表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

後編

 サボっても良かった。

 体育祭なんてダルいだけだ。体育祭で勝って何になるっつんだ。そんなもんに必死になるなんて、マジでダサい。

 だけど、「そんなもん」のメインイベントとも言える学級対抗リレーに出て本気で一位を取った。

 優勝して皆喜んでるけど、どうでもいい。

 俺はクラスの喧騒から逃げるように、イヤホンで耳を塞いだ。わかりやすく愛だの恋いだのを連ねているポップサウンドが始まると、俺はふといつもの場所に目を移した。

 

 いまだ興奮が冷めきれていない何処か浮ついた教室に一つだけある空席。桜井の席。

 桜井は来なかった。

 桜井が作った立て看が応援部門で一位をとったが、主役は居ない。

 たぶん、居たなら笑顔で無邪気に喜んだと思う。

 それを俺は見たかったんだと思う。だからサボらなかった。


「いやぁ、やっぱコウキ速えぇわ」


 耳にねじ込んだイヤホンがひょいと外され、ポップサウンドが喧騒の向こうに消えると、聞き慣れた軽い声が耳を撫でた。

 晴人。優勝出来たのはコウキのおかげやな、と続けた。

 俺の前を走った晴人からバトンを渡された時点でトップだった。一位を取ったのは俺の力じゃない。俺はただアンカーでフィニッシュしただけだ。


「……アホか。晴人ンとこですでに他をブッチギッてたし」

「いや、俺ンとこでコウキ出てたらもっとブッチギッてたやろ。女子もキャーキャー言ってたしな」

「興味無ぇし」

「あぁ、美祢ちゃんおらんかったもんな」


 窓際にもたれかかり、ダルそうな表情でさらりと晴人は言う。

 汗で湿った晴人の栗色のくせっ毛の間から覗く晴人の目が俺の心を見ている。

 俺は知ってるぞ。晴人の目がそう言っている。


「チッ……関係無ぇ」

「なんかあったらしいじゃん?」

「無ぇよ」

 

 ああ、イライラする。

 体育祭に意気込んでいたやつらも、くだらねー噂を流した晴人も、それをいいように利用した千尋も、勘違いしていた俺……桜井を傷つけてしまった俺にも。

 

「コウキくん!」


 また間が悪い千尋おんなが声をかけてくる。わざとやってんのかと思う。


「コウキくん、カッコ良かった! やっぱ晴人くんとコウキくんは違うね! めっちゃ輝いてた!」

「……うるせぇ」


 輝いてるとか言ってんな。俺は輝いてなんか無ぇ。


「それにしても、桜井さん体育祭を休むなんて。皆で頑張ってここまで来たのに。ホントサイテー」


 千尋の声が聞こえたのか、桜井と仲が良い野球マネがじろりと睨んだのが見えた。

 お前、噂によると、体育祭でチアリーディングを自分からやるつって、打ち合わせブッチしまくってたらしいじゃねぇか。どの口が言ってんだ。


「影が薄いのに、大事な行事にも参加しないなんて、ボッチが加速しちゃうよね。彼女」


 あはは、と楽しそうにそう漏らす千尋に、ついに俺の苛立ちは爆発してしまった。

 躊躇なく蹴りあげた俺の足が机を吹き飛ばし、勢い良く隣の机を巻き込み崩れる。突然教室内に鳴り響いたけたたましい音に一瞬教室は静まり返り、校庭から聞こえる生徒の声が小さく辺りを包んだ。


