はい?」
「楽しそう」
「……」
澪は。
もう。
理由を考えなかった。
「はい」
素直に。
答えた。
「楽しいです」
「そっか」
「はい」
始まりは。
合理性だった。
結婚することに。
恋愛感情は必要ない。
互いの利害が一致している。
だから。
二人は契約した。
結婚した。
同じ家で暮らし始めた。
それだけのはずだった。
なのに。
いつの間にか。
帰る場所になっていた。
誰かと食事をすることが。
楽しくなっていた。
名前で呼ぶようになっていた。
結婚式を挙げた。
キスをした。
二人で旅行にも行った。
そして今。
隣には。
優真がいる。
「澪」
「はい」
「カニ、もう一個むく?」
「お願いします」
「了解」
「……」
澪は。
優真の横顔を見る。
契約結婚。
それは今も。
二人の関係の始まりだった。
けれど。
もう。
それだけではなかった。
まだ。
二人とも。
その関係に。
新しい名前をつけてはいない。
それでも。
「優真さん」
「ん?」
「ありがとうございます」
「カニ?」
「……」
澪は少しだけ考え。
「いろいろです」
「……そっか」
「はい」
優真が笑う。
澪も笑った。
契約から始まった二人の結婚生活は。
ようやく。
本当の意味で。
始まろうとしていた。
『秘書婚 ―起業するので結婚することにしました―』 完
あとがき
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
これにて
『秘書婚 ―起業するので結婚することにしました―』
完結となります。
優真と澪の物語をここまで見届けていただき、本当にありがとうございます。
そして、二人の物語はまだ続きます。
明日から続編、
『秘書婚 Reトライ ―非効率も悪くない―』
の連載を開始します!
結婚し、会社を立ち上げた二人のその後を描く物語です。
引き続き、優真と澪を見守っていただけたら嬉しいです。
それでは、また明日!




