60:おやすみ
大きな水の玉の中でゴボンッとひときわ大きな気泡が吐き出され、騎士が溺死し、時を同じくして闘技場の外で盛大に己の内臓と血をそこらじゅうに撒き散らし騎士が絶命する。
騎士という職の拠り所である絶対防御。それが、いかなる攻撃にもその効果時間いっぱいまで耐えきったという勝利の瞬間であり、敗北の瞬間でもある。
騎士の剣を持ったままトリンに近づき囁く。
「死にたくなかったら降参をお勧めします」
彼等が頼りにしている権力的な観点から、このまま殺してしまっても最終的に問題なしというところに落ち着くだろうけど、この場でそれをするのは色々と体裁が悪い。ここにいる全員に私の後見がローランだと知らせるつもりは無いのだ。知らせない以上、一介の教師が王家筋のズヴァールの跡継ぎを試合とはいえ手に掛けたとなると色々問題になる。精々が手駒の騎士までが出来る限界、いや騎士達を蘇生不可能な灰にしてしまっている時点でこれもやりすぎだろう。
今回はテレスさんが少し黒く暴走気味で、騎士の名誉みたいなものを粉々に打ち砕いてしまっている。私がここに来た時見たあの禍々しい感情がまだ少し残っているのだろう。普段ならばやらない事...でもないか。あぁ、なんかこれはテレスさん的に通常営業な気もしてきた。
騎士の絶対的な信用が揺らぐこの出来事はおそらく無かった事にされる。その辺はラムダ君が動くだろう。今起きた事の重大さに気付いている目撃者をどうにか、それこそ消してしまうとか。
消してしまう。
ならば、
いっその事この男も
ここで、
騎士の剣を振りかぶる。
それを冷静に見ている私がいる。
感情に身を任せても精々がここまで。
あと少し、切っ先を動かせば何が起きるか観察し推測する私がいる。
冷静だなあと思いつつもその思考に一瞬身を任せた自分が精神的にまいっている事を実感する。
「……マイッタ」
トリンの降参の声が闘技場に響く。
うん、ラムダ君は自分も含めた騎士のために色々工作しなくちゃならないだろうし、それにプラスして冒険者が大貴族を殺すなんて問題起こしちゃダメだよね。
(殺すなら闇に紛れてが基本なのだ!)
私の思考に念話で割って入るクロ君。君はエスパーか!
(くっくっく、念動力が使える我は正しくエスパー!)
はっ! まさに!
(いやいや、素で私の思考と会話成立させるのやめてくれる?)
(念動力を極めし我は精神感応に目覚めてしまったのだ!)
(ふーん、凄いね)
(むぅ!)
クロの冗談は置いとくとして、今の他愛ない会話でいつもの調子が戻ってくる。
やはり相当疲れているみたい。大図書館でもだけどクロには色々と助けられているなぁ。
(えっへん!)
(もぉ、やめってってば)
降参の声とともにテレスさんが魔道具を操作し闘技場のロックが解除される。
解除されたからといって闘技場に上がってくる気力の残っている騎士もなく、私がテレスさんと合流しマウラさん達の方へと歩き出すのをただ黙ってみているだけ。
闘技場の出入り口が騒がしくなる。
見れば、正式な装備の騎士達が列を成してこちらへ向かってくる。ラムダ君の部下なのか、随分と立派な装備に身を包んだ騎士達。いや、英雄の騎士ならば最高級の装備をしていて当たり前なのかな。
傍らには気配の薄い藤原君がこちらを見ながら肩をすくめている。
隠密に気付かない騎士達に対してなのか、ロイヤルガードのスキルを解いて騎士達に指示を出し始めているラムダ君に随分都合がいいタイミングで来たよなという皮肉めいたものなのか、その両方かもしれない。
私が手を挙げると、向こうもそれに答え手を挙げ、そしてその手を軽く振りながら声に出さず口の形だけで「またな」と言い背を向け闘技場の外へと向かい歩き出す。
隠密スキルの効果を上げたのか一段と気配が薄くなっていく藤原君を見送る。
なんかちょっと格好良い。
「なんだ! 何をする! 無礼ではないか」
英雄の騎士達に連行されるズヴァール卿と目が合う。
「あいつだ! あの女を捕らえろ!」
ズヴァール卿の指差す方。私に目を向ける騎士達。
騎士達が私に気付き目を伏せ膝をつこうとようとするのを手で制してそのままいくように合図する。
「おい! なんだ! どういうことだ! あの女を...」
英雄の騎士達には私のことは既に周知済みという事か。
じゃあ、エリック王子の騎士達もということに、というよりローラン王家直属の人達全てにっていう所かもしれない。
するすると肩に登ってきたクロが私の頬に頭を擦り付けながら言う。
(全力で囲い込みにきてるな!)
(うーん、まあ、一々説明しなくて楽と捉えよう)
(ぽじてぃぶしんきんぐ!)
「…………」
ぐったりしたまま連れて行かれるトリン。そういえば回復できる人がいないんだっけ。
ま、どうでもいいか。というか眠い。
指示を出し終え、ひと段落した英雄さんに声をかける。
「ラムダ君」
「ハッ」
っと、一声発し膝をつく英雄さんと騎士さん達。先ほど制した、いわゆる公式な対応をされてしまう。うーむ、もう秘密にする気も無いのね。まだ生徒がいるんだからやめて欲しいんだけど。
「えーと、私達はもういいかな?」
「はい、後はこちらで処理しておきます」
処理ねぇ...いいか。
「リン先生、あの...」
「あー、皆も疲れているでしょう。もう安全だから」
今のラムダ君達の対応を聞かれても答えに困ってしまうので、質問を遮り話を進めてしまう。
「え、あの...」
「部屋に戻ってゆっくり寝て、また明日話しましょう」
私もゆっくり休みたい。
後始末もすぐにどうこうと言う話にならないだろう、取り合えずラムダ君達ローラン王国に人達に任せてゆっくりしよう。
「失礼します」
「ありがとうございました」
「よろしくお願いします」
と言い残しそれぞれ寮へと戻っていく生徒達。
ん? お願いします? 誰を?
と疑問に思った所で気がつく。右の袖を掴んでいるマウラさんと左に寄り添うテレスさん。
いや、気が付かない振りをしていたのだけど...うーむ。
そのまま気が付かない振りをして歩き出す。
リンの部屋。
うーん。
(リンー、開けてー)
扉をカリカリと引っ掻きながらクロが念話を送ってくる。
糸で扉を開けると、とぅっとクロがベッドに飛び込んできて聞いてくる。
(なにこれ?)
(さあ? ところでどこに行ってたの?)
(さあ?)
(なにそれ?)
(さあ?)
(もー、寝るよ)
(大丈夫なのか?)
(うん、マウラさんには睡眠の魔法をかけたから起きる事は無いと思う。テレスさんは...まあ、平気でしょ)
(うむ、そうだな)
ふかふかのベッドは久しぶりだ、目を閉じると一気に眠気が襲って来る。
それに抗う必要が無いというのはとても気持ちがいい。
「おやすみ。クロ」
「にゃ」
私の顔の横で丸くなっているクロが頬をぺろっとひと舐めして顔を押し付けてくる。
ヒゲが少しくすぐった……い。
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