「……なんば言よっとか、お前」


 俺の方言でなまった声が静寂を切り裂いた。感情が高ぶると出てしまう、地元の方言。

 あまりの出来事に、千尋は目が飛び出すのではないかというほど目を見開き、その場にぺたんとへたり込んだ。


「大概にせんか」


 チラリと晴人を見たが、先ほどと変わらない表情で俺を見ていたようだった。

 俺はそのまま、地面に転がったバッグを拾い上げ、一人で学校を後にした。

 ……あぁ、やっちまった。

 高校ではもうキレないと心に誓ったはずなのにな。方言まで出して、カッコわりぃ。


 朱色に落ちかけた太陽が、後悔に苛まれた俺の長い影を地面に落としていた。


***


 気づいたら、俺は学校から近い書店に足を運んでいた。全く似合いもしない。ここでも俺は一人浮いている気がした。

 だけど、静かで落ち着いた空気が高ぶった心を抑えてくれている。そう考えると、書店も悪くない。

 そうして俺は特に目的もなく店内を回り、週刊誌コーナーで足を止めた。

 そこにあった雑誌に大きく書かれた見出し。

 あの日、桜井と回った「シャガール展」の特集が書かれた雑誌だ。

 おもむろにその雑誌を取りパラパラとめくる。桜井が説明してくれた、「荒らされた花々」に「青いサーカス」、そして「誕生日」ーー

 うれしそうに説明する桜井の笑顔が浮かんだ。と、その時。


「コウキがそんな雑誌読むなんて珍しいな」


 そう言いながらいつの間にか俺の隣に立っていたそいつ。学校で最後に見た時と同じようにダルそうな表情の晴人。

 なんで俺がここに居るのがわかんだ。


「お前、エスパーかよ」

「コウキの考えてる事はすぐわかる」

「俺はお前の考えてること、判んねぇ」


 俺は嘘をついた。晴人の考えていることは分かる。

 こいつははじめから判っていた。俺が誰に恋をしているか。


「コウキの方言まじかっけぇな。興奮すると出るもんな、あれ」

「うるせぇ」

「それ、この前の授業で行った奴やろ? なんとかっていう絵かきの」

「シャガールっていうらしい。桜井が……」


 言ってた。そう言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。何で桜井の名前が出てくんだ。マジでやめろよな、俺。

 そんな俺をみて晴人は笑みを浮かべると、俺の胸をバシンと勢い良く掌で叩いた。


「痛って」

「コウキは本当にわかりやすいやっちゃなぁ」

「……あ?」


 晴人の掌の中に何かある。小さいメモ。


「ホントは本人にここに来るよう伝えといてって、真紀ちゃんに言ったんやけどね。どうやら風邪らしい」


 何を言っているのか判らなかった。

 本人って誰だ? 

 風邪って、誰が?

 真紀ちゃんって桜井と良くいる、ブラバン部のあいつか?

 困惑している俺に晴人が続ける。


「お前を待っとるぞ?」

「……は?」


 俺の言葉に、本当にお前はアホやな、とこぼして晴人が続ける。


「俺と真紀ちゃんが出来るのはここまで。あ~、マジで俺って優しいよな」


 今度マックおごれよな、と軽く言い捨てて晴人はそのまま俺を残し、その場を去った。

 晴人が持っていたメモ。

 そこに書いてあったのは、メールアドレスと、桜井の名前。


 どういう事だ? この状況が上手く処理できない。なんで晴人が桜井のメルアドを知っていて……

 ……待ってるって、桜井の事か? 俺を待ってる?

 まさか。あんなこと言って俺は嫌われたはずだろ。

 あり得ない。あり得るはずが無い。


 シンと静まり返った書店で一人、俺は晴人に渡されたそれを見つめたまま打ち付けられた杭のようにその場に立ちすくんむしか無かった。


***


 勉強や読書どころではない。

 家に帰った後、俺は自分のスマホに桜井のメールアドレスを入力したまま落ち着きなく部屋をウロウロとしていた。

 晴人は「お前を待ってる」と言っていた。だけど、なんてメールを送れば良い。向こうは俺のメルアドを知ってるわけ無いから、自己紹介からだよな。

 そんなことを考えながら、椅子に腰掛け、すぐに立ち上がり、部屋をくるりと回った後、ベッドに腰掛け、またすぐ立ち上がる……という事を続けた。

 

