第78話 おっかねえ
まずはあの化物、超大鰐、ダイノギュラ、またの名をモサを、集落の外へと誘いださないといけない。
俺は海サハギンたちに急いで逃げるように声をかけながらモサの前に回りこんだ。まだけっこう距離はある。十メートル以上離れているのに、なんて迫力だ。逃げだすこともせずに縮こまっている海サハギンたちの気持ちもわからないでもない。正直、こんな生き物が存在する、しかも、目の前にいるってことが信じられないし、認めたくない。そりゃねーよな。あんまりだ。どうにもならねえ。こんなの、どうしようもねえ。頭の中が真っ白になりそうだ。でも、脳内にどんどん広がってゆくその空白に、俺は思考の楔を打ちこんでいかなきゃならない。キビキビ動けよ、俺の身体。シャキッとしろ。
「よう、モサ野郎」
俺は笑って銃を構える。
モサは片時も止まることなく動きまわっている。動いて、海サハギンを食らっている。やつが食い飽きることはあるのか。どれだけの海サハギンを食えば腹一杯になるのか。
俺は照準を定めようとする。
狙いは目だ。
標的が動きつづけているから、いくら俺でもそう簡単じゃない。だが、早くしろ。今も子供を抱えた女サハギンがつかまった。女サハギンはとっさに子供を放り投げて、自分だけモサに食われた。モサは間髪を容れず子供をぺろっといただこうとしている。俺は引き金を引いた。銃声。
外れた。
いや、当たったことは当たったのだが、目じゃない。銃弾は目の下、頬のあたりをかすめた……ってわけでもねーな。そこに、命中はした。が、やつの全身を覆っている鎧状の鱗板に弾かれてしまったのだ。
やつはびくともしなかった。子供サハギンにかぶりついて、一噛みしただけでのみこんだ。
そしてまた、新たな獲物を食らおうとしている。
さっきと同じだ。立ちつくしている、子供を抱いた母親。
あれは。
見覚えがある。
間違いない。
氏族長の娘と、その孫だ。
「シャフィラ……! プリニキ……!」
氏族長の声が聞こえた。どこかそう遠くない場所から自分の娘と、それからたぶん孫の名を呼んでいる。
モサはもちろん、おかまいなしだ。シャフィラとプリニキに飛びつこうとしている。
「この俺を無視するんじゃ……」
俺は素早く次弾を装填、ただちに撃った。
「ねえ……!」
今度はモサの鼻先に当たって、やっぱり弾かれたが、痛みまではいかなくても痒みくらいは感じたらしい。モサは俺のほうに顔を向けた。
その瞬間、俺はケツの穴から頭の天辺めがけて冷たい電流みたいなものが走るような感覚に襲われた。
これが恐怖ってやつか。
「ハイネマリー……!」
俺は合図しながら銃に弾を込める。ちらっと思った。間に合わねーんじゃねーか。俺らしくねえ。
「おおおおおおう……ッ!」
ハイネマリーの声と銃声が同時に響き渡った。放った弾丸はモサの横っ面に当たって、弾かれたか。
ハイネマリーは俺から見て斜め左方向にいる。モサはそっちを向いた。
「今のうちに逃げろ……!」
俺はシャフィラを叱咤して、すかさず走った。少し距離をとってから、また射撃する。
「おら……!」
なかなか目には当たらない。それでも、弾はモサの口の中に飛びこんだ。やわらかい口腔内なら、さすがに無傷ってわけにはいかないだろう。モサは、ムガアアアアアアアアアアアアアアアア、と吼えてブルルンッと身をよじった。
「こい! こっちだ……!」
俺は駆けながら弾込めをする。モサはだいぶ頭にきたみたいだ。俺を追いかけてくる。
「きさまの相手はキサラギだけではないぞ……ッ!」
ハイネマリーが撃ったが、外したか。それとも、ダメージがないから意に介していないのか。
モサが迫りくる。
俺に。
息が上がっているわけでもないのに、俺の呼吸が乱れる。
モサの一歩ごとに、俺との距離がぐんぐん縮まる。
俺はわけのわからない声を発しそうになる。
視野が狭く、狭くなる。
向いている方向のごくごく狭い範囲しか見えない。
すげーな。
マジでおっかねーと、こんなふうになるのか。とても冷静にとか言ってらんねーな。落ちつくも何も、心理でどうこうできるものじゃない。生理的な反応が正常な思考を妨げている。
こんな状態でも、俺はちゃんと走っている。驚きだ。人間の身体ってやつはうまくできている。たいしたものだ。
俺は制限された認識力を総動員して状況を把握しようとする。シャフィラたちはうまく逃げおおせたか? 現在位置は? 仲間はどうだ? 作戦どおりにいけそうか?
