第72話 じゃーん
ここは青い谷じゃない。青い谷だったかもしれないが、それはわからない。なんとも言えない。青い谷はまだ別の場所に存在するかもしれない。
俺は仲間のところに引き返した。三角山に登って見渡してみたが、青く光る谷なんてない。海サハギンの集落なのだろう明かりがぽつぽつと見えるだけだ。
翡翠濡れ草はぼんやりと青く光る。あくまで、ぼんやりとだ。遠くから見えるほどの光り方はしないのかもしれない。
俺は三角山のてっぺん付近で頭を抱えたくなった。罵りたいが、何を罵ればいいのか。しねーけどな。そんなことしたって何の意味もない。
「虱潰しに調べるしかねえ」
俺がそう言うと、ミリリュが息をのんだ。
「何だ」
「……いいえ」
ミリリュは首を横に振ったが、上目遣いで空を見ている。
東のほうが紫色に染まりつつある空を。
日はまだ昇っていないものの、刻一刻と夜明けが近づいている。
ハイネマリーも、ドンも、おしゃべりなギンジーさえ、何も言わない。
「なあ、キサラギ」
ジャンカルロは薄笑いを浮かべている。はっきりとまではいかないが、もうその表情が見える。
「おれの考えを言うとだな。翡翠濡れ草なんてもんはねえんじゃねえのか。前はあったのかもしれねえが、もうありはしねえ。探したって無駄だと思うがね」
「いや、ある」
「そう思いてえんだろ」
「あるんだ」
「青い谷、ねえ」
ジャンカルロはニヤニヤしながら無精髭がこびりついた顎を撫でて、
「じつはな。おれも聞いたことはある。涙の島に、青い谷ってのがあったって話はな」
「……あった?」
ミリリュの声はこわばっていた。
ジャンカルロは、
「ああ」
と軽くうなずいた。
「ずいぶん前だけどな。青い谷はあったらしい。この島のあちこちにな」
「そッ、それは……ッ」
ハイネマリーは一度、下唇をぎゅっと噛んだ。
「どういうことなのだッ。どういう意味だ……ッ」
「……ひょっとして」
ギンジーは滑稽はくらいガタガタ震えだした。
「翡翠濡れ草って、ルークヌーのことでは……?」
「ヌゥ。ルークヌー……?」
ドンに睨まれて、ギンジーは縮みあがった。
「え、あ、は、はいっ。その、ええと、ルークヌーっていうのは、光る草のことで、僕らサハギンは……あの、これはたぶん、海サハギンと陸サハギンに関わらないと思うんですけど、それを食べると身体にいいっていうか、何でしょう、滋養強壮みたいな、ちょっと引かないで欲しいんですけど、永遠の命をえられるみたいな、そんな伝説がサハギンの間にあったりして……も、もちろん、今どきそんなこと、みんな信じてるわけじゃないんですけど、わりとポピュラーな伝説っていうかそういう感じなので、ひょっとしてみたいなところもなきにしもあらずみたいな……」
「その伝説とやらは知らんがね」
ジャンカルロは肩をすくめた。
「涙の島には青い谷があった。が、なくなっちまった」
「あなたは……!」
ミリリュがジャンカルロに詰めよった。
「船の上で、青い谷にある翡翠濡れ草が目的だということはお話ししたはず……! 青い谷がなくなったことを知っていたのなら、なぜ教えてくれなかったのですか……!」
「そうくっつくなよ、エルフの嬢ちゃん」
「はっ……」
「まあ、おれは勃たねえからな。悪戯しようにもできねえが」
「……え?」
「たたない?」
ハイネマリーが首をかしげて、
「何がたたないのだ?」
「おっと」
ジャンカルロは片頬をゆがめて、
「ドワーフの嬢ちゃんにはまだ早えかもな。聞かなかったことにしとけ」
「……ムムッ。何やら気になってしかたないのだが……ッ」
「ジャンカルロさん」
ギンジーが目を潤ませてジャンカルロに握手を求めた。
「何があったのか知りませんけど、まだお若いのに……で、でも、男の価値はそれだけじゃないっていうか、やっぱりこう、いろいろなくもないと思ったりもするので……と、とにかく、がんばってください!」
「ぶっ殺すぞ、てめえ」
「ギョォォッ!? な、なんでぇぇっ!?」
「……フヌゥ」
ドンは何と言えばいいかわからない、といった顔をしている。
俺もまあ、そうなんだが。よくわからねーしな。たたねーから、それがどうしたんだっつー気もするし。そんなに困るのか?
