第『9』話
「慶次さん!こんにちわ!」
香苗達がやってきた翌日、朝食を食べて彼女達を見送った後、庭で植木に水をやっていると隣の塀の隙間からブロンドのアホ毛がひょこひょこと動いて見えた。
「ああ…おはよ…今日も早起きだね、アンネ」
「はい!慶次さんこそ…最近はお祈りに来てくれないですか?」
塀に近づくと向こうに居る人物が挨拶をしてきたので作業を止めて向き合った…
金髪碧眼の白い修道服を纏った女性… 隣の教会のシスター・アンネローゼだ。
「ああ…仕事が忙しくてね…アンネは相変わらず可愛いなあ」
「〜〜〜!!もう慶次さん!またからかってますね!」
別に嘘は言っていないが……耳まで真っ赤にして可愛いのは事実だ。
この隣の教会は慶次の両親が生前の頃から付き合いがありアンネと祖母の2人で経営していたがここ最近は国からの支援でその隣にデイサービスの施設を設置しその運営でなんとかやりくりしていた。
実はアンネは栞と同級生だったりする。
「栞はもう起きてますか?」
「いや…まだ寝てるんじゃないかな…アンネも栞を見習って日曜の朝は惰眠を貪っても神様はお許しになると思うんだが……」
「ふふ…慶次さんらしいですね,でも堕落は魂の輝きをも奪ってしまいます…私は常に皆さんを照らす道標でありたいですからね!」
「…ああ アンネが眩しすぎて堕落し切ったこの俺には眩しい存在だよ…」
「慶次さんは堕落なんかしていませんよ!少し天邪鬼なだけです」
ああ 朝から癒されるわ…俺のマイエンジェル栞も可愛いがこの子も俺の妹みたいなものだ……いわゆるセカンドマイエンジェルなのだ。
「栞に話があったんですが……もう少し後で伺いますね」
「ああ…アンネならいつでも大歓迎だよ」
「うふふ…それじゃあ慶次さんまたあとでね」
俺のセカンドマイエンジェルは、爽やかな笑顔とともに去っていった。
今日も1日良いことがありそうだ。
『とりあえずご主人様に報酬なのにゃ』
そう言って、ラプラスが目の前に一万円札を置いた。
「なんだ…これは?」
『前回ご主人様のくれたお小遣いで株式投資を始めたのに…利益が出たので、その報酬にゃ』
「おお!それはすごいな」
月に数百円…数千円程度になれば良いかと思っていたが…ビギナーズラックと言うやつかな?
「ありがたく頂戴しておこう」
『運用にあたって、ご主人様名義のネット銀行の口座を開設したのにゃ…今後の資金運用と報酬はこちらでやりくりしてもいいかにゃ?』
「それは任せる…給料日前だから、この一万円は嬉しいなぁ」
「喜んでもらえて、何よりなのにゃ」
慶次はこの株式投資がラプラスの暇つぶし程度の投資だと思っていたが、それは大きな間違いだ。
以前に小遣いとしてもらった古銭はその希少性と、歴史的な価値から一枚が数百万の価値を認められ、総額で2億に近い資金に姿を変えた。
目星をつけていた新規の株式会社の株を買い込み、変動が大きいと予測される株を買い漁った…最低の株価で買い、最高の株価で売る……数式の悪魔ラプラスにとっては造作もないことであった。
その間にも本命の株を少しずつ買い増やしていく…ラプラスが無造作に売り買いをしているように見えるが、正確にコントロールされており、すべての流れが本命の株式を高めていくのだった。
こうして、1つのネット関連の会社の株式の6割を手に入れたラプラスはその株を最高額のタイミングで全て売却、新たな会社の株を買い漁る……それは売却した会社のライバル会社とも言える企業で同じ方法でその企業の株を高めていく……
以前手放した会社は株が暴落し、その存在自体が危ぶまれる中、再び株式を最低の価格で買い占め、名実ともに、その企業を手に入れたのだった。
それこそがラプラスが狙っていた巨大ネット通販会社の関連企業であった。
