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あやかしの海、硝子の揺り籠 〜結界術師の次男坊は、独自開発の『法具』と『小隊戦術』で平安異世界を圧倒する〜  作者: 鶯神楽
1部:3幕:教導寮四級童~三級童

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80話:確かなもの

 朝の通学路で外采使の一隊とすれ違った。


 六人の隊列が里の東口から帰還してくる。冬の早朝の白い息が隊列の上に薄く漂い、足取りは重いが崩れてはいない。以前にも帰還の列を見たことがある。あのときは——隊列と呼べるものではなかった。互いの肩に寄りかかり、引きずるようにして門を越えていた。法力を使い果たした顔には生気がなく、指先の色が失せていた。


 今日の隊列はそうではなかった。疲労はある。草鞋は泥にまみれ、上衣の裾には獣の体液の黒い染みがこびりついている。けれど六人とも自分の足で歩いていた。先頭の使い手が腕を組み替えた拍子に、襟元から革紐が覗いた。護帯だった。使い込まれて色の褪せた革紐が、首筋に沿って巻かれている。


 朔は歩を緩めずにそれを見た。隣の凌も見ていた。凌は何も言わなかったが、視線が一瞬だけ護帯の革紐に留まった。


 面談のあった日から数日が過ぎていた。六つの道のことを——四人の誰も口にしていない。共有した沈黙がそのまま残っている。日常は続いていた。朝に通い、鍛錬をして、帰る。ただそれだけの日々が、何事もなかったかのように積もっている。


---


 放課後、浄身院に回った。


 篝を迎えに行くのはいつものことだったが、今日は蓮が先にいた。処置棟の入口から出てきた蓮の顔を見て、朔はわずかに目を留めた。


 蓮の手が違う。


 以前——護帯を初めて納品した頃の蓮は、処置に追われていた。指先がいつも消毒液に荒れ、爪の際まで薬草の染みが入り込んでいた。法力の消費が手に出る体質で、指の骨が透けるほど痩せて見える日もあった。


 今日の蓮の手は違っていた。荒れてはいる。癒し手の手が綺麗であるはずがない。けれど骨が透ける痩せ方ではなかった。指に力が戻っている。


 「あ、朔くん。篝ちゃんもうすぐ出てくると思う」


 蓮が袖で額を拭いた。忙しかったらしいが、声の底が落ち着いている。


 「最近どう?」


 「うん。処置が軽くなった分、予防の方に手を回せるようになったの。穢れの深い怪我が減ったから——護帯、すごいよ。外采使さんたちの穢れの侵入が浅いうちに抑えられてるから、除染にかかる法力が全然違う」


 蓮はそう言ってから、朔の顔を見て少し笑った。「あんたの法具だよ」と言いたいのだろう。言わなかった。蓮は、言わなくても伝わるとき黙る術を覚えている。


 薬草園の門が開いて、篝が出てきた。


 「さくにぃ」


 篝の声はいつもの温度だった。手に小さな書物を抱えている。解読を続けている巻物の写しだろう。篝は薬草園の土を草履の裏で丁寧に落としながら、朔のそばに来た。


 庭の一角に外采使が腰を下ろしていた。処置を終えて休んでいるのだろう。その使い手の首元にも護帯が巻かれていた。篝の視線がそこに触れた。


 「……篝が見つけた脈動が、ここまで届いたんだね」


 小さな声だった。朔にだけ聞こえる声量。篝は穏やかに笑っていた。嬉しそうとも違う。自分の手を離れたものが、自分の知らない場所で誰かを支えている——その遠さと温もりの両方を受け止めている顔だった。


 朔は頷いた。護帯に五つの法力が編み込まれている。結界術、癒除術、脈動検証、錬器術、燭明術。どれか一つが欠けていたら、この法具は存在しなかった。


---


 教導寮に回ると、大楠の根元に善次郎がいた。


 幹に背を預けて座っている。目は閉じているが、眠っているわけではない——朔の足音で瞼が動いた。隣の根の上に凌が片膝を立てて座り、腕を組んでいる。放課後の鍛錬を終えた後、二人で先にここに来ていたらしい。


 蓮が「あ、先にいたんだ」と声を上げて、善次郎の隣に腰を下ろした。朔が最後に来る。いつもの順番だった。善次郎が目を開け、朔を一瞥して、また目を閉じた。凌はこちらを見もしなかった。


 示し合わせたのではない。通い始めた頃から、この場所には自然と足が向く。大楠の根元は四人の身体が収まるだけの広さがあり、根が背もたれになり、高い枝が庇になる。教導寮の喧噪が嘘のように遠い。


 冬の陽が枝の隙間から斜めに差していた。落葉した広葉樹と違い、大楠は常緑だ。厚い葉が陽を受けて鈍く光り、木漏れ日の斑が根元に落ちて揺れている。四人の影が根元で重なり、そこから四方に伸びていた。


 蓮が口を開いた。


 「ねえ、ここに最初に集まった日、覚えてる?」


 繕うでもなく、沈黙に耐えかねたのでもない声だった。ただ言いたくなったから言った——そういう声。


 凌が鼻で息を吐いた。「覚えてねぇ」


 「嘘をつけ」


 善次郎の声が地面の近くから返った。目は閉じたまま。凌が唇の端を上げた。朔も笑った。凌が覚えていないわけがない。この根元で善次郎と背中合わせに座り、蓮が枝を見上げ、朔が遅れてやってきた——あの午後のことを。