「べつに、ジャンカルロを責めたってしょうがねえ」
俺は前髪をかきあげた。
「もし教えられても、俺はきただろうしな。自分の目で確かめねーと納得しなかったんじゃねーか。あんたもそう思ったんだろ」
「さあな」
ジャンカルロは口をひん曲げて、
「そうかもしれねえし、違うかもしれねえ」
「どっちにしても、俺の考えは同じだ。翡翠濡れ草はある」
全員、口を閉じて静まりかえった。
俺が意地になっているか、やけくそになっているか、イカれたかとでも思っているのかもしれない。
でも、そうじゃない。
「翡翠濡れ草がルークヌーだとしたら、だ。そんな伝説級の物を、見境なくぜんぶ食っちまうと思うか? 俺ならしねえ。とっておく」
「やつらはサハギンだぜ?」
ジャンカルロが揶揄するような口調で言った。
俺は、ああ、とうなずいて、ギンジーをちらっと見た。
「そいつと同じサハギンだ。弁も立つし、土下座もする」
「……どっ、土下座は余計じゃないですかね!? しますけど、土下座……」
「このとおり、見た目だの文化だのに差があっても、何もかも違うわけじゃねえ。俺らが何かを大事にするように、サハギンだって何かを大事にする」
「ダガ……」
ドンが心配そうに顔をしかめた。
「翡翠濡れ草、あるとして、ドコにある」
「いくつか考えられなくもねえ」
俺は顎をしゃくって、かつて青い谷だったかもしれない谷を示した。
「たとえば、偉いやつの家だ。それか、どこかに隠し場所があったりとかな」
「まだ探すってのか」
ジャンカルロは呆れ顔だ。それでいて、おもしろがっているようでもある。
俺は人差し指を立ててみせた。
「一日だ。次の夜までは探して、見つかっても見つからなくても脱出する。もうすぐ日の出だ。どうせ次の夜まで船は出せねーだろ」
異議を唱える声はあがらなかった。
俺はまず、青い谷だったとおぼしき集落の、一際でかい家に目をつけた。どうにかして忍びこんで、中を調べたい。でも、あの家が見える場所まで行くと、松明が消えていることに気づいた。集落の中を海サハギンが歩きまわっている。夜が明けつつあった。やつらはもう目覚めている。
どいつもこいつも、口には出さないが、これじゃあ手の打ちようがない、と思っていることは俺にもわかっていた。だが、そんなことは決してない。
俺は待つことにした。ギンジーは陸サハギンの中では異例の無職だった。まあ、サハギンだけじゃないだろうが、働かざる者食うべからず、だ。この集落の海サハギンたちも働きに出るはず。集落が空っぽになることはないだろうが、手薄には絶対なる。
「酒を持ってくるんだったな」
とジャンカルロがぼやいた。
ミリリュは俺の隣でじっと集落に視線を注いでいるが、ハイネマリーはやや眠そうだ。ドンは木に背をもたれさせて目をつぶっている。
……ギンジーがいねえ。
「ミリリュ」
「はい、キサラギ様」
「ギンジーの野郎はどこに行った」
「……え? たしか、先ほどまでは……」
ミリリュはあたりを見まわして、
「いま……せんね。いったいどこに……」
「じゃーん」
と、近くの茂みからギンジーが出てきた。
なんでか知らないが、上着を脱いで上半身裸になっている。それだけじゃない。肌に何か塗っている……か、こすりつけているのか。ギンジーの体色はくすんだ青だが、今はちょっと緑色っぽい。それから、頭に木の枝をくくりつけている。
「一発芸でも披露するつもりか」
俺が平板な声音で訊くと、ギンジーは自分の身体をさわって、
「えっ。み、見えませんか? 海サハギンに……?」
「どこらへんが海サハギンなんだ。一応、説明してみろ」
「や、あの、ほら、下しか穿いてないところとか。あと、肌の色とか」
「その木の枝は何だ」
「こ、これは……なんとなく? と、とります、これはっ。やりすぎですよね、ええ、そうなんじゃないかなーと思ってました。ちょっとこう、僕の不安の表れというか。正直に言いますと、こんなので海サハギンになりきれるなんて毛頭思ってないんですけど……」
「……海サハギンに、なる?」
ミリリュがまばたきをして言うと、ギンジーはうなずいて、
「そ、そうですっ。ぼ、僕……僕なりに考えたんですけど、やっぱり、あの、僕ってほら、こう言っちゃなんですけど、役立たずっていうか、自分なんでここにいるんだろって思わずにいられないっていうか、存在価値、存在理由みたいな、ああ、ないなーと思わずにいられないっていうか、知るかよとか、キサラギさんには言われちゃうかもですけど、ぼ、僕はやっぱり……やっぱり、欲しいんですよね、そういうのが。ずっと、なかったので。村にいたときから、ずっと。それじゃなんていうか、悲しすぎるじゃないですか。僕は悲しいんですよね。だ、だから……」
いつものように、話が長ぇーんだよ、とは俺も言えなかった。
わかるからだ。
度胸があるとは口が裂けても言えないギンジーが、腹をくくっている。
「僕、行ってきます。海サハギンの集落に。何ができるかは、半透明……じゃないな、不透明ですけど、そ、そうだ、情報、情報収集くらいはできると思うんです。ルークヌーがあるかどうかとか、それくらいは。僕はサハギンだし、陸サハギンだってばれても、そこまで危険じゃないと思いますし……なんとかなるんじゃないかと。な、なんとか、してみせます……!」
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