ちなみに、先ほど慶次に渡した一万円は複数開設したネット銀行の口座に満額まで振り込まれ切れなかったお金である。
「あ、このお金で『ゆるねこ』のグッズが買えないかな?」
『ふみゃ?ご主人『ゆるねこ』を知ってるのにゃ?』
「あぁ…栞が好きらしいんだ…」
『……以前懸賞で当てたぬいぐるみがあるにゃ…次元収納にあるから使って欲しいにゃ』
「本当か!ありがとうラプ!」
『!!にゃふぅ〜ご主人に褒められたにゃ♡』
頭を撫でられたラプラスは身体をクネクネと捩る…
慶次は次元収納からぬいぐるみを取り出してみる…
「……デカくないか?」
『限定品だにゃ』
「…良いのか?大事な物なんじゃ…」
『いつでも作れ…私は使わないから妹ちゃんにあげて欲しいのにゃ』
「?そうか…すまんな…ありがとうラプ」
『はにゃ!!二度もお礼を言われたのにゃ〜♡』
突然部屋をノックする音がした。
ラプラスは慌ててパソコンの中に戻り慶次も慌ててぬいぐるみを隠しきれなかった。
「慶次くんお部屋の掃除を……?!何そのぬいぐるみ!でかくない?!」
「雪姉…これはその…栞に…」
「いつ買ったの?昨日まで無かったでしょ?」
「えーと…アニャゾンで送って…」
「こんなに朝早くに?……ふーん…」
雪江の視線が慶次のパソコンに向けられた……画面の隅で丸くなっているラプラスが一瞬ビクリと震えた。
「まぁいいわ…栞ちゃん喜ぶでしょうね!もう…本当に優しいお兄ちゃんなんだからぁ〜」
そう言いながら雪江が頬っぺたを突いてくる……なんか恥ずかしいな…
「そんな優しいお兄ちゃんにはお姉ちゃんがご褒美をあげないとね!」
「えっ?雪姉…わぷっ!」
言い終わらないうちに雪江に抱きしめられた。
「いつもお疲れ様…慶次くんは良い子だね…いい子いい子…」
「雪姉……ふわぁ…」
雪江のたわわに包まれて頭をよしよしと撫でられた……
『はわわ!まぐわいが始まるのにゃ!』
画面の隅でドット姿のラプラスがそんな事を言っていた……始まらねえよ。
「慶次さんお邪魔します」
「ん…やぁ…アンネいらっしゃい…」
椅子で本を読んでいると垣根が開きアンネがやって来た…ここは慶次の家の庭の端にある小さな東屋で周囲の木々がちょうど良い日陰になっており良い風が吹き込むため慶次のお気に入りの場所だった…隣との境界には垣根があるがその一箇所は開戸の様になっておりアンネローゼ専用の通路と化していた。
「慶次さん何を読んでいるの?」
「ん?会社の後輩から借りた本でね…意外と面白かったから…」
これは兼光から借りた『経営者の心得』の様な本だった…
『いかに効率良く部下を使うか』
『競合との駆け引きの見極め方』
ありきたりな文章だが的を得ている内容だった。
「へえ…慶次さんも社長を目指してるんだね」
「ははは…成れたとしてもきっと来世だよ」
「そんな事ないと思うけどな…じゃあ栞の所に行ってくるね」
「ああ…ごゆっくりどうぞ…僕はこ暫くここにいるからゆっくりしていってね」
そのまま勝手口から家の中に入ってゆくアンネを見送った。
「雪江さんこんにちは」
「あら、アンネちゃんいらっしゃい」
リビングで洗濯物を畳んでいるとアンネローゼが顔を覗かせた。
「栞は部屋ですか?」
「そうよ…後でお茶を持っていくわね」
「わー楽しみ…」
そう言って言ってアンネローゼは2階へと消えていった。
「はーい」
ノックの後に、室内から栞ちゃんの元気な声が聞こえてきた。
「2人ともお茶とケーキを持ってきたわ…少し休憩したらどう?」
室内に入ると、2人は教科書とノートを広げており一緒に勉強していたようだった
「ありがとうございます」
「さすがは雪姉ありがと」
「ごふっ」
「「雪姉?!」」
天使の様な二人から屈託のない笑顔に思わず吐血してしまった…ここは天国かな。?
