第33話 おだてて木に登った豚は
どうも涙の河のそばにいるとリザードマンが際限なくわいて出てきそうだったから、とりあえず川から離れることにした。
リザードマンの大群に追われながら、だが。
やつらは見た目にインパクトがあるので大きく見積もってしまうが、実際は人間より一回りくらいは小さい。
たいてい槍を持っているものの、他には骨だの何だので作った首飾りくらいしか身につけていなくて、槍も木の棒に尖らせた石だの骨だのをくくりつけてあるだけの単純なものだ。
頭はたぶん、よくない。言葉を話している様子はないし、複雑なことを考える知恵はなさそうだ。
槍や首飾りもやつらが発明したわけじゃなくて、人間なんかの知的な種族の真似をして覚えたんじゃないかというのが俺の推測だ。
ただ、数は多い。
一人一人は剣舞師ミリリュの敵じゃないし、モモヒナの魔法もよく効く、神官だが運動神経のいいイチカでもそうそう負けない程度の強さだが、あれだけたくさんいるとどうにもならない。
で、俺はやむなく撤退することにしたわけだ。
川から遠ざかるに従って追いかけてくるリザードマンは少なくなっているが、ゼロにはなかなかならない。
「テムジンは……!」
俺は周りを確認する。
いた。
テムジンは俺たちの先を走ってる。
後ろにはリザードマン。
右のほうにも、左のほうにも、リザードマンがいる。
「少し、減らしますか……!?」
ミリリュはそう言うが、だいぶ息があがっている。オッパイがとんでもなく揺れてるしな。あれって痛くねーのか。
「いや」
俺は近くの木に飛びついた。
「登れ! がんがん登れ! 登りまくれ! ……テムジン! おまえは逃げろ!」
「ヒヒィンッ!」
テムジンのいななきは、言われなくたってそうするよ、みたいに聞こえた。
俺は木に登った。
ミリリュは最初の二メートルくらいをタタッと駆けあがって、それからよじ登る。
モモヒナはやたらと速い。すいすい登っていく。猿みたいだ。
イチカはミリリュとモモヒナに比べれば苦戦しているが、それでも悪くはない。まあまあの速度だ。
「……た、高っ。し、下を見ないようにすれば……!」
苦労してはいるみたいだけどな。
やがて俺らが登っている木の周りにリザードマンたちが集まってきた。
「だ、大丈夫なのでしょうか……?」
ミリリュは危なげなく太めの枝を足場にして立っている。
「にゅほー……」
モモヒナは高いところの枝に両脚をかけてぶら下がり、猿みたいっつーかほとんど猿だ。
「し、下、どうなってるの!?」
イチカは幹にしがみついて、目をつぶっている。
「まだいる!? いるの!? リザードマン!?」
俺はため息をついて、
「自分の目で確認しろ」
「で、できたら訊いてないしっ。下を見ると、動けなくなっちゃいそうだから……」
「おまえ、下りられんのか、そんなので」
「わかるわけないっ。あんたが登れって言うから、登ったんだからっ」
「おわっ! やべっ!」
と俺が叫ぶと、イチカは、
「きゃああああっ! ちょっと何!? くるの!? リザードマン!? 登ってくる!? ねえちょっと、教えて! 怖い怖い怖い! もうやだ……っ」
「こねーよ」
「えっ」
イチカは目を開けて下を見た。
途端に全身をこわばらせた。
「ひぃぃぃぃ。高いぃぃ。お、落ちちゃうようぅぅぅ。助けてぇぇぇぇぇぇ」
「いっちょんちょん、いっちょんちょん」
モモヒナは両脚だけで支えている身体をぶらぶらさせてみせた。
「だいじょぶ、だいじょぶだよー。見て見て。ほらほら。こんなふうにしても、ぜんぜんだいじょぶだしー」
「ひぃやぁっ。や、やめてモモヒナっ、落ち、落ち、落ちるっ、だめっ、あぶなっ」
「落ちないってばー」
「やめて無理もう無理絶対無理、し、心臓が……っ」
「それにしても……」
ミリリュは一応、ミスリルの剣を構えたままでいる。
「リザードマンたち。登ってきませんね」
「登りたくても登れねーんだろ」
俺は顎をしゃくって木の下をうろうろしているリザードマンたちを示した。
「あの身体つき。木登りに適してるようには見えねーからな。泳ぎと歩きが半々ってとこで、魚かなんか食ってんだろうし、ふだんの生活で木に登ることなんてねーはずだ」
「そこまで見抜いていらっしゃったとは……さすがキサラギ様です!」
「これくらい当然だろ。つーかおまえ、チチバンドがずれてオッパイ見えそうだぞ」
「はっ……! と、とんだ粗相を……!」
リザードマンたちは十分か十五分くらいすると散っていった。
俺たちは用心のために、やつらが完全に見えなくなってから木を下りた……んだが。
「……おりれない。むり。しんじゃう」
イチカが木にしがみついたまま、一向に下りてこない。
「へいきだよー」
モモヒナが下から呼びかけた。
「いっちょんちょん、そこからならね、もし落ちちゃっても、たぶん死んじゃわないよー。そんなに高くないよー。もし怪我とかしてもね、いっちょんちょんの魔法で治せるよー」
