第80話 獣
モサはドンに右目をやられた。右目を開けることもほとんどできないみたいだから、ほぼ見えていないと考えていい。右側の視野は極端に狭まっているということだ。
俺たちはできるだけ向かって左側、モサの右側から背後に回るようにした。
死角から、俺かハイネマリーが銃をぶっ放す。
モサはすでに銃声を覚えているから、撃たれれば撃った相手を探そうとする。だが、俺たちは死角に入っているから見えない。見えない相手を見ようとして、頭を、身体を動かす。そのぶんロスが出る。そのロスの間に、俺たちは移動する。余裕があれば、木陰に身を隠す。どこに行きやがった!……と、モサは暴れる。そのまま放置しておけば、あきらめて集落へと向かうかもしれないが、そうはさせない。頃合いを見て、また銃撃する。
俺がモサに見つかったら、ハイネマリーが別方向から射撃する。ハイネマリーが見つかったら、離れたところから俺が撃って注意を引く。
まあ、綱渡りといえば綱渡りだ。しくじったら終わる。しくじらなくても、モサが予想外の動きをするかもしれない。
いや、「かもしれない」以上の可能性として、それは起こりうる、いつ起こってもおかしくない事態だ。
「おおうッ……!?」
ハイネマリーが銃を撃った。その直後じゃない、その直前に、モサがハイネマリーのほうに首を巡らせた。
当然、弾は当たらなかったし、ハイネマリーがモサの視界に入った。見つかった。
「くそ……!」
今、ハイネマリーはモサの正面、俺はモサの右側面に位置している。俺は撃った。弾はやつの閉じた瞼のあたりに当たったが、止まらない。モサはハイネマリーに突進する。
「逃げろ、ハイネマリィィィー……ッ!」
もちろん、俺に言われるまでもなく、ハイネマリーは逃げようとしている。が……あの馬鹿!
ハイネマリーは俺がいるほうじゃなくて、反対方向に走っている。
俺を巻きこまないためだ。
「キサラギ……ッ!」
ハイネマリーはちらっと振り返った。
「すまぬ……ッ! あとは頼んだぞ……ッ!」
「謝ってんじゃねえ……!」
俺は駆ける。必死で駆けながら、銃に弾を込める。ドンとミリリュが俺よりも先行している。でも、とても間に合いそうにない。俺は撃った。当たりはしたが、モサはこっちを向かない。見向きもしない。
「一回だ! ハイネマリー! 一回だけ、死ぬ気でかわせ……! 一回だけでいい! わかったな……!」
ハイネマリーの返事は聞こえなかった。
俺は……信じるしかない。あいつはドワーフだ。ただの小娘じゃない。ドワーフの女だ。短剣を使わせればいっぱしの戦士だし、修羅場だってくぐってきている。俺はあいつを信じる。目をつぶったりしない。次弾を装填しながら、目ん玉ひんむいて見ていてやる。
ムオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン……!
モサが前肢で踏んばって、グゥンッと首をのばす。
そして、その勢いのままハイネマリーにかぶりつく。
俺は奥歯をゴリッと噛み鳴らした。
「ツァ……ッ!」
ハイネマリーが裂帛の気合いを発した。
そこしかない、というタイミングだった。
モサは土ごとハイネマリーを食らおうとしたのだろう。やつの下顎が地面を抉って、ガンッと上顎に衝突した。
間一髪、その寸前に、ハイネマリーは急停止して、後ろに跳んだのだ。
「ふおぉ……ッ!」
ゴロンッと転がったハイネマリーを、ミリリュのでかいオッパイと両腕が受け止めた。
「っ……! さあ! こちらへ……!」
ミリリュはハイネマリーを抱きかかえるようにして引っぱり、近くの木立に逃げこもうとする。
だが、モサはもうミリリュとハイネマリーに狙いを定めている。
「ふう……っ!」
俺は息を吐いて、足を止めた。
力むな。
余分な力を抜け。
力は必要なだけでいい。
引き金を引く人差し指にこめる力も最小限だ。引くぞ、撃つぞ、という気合いは空回りするどころか、銃身自体を上向かせる。銃身が一ミリでもずれれば、着弾点では何センチも、それ以上外れかねない。
撃て、と念じれば、どうしても身体が過剰に反応する。
だから、そうじゃなくて、撃つ。
スッ……と、撃つ、と思うのと同時に、撃っている。
硝煙。
銃声。
銃弾が飛ぶ。
飛んでゆく。
そのときの俺にはなぜか、はっきりと弾丸の軌跡が見えた。
銃弾はまっすぐ突き進む。
標的はモサの左目だ。
当てる。
当たる。
行け。
「……っ!」
俺は歯噛みして次の弾薬筒を用意しはじめた。
当たりはした。モサの左目に当たることは当たったが、端のほうだ。目尻のあたりに当たった。モサはムオオオオオオンと吼えて身をよじって左目をまたたかせているが、あれだとたぶん、見えなくなるところまではいかない。ああいう生き物は人間ほど痛みに敏感じゃないはずだから、だめだ。あの程度じゃあ、ほんのわずかな時間稼ぎにしかならない。あれじゃあ足りない。
足りなかった。
モサはすでにもう、ミリリュとハイネマリーに食いつこうとしている。やばい。
なんてこった。
「グァガラッシャァ……ッ!」
ドン。
ドンだ。
ドンが跳びあがってモサの横っ面に二本の剣を同時に叩きつけた。
無茶だし、ムチャクチャだ。
しかも、効いた。
モサの野郎が、あのクソでかい化物が、ぐらっと揺らいだのだ。
「オォォーッシュ……ッ!」
ドンは着地して、さらに追い討ちをかける。モサの下顎を剣で斬りつける。斬る。斬って、斬って、斬りまくる。叩っ斬る。二本の剣を休まずにぶちこみまくる。そして、ドンは叫んだ。
「グラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ……!」
全身の皮膚が、神経が、肝が、魂が震えた。ものすげー声だ。驚くとか、ビビるとか、そういう次元じゃない。これは、畏怖。俺は感動すらしていた。
ドン、やべえ。
やばすぎる。
俺は立ちつくして、ミリリュとハイネマリーはひっくり返った。
それより、モサだ。
あの尋常じゃない化物が、明らかに怖じ気づいて、あとずさりしたのだ。
このまま押しきれるんじゃねーか。瞬間、俺はそう思った。ドンがいれば、やれるかもしれねえ。
すぐに、甘い考えだな、と思いなおした。モサは獣だ。獣を舐めるな。獣はいけると思ったら嵩に掛かって攻めてくるが、少しでも形勢が不利になればためらうことなく身を守ろうとする。獣は恥だの外聞だのプライドだのといった余計なもので本能を鈍らせはしない。
案の定だった。
「う、お……!」
俺は腕を上げて顔を庇った。
ものすごい震動。立っているだけやっとだ。それから、土煙。いや、土だけじゃない。石だの草だの枝だの、小さな木だのが舞いあがる。降りそそいでくる。
モサがいきなり前肢と後肢、それから尻尾で地面をめちゃくちゃにぶっ叩きだしたのだ。
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