「私今から買い物に行ってくるから…」
「兄さんは?」
「離れのほうにいるみたいよ?」
「あ、さっき向こうで本を読んでたよ…社長さんを目指すんだって」
「社長…?わかったわ…雪姉気をつけてね」
手を振って部屋を退室した…
栞ちゃんがいつも通りで安心した…
昨晩慶次君の会社の同僚が来たときには少なからず動揺していたように見えたから……
昨夜、酔いつぶれたの2人は私の部屋に泊めてあげたのだけど…少なからず慶次君の事を好ましく思ってくれている様だ。
今朝は2人とも恐縮しまくっていたけれど…栞ちゃんも元気に降りてきて一緒に朝食を食べた後、2人は帰って行った。
その時栞ちゃんは今まで通りで、昨晩のような動揺はしていなかったけれど。
過去にもあんな事があったから心配はしていたけど…どうやら大丈夫だったようだ
今夜は、栞ちゃんの好きなグラタンにしてあげようかな?
「さて…そろそろ大丈夫かな?」
慶次は体を伸ばすと家に向かって歩き出した……
先ほどアンネローゼが『お邪魔しましたー』と元気に帰って行った…
「……よし…栞は部屋にいるな…」
「さっきまで勉強していたみたいだから…寝ているのかも?暫くは大丈夫でしょう」
慶次の部屋には雪江がおり一緒にぬいぐるみにリボンをかけていた…サプライズというやつだ。
「いつ渡すの?にしても大きすぎない?」
「そうだな…夕食の後にでも…それまで押入れにでも…いや…クローゼットの方が空いているか…」
二人でぬいぐるみを抱えてクローゼットに運び込む。
「これでよしと…じゃあ雪姉…!?」
「静かに」
急に雪江が慶次とぬいぐるみをクローゼットに押し込み自分も中に入るとドアをそっと閉めた。
同時に部屋のドアが開かれ栞が入ってきた。
(え?何?)
(静かに…栞ちゃんが来たわ)
(え?どゆこと)
慶次はぬいぐるみを背に雪江を前に挟まれる形で身動きが取れないでいた…もちろん外の様子見えたり聞こえたりしない……
(しかし…これは……)
非常に不味い…クローゼットは巨大なぬいぐるみのおかげで非常に狭く雪江もギリギリの状態で中に隠れており,慶次に体を預ける形になっている…つまり…
(て,天国かよ…)
雪江の我儘ボディが慶次に密着していた。
(これは学園モノによくある更衣室で女子とロッカーに閉じ込められちゃう的なヤツでは?!)
その手の漫画を読んだ時には
『こんな事実際起こるわけ無いだろ』
と馬鹿にしてしまったが……実際に起こってしまった!!
そんな妙な感動を覚えている慶次を尻目に雪江は隙間から栞の様子を伺っていた…
部屋の真ん中に立ち俯いているためその表情は見えない。
(何かしら…いつもと様子が…)
「…いないわね…雪姉も帰ってないのかしら?」
(?声までは聞こえないわね…)
ドアの隙間からかろうじて見えた栞のいつもと違う栞の様子に雪江は息を殺して見守った。
「何よりあの女共…兄さんに擦り寄る害虫めっ!」
(?!)
突然栞が頭を掻きむしりそんな暴言を吐いた…雪江は衝撃を受ける。
(雪姉何?)