「……わかってはいるんだけど。頭では。理性ではわかってるの! でも、身体が……」
「むーん。困ったなあー」
「イチカさん!」
ミリリュが両腕を広げてみせた。
「わたくしが受け止めてみせます! どうか飛びこんできてください……!」
「む、無理っ!」
イチカはぶんぶん頭を振った。
「いくらミリリュの胸がおっきくても、それは無理!」
「放っとけ」
俺は歩きだした。
少し離れてから振り返って、
「何やってんだ、モモヒナ、ミリリュ。イチカのことは放っとけっつてんだろ」
「うにゃ?」
「で、ですが……!」
「いいからこい。テムジン! おまえもだ」
呼びかけると、遠くに避難していたテムジンが俺のほうに駆けてくる。
俺はイチカがいる木に背を向けて歩く。
ずんずん歩く。
「ぬー。きさらぎっちょん、待ってよー」
モモヒナがまずついてきた。
ややあって、
「……主命、なのですよね。やむをえません……イチカさん、ごめんなさい……」
と、ミリリュも。
「ちょ、ちょっと……!? 嘘でしょ!? い、行かないで!? 置いてかないでってば! ねえ……!」
イチカが叫んでいるが、無視、無視、無視。無視の一手。徹底的に無視だ。
「うー……」
モモヒナが唸った。
ちらっと後ろを見ると、立ち止まってイチカのほうに目をやっている。
俺は小声で、
「モモヒナ」
「……ほゃ?」
モモヒナがこっちを向いたので、俺はしょうがなく片目をつぶってみせた。
「はっ」
モモヒナは目を瞠ってコクコクうなずき、きししー、と笑った。
そうしてスキップして俺に追いつくと、腕を組んできた。
「いこいこーっ。いっちょんちょんばいばーい」
ミリリュも小走りに俺のところまできて、
「……よいのですか?」
「いいもクソもあるか。黙って言うとおりにしろ」
「は、はいっ。申し訳ありません……」
「ブヒヒーンッ」
テムジンもきた。
俺はスキップするモモヒナに若干引っぱられるようにして、ミリリュ、テムジンを従えて歩きながら、イチカの様子を確かめたりはしていない。
必要がないからだ。
見なくたって、手にとるようにわかる。
イチカは今、迷っている。
「もうやだ! 何なの! 信じられない! 置いてくなんて! ひどい! ひどすぎ! ありえないんだけど! キサラギだけなまだしも、モモヒナとかミリリュまで! どういうこと!? 何なのいったい!?」
とかなんとか言いながら、木から下りるのと、このまま一人取り残されるのと、どっちがいやか、恐ろしいか、イチカは天秤にかけている。
まあ、答えは決まってるんだが。
「もういい! もう知らない! どうなったって知らないんだから! 死んだら責任とってよね! 絶対許さないんだから!」
たぶんイチカはそんなようなことを言って、涙がにじむ目をきつくつぶるだろう。
そして、ゆっくりなんてとうてい不可能だから、一気に、滑り落ちるように木から下りるに違いない。
ほらな。
「……きゃあっ!」
悲鳴が聞こえた。
俺は足を止めて振り返った。
イチカは木の根元にしがみついて、地面に尻をついている。
「……いったぁぁ……」
「やったーっ! いっちょんちょん、おりれたねー!」
モモヒナがきゃっきゃと騒いだ。
「キサラギ様……」
ミリリュはびっくり顔で俺を見つめた。
「まさか、こうなると見越されたうえで、わざと……?」
俺は返事をしないでテムジンの背に乗った。
「おら。早くこい、イチカ。今度はマジで置いてくぞ」
「……こぁmんがdjgbhぢうあがだdあdfじあdg!」
イチカは立ちあがって怒鳴っているが、何を言っているのかさっぱりわからない。
俺は下を向いてちょっとだけ笑った。あーおもしれ。
まあ、それはそれとして。
「ミリリュ」
小声で呼ぶと、ミリリュは察したようで、俺のほうを見ずに囁くようにして、
「はい、キサラギ様」
と答えた。
「後ろ、斜め左。俺らよりイチカに近い。なんかいるだろ。わかるか」
「……?」
ミリリュは素早くそっちのほうに視線を向けた。
「いました。黒っぽい……人? でしょうか。エルフでもドワーフでもないことは間違いないと思いますが……」
「おまえも知らねーやつか」
「申し訳ありません……あっ」
「どうした」
「いなくなりました」
俺はあたりを見まわした。さっきまで茂みから黒っぽい人型の生き物がちょっとだけ顔を出していたのだが、たしかにいない。
「こlがsぎdhgだmlけいlthgldbc……!」
イチカはショートスタッフの先で地面を突き突き歩きながら、まだわけのわからないことをわめいている。怒り泣きとでも言えばいいのか。ひっでーツラだ。
しかし、何だったんだ、あの生き物。
どうも俺らの様子をこっそりうかがっていたみたいだが……。
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