第61話 湖上の火
イチカの病状は、はっきり言って思わしくない。
発熱を確認してから、俺たちはその場で二晩をすごしたが、ミリリュとハイネマリーが探してきた薬草で煎じた薬も、モモヒナの懸命の看護も、さしたる効果をあげなかった。というか、まったくだめだった。むしろ明らかに悪化して、熱は上がり、関節の痛みは強くなって、発疹の範囲も広まった。
水を飲ませようとすれば、飲む。何か食べさせようとすれば、咀嚼してのみくだす。でも、イチカは間違いなく無理をしている。水はともかく、食い物なんか見たくもない、食欲なんてこれっぽっちもないことは明白だ。
よくなりたい、よくならないと迷惑をかける、これ以上迷惑をかけたくないと思っているから、なんとかして物を食べようとしている。一気にたくさん胃に入れると嘔吐を催すから、少しずつ少しずつ、苦行に耐えるように、イチカは食べる。
イチカはずっとあえぐような息をして、びっしょりと汗をかき、始終うとうとしているが、眠るには身体がつらすぎるようで、寝られないから余計に消耗する。
俺は決断した。
ここで養生するには限界がある。俺の計算によると、目的地まではあと三日。行くしかない。
もちろん、イチカは歩けない。運ぶ必要がある。
この問題はハイネマリーが解決した。テムジンの鞍に据えつけられる、多少窮屈だが、人一人がなんとか身体を横たえられる頑丈な寝台を自作したのだ。
ごめんだの申し訳ないだのと繰りかえすイチカを無理やり寝台にのせて、俺たちは出発した。
先を急ぎたいが、テムジンにもイチカにも負担になるので、慌てず騒がずゆっくりゆったりだ。
俺はまあ、いつもどおりなんだが、モモヒナはしょげている。ミリリュとハイネマリーもおとなしい。
しょうもねーやつらだとは思うが、元気を出せと言ったってさすがに無理か。
俺たちは槍山とかいう細長い山の麓をかすめるように進んで、陽が落ちる直前に鏡湖という名のまん丸い湖の畔に達した。
鉄血王国で仲よくなったドワーフの中に、ホルベンストというやつがいる。こいつの叔父ジャッハーがドワーフにしては珍種といってもいい旅好きで、どこかへ行って帰ってくるごとにあちこちの話を聞かせてくれるらしい。俺は前もってホルベンストからいろんな情報を仕入れておいた。
鏡湖の周辺には陸サハギンと呼ばれる淡水魚人の集落があるという話だったが、暗くてよくわからない。念のため、俺たちは鏡湖から離れた森の中で野営することにした。
正解だった。
日が完全に暮れて真っ暗になると、鏡湖のあちこちに火が灯った。
「……あ、あれはッ……」
ハイネマリーはガタガタ震えだした。
「も、も、もしや……人魂なのでは……ッ!?」
「怖いのですか」
ミリリュが、ふっ、と笑うと、ハイネマリーは、
「なななななーにを言っているのだ、このハイネママママリーがひひひひひひひ人魂ごときをおおおおおお恐れるわけがなななななななななかろうッ」
「だったらまともにしゃべれ」
そう言った俺に、ハイネマリーはぐっと歯を食いしばってから、ニカカッ、と笑ってみせた。
「本当なのだッ。怖くなどないぞッ。ハイネマリーはひとらまらろっ……うッ、し、舌が回らなかっただけだ、今のは……」
「つーか、あんなもん、ただの松明かなんかだろ」
「……たッ、松明……ッ!?」
「たぶん陸サハギンの仕業だ。ちょっと見てくるか。モモヒナ、ハイネマリー、おまえらはイチカについてろ」
「んにょー。はーいだよー」
「……う、うむッ。ハイネマリーとしては同行したいが、キサラギがそうまで言うのならば、やむをえぬ……」
「ミリリュ、こい」
「はい、キサラギ様……!」
俺は歩きだす前にちらっとイチカのほうを見やった。
イチカは、テムジンの鞍から外して地べたに置いた寝台の上で、ふう、はあ、ふう、はあ、とあえいでいる。もうしゃべることもめったにないが、俺の視線を感じたのか、こっちに顔を向けた。
あたりは暗い。用心のために焚き火もしていないから、月明かり、星明かりだけが頼りだ。イチカの表情なんてわからない。
でも、笑ったんじゃないかという気がした。
おまえな。