 ……アホか俺は。女一人にメール送ンのに何テンパッてんだ。いつもと同じようにおくりゃあ良いだろが。


『件名:コウキです 本文:いきなりメールすまん。風邪引いたって? 大丈夫か? 体育祭お前の作った看板一位なったぞ。流石画家の卵』


 いざメール文を打ってみると、違和感がハンパ無い。

 好きな子に自分からメールを送るなんて、初経験だ。これまで何度も女からメールが来たことがあったが、こんな心境だったのだろうか。……邪険にしてマジでごめんな。


 時間が経てば送れなくなると思って、そのまま躊躇なく送信ボタンを押した。「送信されました」という画面が表示されたとき、思わず俺の心臓が大きく一度波打った。

 送っちまった。

 送った後、何故か後悔が押し寄せてきて「やっぱ今のナシな」って桜井にメールしそうになった。

 マジでテンパってる。

 一度スマホを机において心を落ち着けようとベッドに腰掛けたが、そわそわして再度スマホを手に取り、メールの受信ボタンを押してみたりした。


 桜井からの返信はそれから少し経ってからだった。


『件名:桜井です 本文:こんばんは。メール、ひょっとして真紀ちゃんから聞いた? 今日お見舞いに来てくれたんだけど、様子が変だったから。熱が出ちゃって、でももう今はだいぶいいみたい。メールありがとう。皓稀くんもリレーで一位になったみたいだね。見たかったな』


 やばい、なんか自然とニヤけてしまう。

 メールを返してくれるということは、嫌われてないらしい。そこにとりあえず安心した。


『無理すんなよ。メールは晴人から教えてもらった。あいつらなんか企んでたのかな。明日問い詰めるわ。リレー、俺も桜井に見て欲しかったわ。まぁ、俺の前の晴人のトコですでにトップだったけどな(笑)』


 すぐに桜井から返信が来る。


『私とメールしてて、大丈夫?』


 予想していなかった返信。

 大丈夫、とはどういう意味だろう。桜井とメールして都合が悪いことなんか、無い。


『どういう意味?』

『橋本さんにヤキモチ焼かれちゃうよ?』


 そういうことか。

 俺の噂の事、昨日の千尋が言った事。

 思わず「千尋の言った事は嘘だ」とメールを打って、消した。

 大事なこと、メールじゃ言えない。

 ここから先は、メールじゃ言えない。

 桜井に嫌われていないという事が俺の心の刺をそぎ落としてくれたのか、さっきまでの浮ついた感じは無くなっていた。


『電話で話したい。番号教えて』


 俺はその一文だけ、送った。

 送った後の静寂が妙に痛い。さっきまですぐ返ってきていたメールの返信が止まる。

 その時間が、とても長く、永遠に感じてしまう。


『いいよ』


 ブルブルと震えたスマホにかかれていた桜井の返事。その後に継る、桜井の携帯番号。

 その番号を押すと表示される「発信しますか?」の文字。

 ためらわず「OK」を押した。


「……もしもし?」


 ひょっとして桜井も携帯を握りしめたまま待っていたのだろうか。コールが鳴る前に小さく桜井の声が聞こえた。


「あ、桜井?」

「メール、ありがとう」

「御免な、風邪引いてるのに」


 すこし恥ずかしそうに、桜井が「ううん」と返した。風邪のせいだろうか、いつもより大人びたような声に聞こえる。


「とりあえず、千尋の言ってたことは気にすんな。あれ、嘘だから」  

「……うそ?」

「付き合ってもねえし、俺があいつのこと好きとか、そんなことも全部千尋が勝手に言ってたことだから」


 全部嘘。だけど、噂は嘘だとは言わなかった。桜井に対する想いは嘘じゃないから。

 

