ゆえに猿渡 佐助は、使え続ける。
年も明けて、日差し暖かな今日、以前から計画していたことを実行するため美弥お嬢様に声をかけられた。
「しかし、お嬢様。あいつが不在の時は、どうするのですか?」
「調べはついています。リサーチした結果、とくに予定もないため寝て過ごすと言っていました」
赤い革の手帳を胸に抱きしめながら口にした。その手帳には、私が調べたことが大半をしめているのだが、数えきれないほどの情報がつまっているのだろう。
「ケンカしちゃ、駄目ですよ」
美弥お嬢様が、一言一言区切り念を押すかのように言った。ろくに話をしたこともない私があいつとケンカした事実はないのだが。
「私はその間、準備をしておきますからよろしくお願いします」
「かしこまりました」
お嬢様にそう告げて、車で目的地に向かう。
チャイムを鳴らしたが応答がない。お嬢様の言う通りとくに予定がないはずなのだが、急な予定が入ったかもしれないと脳裏をよぎったが、あらためてチャイムを連打した。
少し経ってドタドタと物音をたてて寝ぼけた顔の狗神が姿を表した。まだ、頭が働いていないらしい。半眼のまま固まり、
「なんで、家知ってるんだよ」
「今さら当たり前のことを聞くな。それより早く準備しろ」
「俺はこれから、二度寝を楽しむんだよ。じゃあ……」
ドアを閉めようとしたところで私は、足を滑り込ませる。
「これから美弥お嬢様と初詣に行ってもらう。まだ、行ってないだろう」
「だから、なんで知っているんだよ」
狗神は、両手を使いドアを閉めようとするが私も負けじと阻止をする。観念したのか息を切らしながら、
「第一、人ごみの所に行って生徒に会ったりしたらどう言い訳するんだよ」
「許嫁です。と言えばいいだろう」
「言えるかっ!!」
「遠くの神社に行くからそれは、問題ない」
「なら、安心だな。と、でも言うと思ったか。断る」
ため息を吐き狗神の首根っこをつかみバスルームへと向かい顔めがけてシャワーを浴びせかけた。
「わっ。冷てぇ。ああもう。脱衣場まで、びっしゃびしゃじゃねぇか」
「お前がぐだぐだしているからだ。5分待ってやるから早く準備しろ」
「はあ。わかったよ」
狗神は、わざとらしいため息をつきシャワーを浴びている音を聞きながら、私は部屋の中を眺めた。意外と片付いている。部屋の中を写真に納めお嬢様に見せたら喜びそうだがそこは、理性を抑えやめておいた。
車の後部席に狗神を乗せ、準備を済ませているであろうお嬢様を迎えに行く。バックミラーでちらりと見てみれば何やら景色を眺め不機嫌そうな顔をしている。
「お嬢様に会うまでにその顔、直しておけよ」
「悪かったな。この顔は生まれつきだよ」
一瞬訳がわからなかったが、言い方が悪かったと思い言い直す。
「お嬢様に会うまでにその不機嫌な顔を直せと言うことだ」
「誰のせいだよ」
しばらく黙っていたかと思うと沈黙に耐えきれなかったのか口を開いた。
「美弥に使えて長いのか?」
「お嬢様が3歳の頃からだからもう12年になるな。もっともその頃は世話役というより遊び相手だったがな」
「お前は、いくつだったんだよ」
私は、鏡越しにニヤリと笑った。
「いくつにみえる?」
「そういう合コンみたいなノリどうでもいいんだよ」
「お前と同い年だ」
「はあ?タメかよ。美弥の相手で老けたんじゃねえの?」
「大きなお世話だ」
目的地についたので急ブレーキをかけ止まると丁度、支度を済ませたお嬢様が出てきた。
「猿渡。乱暴な運転は、感心しませんよ」
車から降りて、申し訳ございませんと頭を下げてお嬢様を車に乗せる。
「賢輔くんおはようございます」
