第11話 勇者の声
第11話 勇者の声
ぱしんっ。
「いった〜い♡」
嬉しそうな声だった。
入った。
石を切った鞭が、間違いなく首を捉えた。だが、男は倒れない。
細い指が首筋を撫でる。白い肌に、赤い線が一本あるだけだった。
「いいね。影から迷わず首を狙った。遠慮がない。今のは、ちゃんと殺すつもりだったね」
褒めている。殺意を。
男は両手を軽く上げた。
「反撃するつもりはないよ。今日は見物に来ただけだから」
見物。何を。
「この人たちの一人が、仲間にも隠して何かを探していたからね。ダンジョンなら見逃せない。ついてきたら、君がいた」
男の視線が、入口から警戒溜まり、湿潤小部屋、四匹、最後に青い俺へ移る。
「好きなんだ。育つものを見るのは」
敵なのか。なぜ俺を壊させなかった。森のトレントを知っているのか。聞きたいことはいくらでもある。
だが、俺には口がない。声が出ない。
男が少しだけ首を傾けた。
「お話は、できないのかな」
できない。そのはずだった。
岩床に、さっきの頭が転がっている。最初に戻ってきた男。目は閉じ、口は言いかけた言葉の形で開いたまま。
口がある。喉も。
俺はライムへ意識を向けた。
あれを。
ライムの若葉環が、転がった頭へ向く。透き通る翡翠色の体がその下へ滑り込み、触手を髪へ回して持ち上げた。
小さなライムの上に、血まみれの人間の頭が乗った。切断面を、翡翠色の体が包む。
冷たい皮膚。濡れた髪。硬い歯。
ライムが触れたものの感触が、俺へ伝わる。小石の時と同じ。魔力伝導率B。
一瞬だけ、俺の手はライムだった。
ライムを通った魔力が、切断面の奥へ薄く染み込む。死んだ喉が、一度だけ引きつった。
なら、今度は喉だ。
声を出せ。
強く意識を送る。ライムの体が膨らみ、縮む。切断された気道へ、空気が押し込まれた。
死んだ男の顎が、かくんと動く。空気だけが、開いた口から抜けた。
違う。
喉を震わせる。舌を動かす。顎を閉じる。
人間だった時は、考えなくてもできた。今は、その全部が遠い。ライムを通して、一つずつ動かす。
男の唇が震えた。
「……だ」
声が出た。俺の言葉なのに、声は死んだ村勇者のものだった。
もう一度。ライムの体が膨らみ、縮む。
「……だ、れ、だ」
洞窟が静かになった。
青白い男の目がわずかに開き、それから心底嬉しそうに細められた。
「素晴らしい。返事をしてくれるんだね」
男は、血のなくなった村勇者のそばで優雅に一礼した。
「私はデヴィアン・ペルヴェール。種族で言えば、ヴァンパイア。趣味は強いて言えば、ダンジョン見物」
デヴィアン・ペルヴェール。ヴァンパイア。変態であることは、もう分かっている。
「それで、君の名前は?」
名前。
ライム。ラック。ラン。レイユ。
四匹に名前をつけた時から、俺自身の名前も考えていた。人間だった頃の名前じゃない。この四匹と生きる、今の俺の名前を。
実は、もう決めていた。この名前にした理由は――って、今はそれどころじゃない。この喉がいつまで動くか分からない。
死んだ勇者の口を、もう一度動かす。
「……マース」
四匹が、一斉に俺を向いた。ライムは人間の頭を支えたまま、若葉環だけをこちらへ傾ける。ラックはデヴィアンへ伸ばしていた鞭を引き、赤牙紋を俺へ向けた。ランはラックの傷を塞いだまま、雫輪だけをこちらへ向ける。レイユは陽花紋をまっすぐ俺へ向け、ぽんっと跳ねた。
呼びかけたわけじゃない。それでも四匹には、今のが俺の名前だと分かったらしい。
『音声入力を確認』
『コア名称候補:マース』
『登録しますか?』
登録。
『コア名称登録を確認』
『対象:マース』
『種別:ダンジョンコア』
「マース。いい名前だ」
デヴィアンが、俺の名前を呼んだ。
ライムの若葉環が小さく揺れ、人間の頭も一緒に揺れた。
気味が悪い。かわいい。どっちだ、これ。
長くは話せない。ライムの震えが、少しずつ大きくなっている。聞くなら、今だ。
「……トレント」
声が掠れる。
「森、の……トレント。知って、るか」
デヴィアンの笑みが、わずかに薄くなった。
「知っているよ。あれもダンジョンだからね。この森の奥にいる」
いる。本当に。
「この人たちは、仲間がトレントに食われたと報告するつもりだったね」
聞いていたのか。
「報告が通れば、調べに来る。調べるだけで終わればいいけれど」
終わらない可能性がある。俺が黙っていれば、俺たちは安全だ。森のトレントがどうなるのかは分からない。
助けるなんて言えなかった。見捨てるとも決められなかった。
デヴィアンが、血のついたライムと、その上の頭を見た。
「それで、ダンジョンさん。君はどうしたい?」
ライムの体が、もう一度膨らむ。死んだ勇者の喉が震える。
「……森、の」
声が途切れた。
もう一度。
「トレント、を……助け、たい」
死んだ勇者の声で。
俺は初めて、自分の答えを外へ出した。