「……よくないと思う」  

「え?」  

「嘘ついた橋本さんも悪いけど、そうさせた皓稀くんも、よくないよ」

「桜井……」


 桜井から返ってきた言葉は思いもよらない物だった。

 俺も悪い。

 確かに、桜井の言うとおりかも知れない。

 俺がはっきりしないから、勘違いされる。千尋も田村も、そして桜井にも。原因は俺の中にある。

 千尋を「勝手なことを言うどうしようもない奴」だと馬鹿にする資格は俺には無いのかもしれない。あいつはあいつなりに自分に一生懸命で、必死だった。


「なんつーか……うん、そうだよな。千尋がどこまで本気で俺を好きだと言ってるのか判らないけど、違うなら違うって、俺がはっきりしないのが一番悪ぃな、たしかに」

「好きって事、簡単には言えない、と思う。想いが強ければ、もっと」

「そうだよな。明日千尋には謝っとくわ」

「わ、私の方こそ、偉そうにごめんね。折角電話してもらったのに」


 慌てふためく桜井の姿が電話の声だけで簡単に想像できる。

 何に対しても一生懸命な桜井。嫌味を言った千尋に対しても。中途半端な俺に対しても。


「強気なのか、弱気なのか、マジわっかんねー奴」

「……弱気でお願いします」


 さっきの台詞からは想像できないほど弱気になっている桜井の声。

 卑怯だ、と俺は思った。

 静かで、すました顔を見せることもあれば、おどけて子供っぽい顔を見せることもある。強気で男まさりな顔を見せたかと思えば、女らしいしおらしい顔を見せる。

 そのたびに、俺の胸はキュッと締め付けられる。 


「悪い。もう切るわ。また、学校でな」


 そう切り出したのは俺だ。

 電話の向こうで小さく咳が聞こえたからだ。このままずっと朝まで喋っていたいが、桜井の身体が心配だ。

 ーーいや、違う。本当はこのまま話していたら、全部言ってしまいそうだから。

 想いを伝えるのは、多分、今じゃない。


「……うん、おやすみなさい」


 一瞬の間が、桜井も俺と同じ想いなんじゃないかと思ってしまう。

 うしろ髪を引かれる想いで、電話を切った。

 いつの間にか、耳にじっとりと汗をかいている。

 俺の顔は熱を持ったままだ。

 その余韻を逃したくなく、俺はそのまま汗で濡れたスマホの画面を見つめていた。


***


 千尋の事をしっかりとけじめを付けた後じゃないと、桜井と合わせる顔が無いと思った俺は、放課後になって学校に行った。

 千尋がどんな反応を見せるか判らない。もし泣かせてしまったとしても、放課後だったら幾分か助かるだろ。


「千尋」

「こ、コウキくん」


 あんなことがあったのは昨日の今日だ。千尋が何処か驚いた表情を見せる。


「ちょっと、良いか」


 俺の言葉に、クラスの女子生徒がキャーキャー騒ぐ。


「屋上、良いか?」


 千尋は何か感じていたのか、笑顔無く、ただ小さく頷いた。

 教室から屋上までの短い様な長い時間、俺は千尋にどう切り出すか悩んだ。

 こんなに千尋の事を考えたのは初めてだ。

 

「……コウキくん、まだ怒ってる?」


 少し風が冷たくなりつつある屋上、俺が切り出す前に、風に乗って千尋が小さな声で恐る恐るそう言葉を放った。いつも強気な千尋の意外な姿に驚く。

 千尋も千尋なりに、反省していたのか。


「怒ってねぇよ。呼び出したのは、千尋に謝りたくてさ」

「えっ?」


 いざとなるとやはり恥ずかしい物がある。いつもなら見れる千尋の目を見れず、思わず目線を外す。

 だけど、言うと決めた。

 逃げることは、しない。


「昨日は、その、酷いこと言っちまって、すまん」

「コウキくん……」

「ンで、言いたいのは、もう一個あンだけどさ」

「……うん」

「俺が好きなのは千尋じゃない。……はっきり言えずにごめんな」

 