「……お、おはよう」
狗神は、いつもと違うお嬢様にあっけに取られているのかポカンとしていた。お嬢様の格好は、いつもの洋装とは違って赤の生地に華をあしらった振袖に長い髪の毛は編み込みをして芍薬の飾りをつけてまとめられている。
「お着物どうですか?」
「いいんじゃねぇの?馬子にも衣装って感じで」
「またそういうこと言うんですから」
そっぽを向き、頬を膨らませていうるようだ。
「冗談だ。似合ってるよ」
狗神がそう付け足すとお嬢様は、満足そうに微笑んだ。しばらく車を走らせ目的の神社に到着した。
「お疲れさまでした」
お嬢様に手を差し出し後部席から降りるのを手伝う。狗神は疲れたのか、肩や首を回している。本来ならお前がやるべきものをと思ったが簡単に触れさせるのも気にくわないので黙っている。
「では、のちほどお迎えに参ります」
「分かりました。では、賢輔くん行きましょうか」
「は?あいつは、一緒に行かないのか?」
「だって、今日は、デートですからお邪魔虫は退散です」
「虫って」
少し離れたところでそんなふたりのやり取りを聞き、いざとなればすぐ駆けつけられる位置にいる。ふたりの関係性を知らない人から見れば、恋人同士に見えるのだろうか。いや、よくて仲のいい兄妹といったところか。
お参りも済ませ席を外しているお嬢様を待っている間、狗神にこんなことを投げかけられた。
「お前は、俺が美弥の許嫁でいいと思っているのかよ」
「納得はしているが、認めてはいない」
「奇遇だな。俺もだよ」
「なら、どうしてお嬢様にそう言わない?」
「……言っているさ」
「特定の相手がいるならはっきりと伝えてやるのが礼儀というものだ。そういう相手がいないから慕ってくるお嬢様を無下にしないんじゃないのか?お嬢様は、今でも愛らしいしこれからもっと美しくなる。実際、まとわりつかれて悪い気はしてないんじゃないのか?言い返せないところを見るとそうみたいだな」
狗神は、高校の頃に付き合っていた相手がいたがその相手と別れてからそのあと誰かと付き合ったと言う話は、現在まで聞いていない。
「こら。猿渡。賢輔くんをいじめたらいけませんよ」
ふいに声をかけられ振り向くと膨れっ面のお嬢様が立っていた。
「すみません」
「賢輔くん。私からも謝ります。猿渡が失礼しました」
「ああ」
「では。帰りましょうか」
オレンジ色に染まる夕陽を眺めながら、お嬢様は、終始笑顔で話していたが、狗神はうわの空で相づちばかり打っていた。
「賢輔くん、始業式に会いましょう。あ、でも賢輔くんからのお誘いなら夜間問わず歓迎しますけど」
「ああ。そうだな」
相変わらず、そっけない態度の狗神を家の前で降ろし私たちも家路へと戻ることにする。
* * *
「なぜ、今朝あいつとケンカするなとおっしゃったのですか?」
バックミラーでお嬢様の顔をちらりと見ながら尋ねてみた。
「だって、狗神と猿渡じゃないですか」
考えてみれば狗神と猿渡。なるほど、犬猿の仲とはうまくいったものだと私は思わず笑みをこぼした。
「けれど、あのようなことはもうやめてください」
先程までの軽口とは裏腹に真剣身を帯びており、背筋がさらに伸びた。
最初は、お嬢様の遊び相手だった関係も今では、世話係兼変な虫が付かないようにと護衛も担っている。やはり、長年見てきたからこそあと数年であいつのものになってしまうのは気にくわない。だが、今さら他のやつに渡す気にもなれない。ならばいっそうのこと……。そんな邪な想いを吹き飛ばし噛み締めるように言葉にする。
「かしこまりました」
この気持ちに蓋をして私は、これからも使え続ける。