第20話 キマイラ
それにしても、あれだな。
ゆっくりっぽく見えるのに、あれ、じつはそうでもねーな。
速いわ。
地味に速いわ。
けっこう速いわ。
いやー、速いわー。
速いわっ。
「いったん逃げるぞ……!」
俺はテムジンの手綱を引っぱって回れ右させる。
イチカ、モモヒナは従った。
「で、ですがっ!」
ミリリュだけ、ぐずぐずしている。
「逃げるといっても、どこへ……!?」
「ああ!?」
俺は手をのばしてミリリュの後ろ頭をひっぱたいた。
「ひゃっ」
「どこでもいいから、とりあえず逃げるんだよ! 早くしろ!」
馬腹を蹴飛ばすと、テムジンはかっ飛んだ。
「うおっほほ! おまえ、こういうときは全開だよな! って……」
ミリリュがきてねーし。
俺は振り返る。
ミリリュは剣を抜いて、キマイラを待ち構えている。
「バッカ、おまえ……!」
キマイラは木々の隙間を縫うように歩いてくるのか、走ってくるのか。不気味なくらい静かなので、どちらとも言いがたい。
それにしても、あんだけでっけーのによく木に妨げられねーよな。動作が機敏なだけじゃない。柔軟なのだ。
巨大な、堂々とした正面の頭は、オスのライオンだ。
その後ろ、おそらくライオン首の付け根あたりから、山羊の頭が突きだしている。
前肢というか、上半身? 四つ足だと前半身と言いたくなるが、とにかく上半身はライオンで、下半身は山羊っぽい。
尻尾自体が蛇みたいだ。ただし、尻尾の先には蛇の頭がある。
大きさは……どうだろう。
頭の上までの高さ、体高が三メートルとか、四メートルとか。それくらいか。
とういうことは、頭から尻尾をふくめない、尻までの長さでも、六メートルから八メートルはあるはずだ。
俺はまあ、背が高いほうじゃないし、相手が自分より大きいからってビビったりはしない。よくあることだから慣れている。
そうはいっても、な。
限度ってもんがあるだろ。
でかすぎだろ、あれはいくらなんでも。
「くっそ! イチカ、モモヒナ、おまえらは離れてろ……!」
「あんたは!?」
イチカが顔を振り向かせて叫んだ。
「……俺は!」
俺はテムジンの首を叩いた。
おまえは小回りがきかねーからな。かえって足手まといだ。
「引き返す!」
あぶみから足を抜いて手綱を放し、鞍から飛び離れる。
うっ、おっ。
浮いてやがる。
「ふははっ」
俺は大の字になって、しばしの空中遊泳を楽しんだ。
着地。
「……っと!」
森の中で下はやわらかいから、たいした衝撃じゃない。
だが、キマイラはもうミリリュに肉薄している。
「ダメオッパイ……!」
「……わたくしだって!」
ミリリュが走りだした。
ようやく逃げようってのか。いや、違う。そうじゃない。
木だ。
近くに木めがけて、ミリリュは駆ける。
何するつもりだ……!?
「おおっ」
俺は目を瞠った。
すげえ。
ミリリュは突進してくるキマイラの前を横切って木に突っこんだ。
それだけならとんだ間抜けだが、ミリリュは胸だの尻だのをぷにょんぷにょんさせながら、木を登ったんじゃない、タタタッと木の上を走った。
まあ、といっても三歩か四歩か五歩だが、そこからミリリュはぷりゅんと、いや、びゅーんと跳躍した。
それでなんと、キマイラの頭上まで跳びあがった。
剣舞師。
ブレイドダンサー、とも呼ばれるらしい。
人間の戦士をパワーファイターだとすると、エルフの剣舞師はスピードファイター、というふうに考えるとわかりやすい、みたいな説明をミリリュがしていた。
人間の剣はたいてい鋼鉄製だが、エルフのそれは違う。
エルフは基本的に、ミスリルという金属を鍛えてつくった剣しか使わない。
ミスリルはドワーフしか採掘、精錬できない貴重な金属で、鉄よりも軽く、硬く、丈夫な武具の材料になるんだとか。クソエルフどもは髭もじゃ毛だるまのドワーフが心底嫌いで蔑んでいるが、ミスリルを手に入れるために我慢していやいや取引しているらしい。
ミリリュはそのミスリルの剣をキマイラの額に突き立てた。
「いやああああぁぁぁぁ……!」
「ギュオオオォォォォォォォォォォン……!」
キマイラが頭を振って、身をよじる。
効いてるのか……?