 俺の言葉に千尋は表情を崩さなかった。だけど、小さく唇を噛んでいるのが見えた。

 千尋のプライドが泣くという選択肢を拒否しているように見えた。


「……好きなのは、桜井さんでしょ?」

「そうだ」


 そう即答する俺に千尋は驚いた。

 いや、すまん。自分でも驚いている。


「つか、はやっ。……あ~、アタシ、フられちゃったってわけか」

「すまん、千尋」

「桜井さんにちゃんと伝えたの?」

「いや、まだ」

「早く言ってあげなよ」


 そう言う千尋は笑顔だった。千尋の目が溜まった涙でいつもよりキラキラときらめいている。

 早く行って。そう言っているようにも聞こえる。

 泣く姿は見せたくない。強気な千尋なら、そう思うだろう。

 俺はひとつ、小さく頷いた。


「コウキくん」


 千尋の横を通り過ぎようとしたとき、小さく千尋が囁く。


「アタシ、チアリーディングやる」

「えっ?」

「桜井さんみたいに、真剣にやりたいことやって、絶対コウキくんをこっちに向かせるから」


 涙を浮かべたまま、笑顔でそう言い切る千尋。

 見方一つで人への印象は180度変わる。

 そして、夢を語る女はカッコイイ。

 そう思った俺は「俺を振り向かせるなんて無理だ」と言いたげに不敵な笑みを浮かべて屋上を後にした。  

 

 その足で俺は桜井が居る美術室へ向かう。昨日電話で言えなかった言葉。


 ーーお前の事が好きだ。


 いや、こっちもはっきり言えるか自信は無い。

 美術室に近づくに連れ、俺の心臓は高鳴るばかりだ。

「好きって事は簡単には言えない」という昨日の桜井の言葉が脳裏に浮かんだ。俺の想いはマジだ。泥臭くなっても伝えたい。ダサくても伝えたい。

 

 そして視界に入る「美術室」の文字。美術室に桜井の姿は無い。とすれば隣の部室か。

 美術室の隣にある、美術部部室のスリ板ガラスの前に立ち、ゆっくりと深呼吸をする。心を落ち着かせ、ドアを開けようとしたその時。

 不意にそのドアが開く。そしてそこに立っていたのはーー


「た、田村」

「……桜井さん、中にいるから」

「え?」

「この前、言い過ぎた」

「いや、こっちこそ」


 不意打ちを食らったかのような形で先手を打たれた俺はたじろぐしか無かった。


「迷惑じゃ、なかったみたい」


 去り際に田村がそう言葉を漏らした。

 田村は誰が、とは言わなかった。奴なりの優しさとプライドなのだろうか。意外と田村と仲良くなれそうな気がしたのは気のせいか。

 俺は田村の後ろ姿から美術部の部室に目線を移した。田村が言うとおり、きょとんとした表情でこっちを見ている桜井の姿があった。


「今、平気?」

「え……あ……」


 どうして皓稀くんが、と言いたげに桜井が目を丸くしている。あたふたと鉛筆を置く場所を探していたが、観念して鉛筆を握ったまま、膝の上に両手を乗せた。


「ああ、うん。大丈夫」

「美術室の隣って、こうなってたんだな」


 美術部でもない俺が立入る事なんか無い、この部屋。

 桜井の隣にあった椅子に腰掛けたが、初めての場所で桜井と二人になっている状況に違和感を覚えてしまう。


「うん。殺風景でしょ。絵具の匂いとか溶具材の匂いとかスゴイし」


 桜井も俺と同じく違和感を覚えているのか、焦って視線を泳がせている。だが、その愛くるしさについ笑みが溢れてしまった。ニヤけてなかっただろうか。いかん。危ない。

 ふう、ともう一度息を付き、俺は桜井の目を見る。


「俺……」

 