(しっ…静かに…)
栞ちゃんが気になる慶次君が身動きしそうになったのでその行動を制した…こんな場面を見せられないし見つかるのもまずい気がした。
とりあえず慶次君に一番効果のあるたわわを押し付けて彼の行動を制した。
彼の動きはぴたりと止んだ。
「…兄さんの会社の同僚だがら昨日は我慢したけど…毎日兄さんと同じ空気を吸っているなんて…クソがっ!!」
(………)
普段の栞からは考えられない様な言動と行動だ…慶次君は私のたわわに意識が向いているから聞こえなかった様だが…これはとんでもない物を見てしまった…。
「あはっ♡お兄ちゃんっ♡」
栞ちゃんは急にその雰囲気を変えると慶次君のベットに顔を埋めた。
「すぅ〜♡あはっお兄ちゃんの匂い♡えへっえへへっ♡」
(……汗…)
「お兄ちゃんはいつも私に話しかけてくれるのに冷たくしてごめんなさい♡栞はお兄ちゃんと居るだけで心臓がドキドキして倒れちゃいそうなの♡はぁ〜お兄ちゃんの匂い〜しゅき♡だいしゅき♡ああ〜っ…………おほっ♡」
そう言いながらベットに顔を埋めそのまま動かなくなる………体が時折痙攣している…
(これ…本当にアカンやつだわ…)
「あはぁ♡お兄ちゃんがいけないんですよ?栞の事こんなに愛してくれるから…♡栞はお兄ちゃんがいないとダメな子になっちゃっんですよ?♡」
(何この子いつの間にこんなやばい状況になってたの?)
確かに両親の事故以来、栞は落ち込んでいた時期もあったけど、慶次や自分の支えもあり最近では立ち直ったと思っていたら予想外の方向に立ち直っていた。
「ふぅふう…お兄ちゃん……?!これって…まさか…♡」
栞はベットから顔を上げると目の前に置かれた物を見て目を見開いた。
「コレって…お兄ちゃんの……下着!!♡はぁはぁ…」
(……私は何を見せられているのだろうか…)
栞ちゃんは熱にうなされる夢遊病者の様にその魅惑の薄布に手を伸ばした……
(こんなの…慶次君に見せられないわ…んっ)
慶次が身じろぎするのを感じて視線を向けた。
そこには慶次が獣の様な目でこちらを見ていた。
(あ、やばっ)
お母さんが言っていた。
出された物はちゃんと頂かないと失礼だと。
雪姉が先程から押し当てているこのたわわは
『召し上がれ』と受け取って良いのだろうか?
いやいや…仮にも幼い頃より姉弟の様に育ってきた関係だ
あくまでこれは姉が弟に対しての愛情表現……
な、訳あるかっ!!
過剰すぎるわっ!!
オーバーキルだよっ!!
(っ!!仮にも栞が部屋にいるのにこんな所……)
見つかりでもしたら目も当てられない…兄としてのい威厳も人間としての尊厳も地に落ちるだろう…それだけは回避しなければならない!!
『鋼鉄の意志』
何事にも動じない強い精神強化の術を発動した…これでこの状況に置いても全く動じなく……
(ならねぇよ!!)
自分の魔法の成功率は最低だとわかっていた。
それでも先日の様にどうにかなるかもしれないと期待していた自分が……おい…おいおい…まてまて…これは成功なのか?
確かに『鋼鉄』と言えばそうだろうが…この状況では………
(やばっ)
慶次君の私を見る目が獣じみていた…しまった…栞ちゃんに気を取られすぎた!
……いやいや…別に良く無い?
別に慶次君の事はきらいでは無いしぃ〜寧ろ好きだしぃ〜
栞ちゃんからもお姉ちゃんって呼ばれてるぐらいだし…
『近所の年上の女性』が
『義理の姉』になるだけだしぃ〜
寧ろ栞ちゃんの本性を見てしまった今となっては私がコントロールしてあげないと…!!
(慶次君あのね……?!…えっ?!…えっ?!)
年上として優しくリードしてあげねば…と動き始めた私の下腹に何が堅いものが押し当てられた…これってもしかして…
視線を慶次君に向けると赤い顔をして目を逸らした……
(…?!『鋼鉄の剣』?!えっ?慶次君の?!私で?!装備済み?!)
思いもよらない奇襲攻撃に動揺してしまった。
装備って何だよ…
(えっ?私に欲情してくれたって事?へぇ〜そうなんだぁ〜)
自然と口角が上がってしまう……しかし…
(硬くない?いや硬すぎない?!えっ?何コレ?!オルハリコン?ヒヒイロカネ?!)
想像を絶する攻撃力の高さに畏怖の念を抱いた……
「?!…誰かいるの?」
((?!))
油断していたつもりはないが…栞ちゃんが何かに気がついてしまった。
「…あれあれ?クローゼットの中に誰かいるのかな?…かな?」
(ひいいいいー!!)