ミリリュは剣から手を放さず、振りまわされている。
でも、おい。
やべーぞ。
「だめだ、ミリリュ……!」
俺が叫ぶと、ミリリュはハッとしてキマイラの頭に足をかけた。
剣を引き抜いて、近くの木に向かってぷりゅんっと跳ぶ。
一秒でも遅れていたら、ミリリュは山羊の頭にかぶりつかれていたはずだ。
ミリリュは木を蹴って、ぷりんっと地面に降りたった。
そこにキマイラが迫る。
踏み潰そうとする。
ミリリュは横っ跳びし、ぷるんぷるん転がって逃れたが、キマイラがブォルンッと尻尾を振った。
ただの尻尾じゃない、蛇だ。とんでもない大蛇だ。
大蛇がミリリュに猛然と襲いかかる。
ミリリュはとっさに木の後ろに回りこんで、なんとか大蛇をかわした。
だが、大蛇はその木を打つ。打つ。打つたびに、木が激しく揺れる。葉だの枝だの虫だのが落ちてくる。
「きゃあ……!」
ミリリュはしゃがみこんだ。パニックに陥りかけている。
「ケダモノが……!」
俺はキマイラめがけて突進する。
一太刀だ。
ミリリュは一太刀報いるとかなんとか言っていたが、俺の場合、本当に一太刀でいい。かすり傷でも負わせれば、キマイラだろうと倒せる。
俺はそうしようとしたのだが、ライオンの目がぎょろっと俺を睨みつけた。
やつは吼えた。
「ゴオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォン……!」
俺は怖じ気づいたわけじゃ決してない。
そうじゃなくて、その咆吼はただの大きな音じゃなかった。
生臭くて熱くて強烈な、風だった。
「ぬ、お……!」
俺の足がすくんだわけじゃなくて、物理的に俺の身体が押しとどめられた。
それに俺は見たし、聞いた。
山羊だ。山羊の頭。ごにゃごにゃと口を動かしている。何か言っている。しゃべってるってのか。山羊が?
山羊の、横に瞳孔が裂けている不気味な瞳が、俺を見た。
俺は総毛立った。
なんか、くる。
一も二もない。俺は直感に従って右方向にすっ飛んだ。やばいやばいやばい。絶対やばい。ほらな。
閃光。
轟音。
衝撃。
「うひょ……!」
俺はつんのめった。
落雷だ。
マジで本格的にやばかった。俺が〇・二秒くらい前にいた場所に雷が落ちたのだ。
もちろん、ただの雷じゃない。そんな天気じゃないし、そもそも、こんなに木が生い茂っている深い森の中で地面に雷なんか落ちるわけがない。
俺は木陰に逃げこんで、ふうっ、と息を吐いた。
「……魔法、使いやがったぞ、あの山羊。ケダモノの分際で」
「キサラギ……!」
「きさらぎっちょん……!」
イチカとモモヒナがきた。
つーか、きさらぎっちょんって何だ。
まあいいけどな。それどころじゃねーし。
「ミリリュ! まだ生きてっか……!?」
声を張りあげて呼びかけると、すぐに、
「は、はい……! どうにか……!」
と返事があった。
よし。
「いいか」
俺はイチカとモモヒナに目を向けた。
「おまえらは囮になれ。俺が近づいて、やつにソウルコレクターをぶちこむ。そうしたら終わりだ。ただし、無理はするな。ライオンが吼えるとぶわっと風がくるし、山羊が魔法を使う。やつが呪文みてーなの唱えだしたら、すぐ物陰に隠れろ。わかったな」
「おーっ!」
一方のモモヒナはやる気満々といった表情だ。こういうときは頼もしい。
ビビリのイチカは青白い顔でショートスタッフを握りしめてカクカクうなずき、
「……け、怪我、し、したらっ、わ、わたしが、な、治すからっ、し、心配、しししないで!」
いや、おまえが心配だっつーの。
「怪我っつーかな」
言わねーけど。
この俺がイチカのこと心配だとか、そんなこと。
「あんなのにやられたら、ほぼ確実に一発でオダブツだろ。死ぬか生きるかだ。わかりやすくていい」
「わたしが、死なせないっ!」
イチカはなぜか、半べそをかいている。
「わたし、これでも、神官だもん……!」
俺はつい、手をのばして、イチカの髪をさわった。
さらさらだ。
いい手ざわりだった。
イチカはきょとんとしている。
「いくぞ」
俺はイチカから目をそらした。
「作戦開始だ」
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