俺はすでに集落を出ている。モサも俺を追って、集落の外へ。
集落を出れば、森だ。ただ、高い木は少ない。灌木か、せいぜい俺の背丈の倍くらいの木がほとんどだ。そうはいっても、まだスピードに乗っていないモサにとっては、障害物のない平地よりもいくらかは進みづらいだろう。
まあ、いくらかは、だけどな。俺にとっていくらか気休めになるかならないか、その程度でしかない。
モサはもうすぐ俺に追いついて、そのでかい、でかすぎる、強靱きわまりない顎で俺をとらえる。
その前に、あそこまでたどりつけるか。
もう見えている。遠くはない。それどころか、近い。
灌木が密生している地帯の中に二本だけ、妙に立派な大樹が寄り添うようにそびえ立っている。あそこまで背が高くて太い木なら、モサの体当たりにも耐えそうだ。
俺はその大樹めがけて全力疾走した。
「キサラギ……!」
ハイネマリーが俺の名を呼んだ。
俺は振り返らない。見なくても、わかる。そうとうやばそうだ。モサは俺の尻に食いつこうとしている。いつ食われてもおかしくない。間に合うのか。知らねーよ。なるようになる。つーかな。なるようにしかならねーだろ。俺にできるのは、走ること。顎を上げないで、腕を振って、脚を動かすこと。俺よ、飛ぶように駆けろ。
何かが俺の背中を、ガツッ……と、かすめたような気がする。
見てねーし、わからないが、まあ、ぎりぎりだったんだろうな。
俺は大樹と大樹の間を駆け抜けた。でも、モサには無理だ。双子めいた二本の大樹の間隔は、せいぜい三メートルかそこらしかない。俺にとっては狭くないが、モサが通り抜けるには不足だ。
モサがドォーンッと二本の大樹に衝突した。大樹は揺れに揺れて、葉だの虫だのが落ちるというより、そこらじゅうにぶちまけられる。
俺は足を止めて振り向いた。
「よし……!」
とはいえ当然、この程度でモサを止められるとはこれっぽっちも思っていない。
「かかれ、ミリリュ、ドン、ギンジー……!」
「はい……っ!」
「オウッ!」
「ギョヒィィィィィィィ……ッ!」
三人はあらかじめ、大樹の枝の上で幹にしがみついて待機していたのだ。
まだ揺れてしないまくっている大樹から飛び降りて、モサの上へ。
俺は銃を構える。ハイネマリーも追いついてきた。
「目だ! 目を狙え……!」
とにかく、視覚を奪う。やつがどの程度、視覚に頼っているのかはわからないが、挙動からして物を目で追っていることは間違いない。見えなくなったら痛手のはずだ。
ミリリュはオッパイを弾ませて身軽にモサの上を疾駆する。ドンは鱗板に剣を一本ぶっ刺して、まずはしがみついた。
「ずおりゃああああああ……っ!」
ギンジーはドンの真似をしようとしたみたいだが、振りおろした銛はモサの鱗板を刺し貫くことができず、弾かれた。
「なぁ……!?」
しかも、勢い余ってバランスを崩し、モサの上から転げ落ちた。
「ギョホオオォォォォォォォォォ……ッ!?」
「……まあ、死ぬなよ」
あいつの性質や能力を考えれば、ミリリュとドンに加わってあんなことをすると自分から申しでただけでも上出来すぎる。俺は気をとりなおして銃の引き金に人差し指をかけ、すぐに離した。
ムオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン……!
モサが吼えながら半分跳ねあがるようにして身体を左右に振った。ドンは大丈夫だ。モサの鱗板に突き立てた剣にしっかりとつかまっている。ミリリュはやばかった。振り落とされる寸前、モサの鱗板と鱗板の合間にミスリルの剣を埋めこんで、それを頼りになんとかしのいだ。
「ムムッ!」
ハイネマリーが吐き捨てるように言った。
「撃てぬ……ッ!」
あれじゃあさすがに、俺も引き金を引けない。
「任セロ……!」
ドンの身体はブルンブルン振りまわされている。それでもドンは二本目の剣をモサの鱗板に突き刺して、一本目を引き抜いた。モサの目に剣が届くところまで、ああやって少しずつ近づいてゆくつもりだ。ミリリュは振り落とされまいとがんばるだけで精一杯のようだし、ドンに頼るしかない。俺は叫んだ。
「頼む、ドン……!」