栞ちゃんの背後に月夜に鉈の似合う少女を幻視した。
『ピーンポーン』
栞の手がクローゼットに掛かりそうな瞬間…玄関の呼び鈴が押された。
栞の手が止まり、どうするべきが思案している様だ。
『ピーンポーン…ピーンポーン…ピポピポピポピポピポ』
「?!はっはーい」
小学生の度胸試しの様に呼び鈴が連打され、咄嗟に栞は返事をしてしまった。
「…ちっ…雪姉…後でね…」
(?!)
栞はその場を立ち去り階下に向かった。
その言葉に雪姉は心臓を鷲掴みにされた様な衝撃を覚えた。
「んっ?!」
「はぁはぁ…雪姉…」
物理的に慶次に鷲掴みにされていた。
「慶次君今のうちよ!!」
「はっ!?」
二人で慌ててクローゼットを出ると雪姉は自分の部屋へと避難した。
「取り敢えず…離れに…」
窓を開けると身を乗り出しながら頭に先程まで居た離れのチェアを思い浮かべた。
『局地的瞬間移動』
慶次の体は一瞬の浮遊感に包まれて……そのまま落下した。
『ピポピポピポピポ』
「はーい!誰よ!!」
「あっ栞ちゃん!」
呼び鈴を16連打する名人の正体を突き止めようと玄関を開けた栞の前にいたのは香苗だった。
「香苗…さん?」
「突然ごめんね!昨日はご馳走になってありがとね!これ…早く渡したくて…」
差し出された手には紙袋があり、中にはゆるねこの便箋やノートと言ったグッズが入っていた。
「ゆるねこ…」
「栞ちゃん好きだって言ってたから…私もついつい買っちゃうけどノートや便箋なんてこの歳ではあまり使う事なくて…学生の栞ちゃんなら必要な物もあるかなって…えへへ」
「…ふふっそうですね…ありがとうございます」
先程まで彼女に対して良く無い感情を抱いていたが、今は自分に向けられる友愛の様な感情に栞の心は警戒を緩めた。
「上がっていきます?」
「ええっ?!これ以上は悪いよ!雪さんやケイちゃ…慶次君にもよろしくね…」
「…香苗さん…ありがとうございま…」
その時、家の裏手からガターンと大きな音が聞こえてきた…
顔を見合わせた二人は一緒に裏手に駆けて行く。
「一体…ケイちゃん?!」
「兄さん!!」
そこには生垣の中に生えた人物の足があった。
スケキヨか?はたまた初号機なのか?いや、慶次が落下した様だ。
「いてて…いやー屋根の調子が悪くて…」
「屋根の調子?…いやそれよりも大丈夫?!凄い音が…」
「庭木がクッションの代わりになってくれたから大丈夫…」
「…兄さん……!!」
3人の目の前には曲がってはいけない方向に曲がる慶次の左手があった。
「ふむ…綺麗に折れているな」
あの後騒ぎを聞きつけた雪も飛び出してきて家の近くのBJの診察室に担ぎ込まれた。
『休診日だから料金は割り増しだぞ?まぁ…慶次に体で払ってもらうけどな』
何て事を言っていたBJに苦笑いをしていた女性陣だが…慶次だけは笑えないなと内心ため息を漏らした。
「…全治一ヶ月って所だな…」
ギプスで固められた左腕を撫でながらBJがそう告げた。
いまは診察室で二人きりだ。
「早いな…」
「私でなければもっと長引いただろうがな…良かったな名医に見てもらえた幸運を感謝する事だな」
「しかしもっとこう魔法的な何かで完治できたりは…」
「主人よ…この世界では魔法は完璧では無い…まぁ私は天才だが…それでも完全にとは言い切れないのがこの世界だ…主人も嫌だろ?腕の途中に2.3本指が生えたりするのは」
「ホラーかっ!嫌だわ!!」
「ならば大人しく治療に専念する事だ…『自然治癒力上昇』は上手くいっているからな…」
「そうか…」
「ふふん…どうだ!見直しただろう?全く不甲斐ない主人を持つ身としては苦労が絶えないな…」