笑ってる場合かよ。
俺は苦笑いを返し、ミリリュを伴って鏡湖へと向かった。
モモヒナたちやテムジンが見えなくなると、俺は足をゆるめた。
「どれくらいもつと思う」
「……正直に申しあげまして、わかりません。わたくしが呪医でしたら、何か手の施しようもあるのではないかと思うのですが……」
「そうか」
「ただ、衰弱してはいますが、一日二日でどうにかなるような容態ではないかと」
「気休めじゃねーよな」
「キサラギ様が気休めなどお望みになっておられないことは、よく承知しているつもりです」
俺は肩をすくめて、しばらく黙っていた。
つい、舌打ちをしてしまった。
「いったい何の病気なんだ」
「あるいは、風土病かもしれません」
「……なるほどな」
俺たちはどこかからこのグリムガルにやってきた。で、オルタナを出て、エルフが住む影森やら、黒金連山にあるドワーフの鉄血王国やらを旅してきたわけだ。
当然、どこにでも病原体はいる。そこに住んでいる生き物は免疫があって、その病原体にやられて病気になっても軽くすんだり、そもそも病気にならなかったりすることも多い。でも、外からその土地に入ってきた者は別だ。
俺は無敵で丈夫だから、当然のことながらどんな病原体もよけて通るだろう。モモヒナも天然で頑丈だ。
イチカはそうでもない。
まあ、普通っちゃー普通なんだろうけどな。
だから、病気の一つや二つしてもおかしくない。
問題は、風土病ってやつは、免疫を持たない者が罹患した場合、えてして重症化して、ときに……死に至るってことだ。
「この俺も、病気が相手じゃあな……」
戦いようがない、とは口が裂けても言いたくないが、いい方法が思いつかない。目的地についたって、どうなる? 何かあてがあるわけじゃない。いや、あては探しだせばいいんだ。そのために行くんじゃねーか。早くたどりつきたい。夜を徹して超特急で目指すべきなんじゃねーのか。だめだ。ただでさえイチカは弱っている。テムジンだって休ませて、たんまり草を食わせないともたない。野営する判断は決して間違いじゃない。夜は危険でもある。
「キサラギ様」
ミリリュは湖岸にほど近い木立の一本にさっと身を隠した。
俺もミリリュの隣にしゃがんだ。
目を凝らす。
「……船か」
「はい。そのようです」
「陸サハギンは、魚人だって聞いたけどな」
魚人にも種類があって、陸サハギンの場合、水中で呼吸することはできないものの、そうとう長い間、水の中に潜っていられるらしい。船なんか乗らずに、泳げばいいだろ。
だが実際、湖に無数といいたくなるくらいたくさんの小舟が浮かんでいる。松明の炎はそれらの船上で揺れているのだ。
「……もしかして、漁か?」
「あっ」
とミリリュは言って、
「そうかもしれません。一人が松明を持って、何人かが作業をしているようです」
「魚人なら、泳いでとれよ……。いや、網だの何だの使ったほうが効率がいいか」
「彼らは仕事中のようです。危険はないのでは……?」
「そうだといいけどな」
「え……」
俺はミリリュの唇に人差し指を押しあてて、静かにしろ、と合図を送った。
ミリリュはすぐさまうなずいたが、俺の人差し指をじっと凝視している。何、見てやがるんだ、こいつは。
俺が首をひねると、ミリリュは何かを決心したように目をつぶって、俺の人差し指をついばむみたいな感じのことをした。
「……?」
意味がわからねえ。
俺は手を引っこめた。でも、なんとなく腹が立ったので、ミリリュのオッパイをガシッとつかんでやった。
「っ……っ……っ……」
ミリリュは声を殺して身悶えている。これに懲りて、二度とわけのわからねーことはするんじゃねーぞ。
それどころじゃねーんだからな。
かさかさ、かさかさ、と……草を踏むような音が聞こえる。
何かが近づいてくる。
影が見える。
人っぽいフォルムだし、人影、と言いたいところだが、十中八九、人じゃないだろう。
ミリリュがミスリルの剣を抜こうとしている。
俺は迷っていた。
らしくねえ。
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