 身体を硬直したまま、桜井がごくりと息をのむ音が聞こえた。大きな真っ黒の目を見開き、俺の言葉を逃すまいと聞き入っている。


「ずっと言いたかったっちゃけど、俺、桜井の絵、好きやけん……」

「ちゃ……? え……?」


 顔が真っ赤にほてり上がったのが判った。

 出てしまった。大事なところで。


「あ、いや、その、俺に無い、夢に真っ直ぐでキラキラしているーー美祢の絵が好きだっつー事、なんだけどさ。……あーマジ最悪、ぐだぐだじゃん」 


 思わず頭を抱えてしまった。俺、多分すっげぇ情けない顔になっている。

 俺に釣られているのか、桜井も顔が真っ赤に、耳の先まで赤く染まっている。


「そ、そんなことない!」


 笑われるのかとおもいきや、桜井は興奮したような表情で身を乗り出す。


「勉強もスポーツも出来て、友達も多くって、カッコよくて……私なんかよりうんとキラキラ輝いてるのが、皓稀くんだよ」


 とりあえず、グダグダだったところは聞き逃してくれたらしい。


「それは買い被りだろ。俺が持っているものなんかなんもねぇし」


 恥ずかしさを隠すように苦笑する俺に、桜井は更に必死につづけた。


「あるよ。……あの絵。賞を取った絵、覚えてる?」


 絵って、学校の玄関で見た、美祢の絵か。キラキラしていたあの絵。

 満開の桜の下、自転車らしき物を押している男女の姿が描かれた絵。


「覚えてる」

「……あの絵、皓稀くんをイメージして描いたんだよ」

「……えっ?」


 あの絵のモデルが、俺? 

 どうして? あったのは、あの日、美術館が初めてだったはず。


「一年の時、屋上で私皓稀くんに助けてもらったんだよ」

「屋上?」

「一年の時、友達も居なくて屋上でお弁当を食べてたの、私。それで、その日屋上に行ったら、同じクラスの女子グループが居て」


 思い出した。この前、晴人と千尋と屋上にいた時に来た女子生徒に感じたあれ。

 同じことが一年の時あったんだ。

 女子達に責められていた子を同じように助けた。昔、地方から引っ越してきた時に受けた仕打ちを思い出して腹立って、女子達に怒った。

 あの時の子が、美祢?


「皓稀くんが助けてくれたんだよ。些細な事かもしれないけれど、私は救われたんだよ。皓稀くんは優しくて、おもいやりがあって、キラキラしたもの、持ってるよ。だから、あの絵。あんな風になれたら良いなって。そう思って。その」


 最後の部分は聞き取れないほど小さくかすれた声だった。


「うまく言えないけど、私、ずっと皓稀くんのこと憧れてたよ」


 爆発しそうなくらい、美祢の顔が赤い。

 美祢はずっと俺を見ていた。

 その事実が、めちゃくちゃ嬉しかった。


「……俺ら、すれ違いって奴かな? これって」

「そうなのかも。真紀ちゃんも同じようなこと、言ってたよ」


 赤い顔のまま、美祢が笑う。


「なぁ、美祢。俺の噂だけどさ」

「えっ、何?」


 グダグダになったけど、言う。

 今なら言えそうな気がする。

 言っても良い気がする。


「俺が恋していたのは、美祢、お前だ」


 ボッ、と美祢の頭から煙が出たような気がした。たぶん、俺の頭からも。

 機能停止してしまった二人の間に、熱の篭った静寂が通り抜ける。

 多分この狭い部室の温度はかなり上がっているハズ。


「……聞こえた?」


 目が点になったまま美祢は固まってしまっていたので思わず聞いてしまった。

 そして、固まったまま、美祢が小さく頷く。それが「聞こえた」に対する返事なのか、「好き」に対する返事なのかは判らなかった。だけど、確かに美祢は小さく頷いてくれた。

 

 自分で言うのも何だが、学校という世界で、今まで住む場所が違っていた「非対称」な二人の想いは、この小さい部屋の中で確かに繋がっていた、と思う。


 美祢と観たシャガールの「誕生日」ーー

 俺の脳裏に、幸せで浮遊している場面を描いたシャガールの「誕生日」の絵が静かに浮かんだ。

 俺も今、あんな風に浮いてンじゃないかと、すこし思った。

いかがでしたでしょうか?ニヨニヨして頂けたら嬉しいです^^


二人のキューピッド役になった、晴人くんと真紀ちゃんですが、彼らの奮闘と恋(!)を描く番外編を計画しています。またもやナツさんとコラボレーションして後日公開予定です!


お読みいただいてありがとうございました!!


ナツさん作の美祢ちゃんサイドもぜひお読み下さい^^

http://ncode.syosetu.com/n1187cc/

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