やたら上から目線のBJにイラッとさせられてしまう…しかし今回は自分の不始末である事には違いない。
感謝こそすら、彼女に罪はない…そう考えた慶次は立ち上がり彼女に近づいた。
「あぁ…助かったよ…流石はBJだ」
「っ!…そ、そうだろそうだろ…もっと敬い賜えよ…主人…近くないかい?」
「君でなければ俺は今頃大変な目に遭っていたに違いない…ありがとう…『|バレッタ・ジョースター《B.J》』
「ひゃぅっ?!やだ主人!名前で呼ばないで!」
耳元で囁かれた彼女の『真名』に思わず壁際まで後ずさる。
「日頃の感謝を伝えたいと思ってね…」
「やだっ!そんな…耳元で…ダメっ♡」
壁際で震える彼女の首筋に顔を薄めて息を吸い込んだ。
「ひやっ♡」
「ふふ…今日はありがとう『バレッタ』…次の診察もよろしくね」
「ひゃい♡」
診察室を出ていく慶次を見送った後、力が入らなくなったBJはそのままズルズルと座り込んだ。
「くふぅ…主人の意地悪♡」
先程までの冷酷な表情をした女医の顔はそこには無かった。
「大丈夫ケイちゃん…あの先生凄くおっかない感じがしたけど…」
「そうね…彼女は誤解されがちだけど腕の良い医者よ」
「…兄さん…」
「いやーごめんねみんな…心配かけて」
待合室で香苗と雪江と栞に囲まれた…特に栞は両親の事故の事もあり青い顔をしている…妹にこんな顔をさせるなんて…兄として情けない。
「ごめんな栞…心配かけて…大丈夫だよ…お兄ちゃんは栞の事一人にはしないからな」
「…おにいちゃん…」
栞の頭を優しく撫でると、栞は目を潤ませながら『お兄ちゃん』と呼んだ。
「心配したんだからね!もうっ」
「ごめんな…」
栞がそう言って大丈夫な右腕にしがみついた…
「…栞ちゃんなんだか昨日と雰囲気が違うね…」
「あのね…かなちゃん…これが『本来』の栞ちゃんの姿なのよ」
後ろで不思議そうにする香苗に雪江が説明をしていた…
そうなのだ…栞は本来甘えん坊なのだ。
両親に蝶よ花よと育てられた結果でもある。
その両親が事故に遭ったため、当時は精神状態が酷く不安定だったのだ…
両親を失ってからは彼女の欲求の矛先は兄である慶次に向けられた。
本来であれば、そのいびつで歪んだ感情は叶えられることがないのだが…
慶次は叶えてしまったのだ。
寂しさも、悲しみも全て慶次が背負い栞の心を埋めてしまったのだ。
(だからあんな…『兄好怪物』になってしまったのね…
久しぶりにトラウマを発症した栞はその日眠るまで慶次から離れることはなかった。
深夜の商店街にけたたましい警報音が鳴り響いた。
ビルの二階にある宝石店で怪しい3人の黒ずくめの男が店内を物色していた。
闇バイトに応募した犯罪者達だった。
「おい!早くしろ!警察が来るぞ!」
「急げ!その奥の通路だ」
3人は、大急ぎで、廊下を走り抜けると、突き当たりのドアへやってきた。
「このドアは建て付けが悪くてな…しかしここをこうすると簡単に外れ……?!あれっ?!」
「おいっ!早くしろ!」
「なんでだ?!今朝は簡単に外れたのに!!」
必死にドアを持ち上げるがそのドアは空間に固定されたように、ピクリとも動かなかった。
やがて男達の背後に駆けつける警察官の足音が響いた……
慶次の『鋼鉄の意思』で消費した魔力は慶次の『鋼鉄の剣』だけでは魔力消費が追いつかず、今夜だけでもこの国でランダムに1258枚のドアを数分間固定する現象を起こした。
その結果、今夜だけでも12件の窃盗被害が未然に塞がれ、4件の窃盗犯が閉じ込められた状態で確保された。
ちなみに慶次の『鋼鉄の剣』は日付が変わるまでその攻撃力を維持していた。