 しばらく誰も何も言わなかった。


 風が楠の上の方を鳴らした。枝が揺れ、木漏れ日の模様が四人の上を移動する。善次郎の手が無意識に地面の根を掴んでいた。武器の柄ではなく、樹の根を。太い指が節くれだった表皮に添い、力を込めるでもなく、そこに触れている。


 凌の右肩から微かに法力が揺らいだ。鍛錬の余韻だろう。蒼白い光の欠片が一瞬だけ浮き、朔が無意識に半歩詰めた距離でそれを吸収した。朔自身、それを意識していない。体がそう動いた。


 蓮が空を仰いだ。冬の空は高い。楠の梢が空を縁取り、濃い緑と薄い青の間に白い雲の切れ端が流れていく。蓮の口元が弧を描いていた。場を繕う笑みではなかった。ただ気持ちがいいから笑っている。それだけの笑み。


 ——鳴弦が降りてきた。


 音もなく。灰銀の翼が枝葉の合間を縫って滑空し、朔の膝の近く——大楠の根の一本に止まった。琥珀色の目が一度瞬き、頭を傾けて朔を見ている。朔が指を伸ばすと、鳴弦は首を一度伏せてから、身じろぎせずにそこに留まった。根の上。四人のすぐそばに。


 少し離れた場所で郁が手を振っていた。教導寮の渡り廊下の柱に寄りかかり、小さく手を上げている。近づいては来ない。郁の距離感はいつもこうだった。鳴弦を朔のもとに飛ばし、自分は遠くから見守る。


 朔は郁に向けて軽く頭を下げた。郁が目を細め、柱の影に戻っていった。


 凌がぽつりと言った。


 「——悪くねぇな」


 何に対してなのか、凌自身もはっきりとは言わなかった。ただその声は、鍛錬後の荒い呼吸が落ち着いた後の、凌の地声だった。鎧を纏っていない声。


 善次郎が静かに頷いた。蓮が空を見たまま目を閉じた。朔は鳴弦の羽根に指先を添えていた。冬の陽に透けた羽根の縁が、薄い琥珀色に光っている。


---


 帰り支度をしているとき、寮長室の前の廊下で厳島と行き合った。


 「土御門」


 廊下に出ていた厳島が朔を見て足を止めた。面談の続きではない——そういう空気だった。厳島の目が一瞬だけ窓の外に向いた。大楠の根元。先ほどまで四人が座っていた場所が見える。


 「一つだけ言っておく」


 厳島の声は、面談のときとは違っていた。堅さも温かさも同じ声の下に沈んでいて、表面には別の何かが浮いている。もっと私的な声だった。


 「お前たちの組を見てきた。お前たちの班は、私がこれまで見てきた幾多の班の中でも指折りだ」


 朔は黙って聞いた。


 「——お前たちは互いの足りないところを補うのではない。互いの足りないところを——見せ合える」


 厳島がそこで一拍置いた。


 「それは訓練では教えられないものだ」


 朔の胸の中で、何かが静かに重なった。蓮が涙を見せたこと。善次郎が恐れを口にしたこと。凌の肩が震えたこと。四人が互いに見せたものの一つ一つが、厳島の言葉の裏に重なって見えた。厳島がそれぞれの内容を知っているわけではない。けれど教育者の目は——五年間、あの大楠の下を見続けてきた目は——何かを確かに捉えていた。


 厳島がほんの一瞬だけ、声を落とした。


 「私が外采にいた頃の班は——今のお前たちほどではなかった」


 それだけだった。詳しくは語らない。寮長室の奥に、歴代卒業生の配属先が墨書された巻物が架かっている。多くの名前の横に「外采寮」。小さな「殉」の印が、いくつも。厳島の班の名前もどこかにあるのだろう。


 「どこに進んでも、あの楠の下で過ごした時間は消えない。それだけは覚えておけ」


 朔は——「はい」と返した。


 短い返答だった。篝に「どこに行きたいの」と問われたとき、「わからない」としか返せなかった声とは違っていた。答えはまだない。どの道を選ぶべきかは、朔の中で何も定まっていない。けれど、答えが出ないことが——初めてこわくなかった。


---


 帰り道。同じ分かれ道。


 蓮が「今日のごはん、何かなぁ」と呟いた。何でもない一言だった。先回りして場の空気を掬い上げるのではなく、ただ自分の腹が減ったから口をついた呟き。


 凌が「知るか」と返し、善次郎が無言で歩き、朔が半歩後ろからついていく。何百回と繰り返した帰路の、何百回目かの風景だった。


 善次郎が振り返った。


 「また明日な」


 同じ言葉。数日前にもこの場所で善次郎は同じことを言った。あのときは——「明日」の輪郭がぼやけて聞こえた。この日常がいつまで続くのか。そんな残響を帯びた声だった。


 今日は違った。善次郎の声に、微かな力がこもっていた。意志の重みが、地を踏む足のように言葉の底にある。「また明日」が「また来る」と聞こえた。


 朔は——初めて、はっきり返した。


 「うん。また明日」


 蓮が手を上げた。「じゃあね!」。南へ。凌が背を向けた。北へ。善次郎が一歩を踏み出した。西へ。


 朔は東へ歩き出し——数歩で足が止まった。


 振り返った。


 道には誰もいなかった。凌の影は北の角を曲がりかけ、善次郎の大きな背中が西の坂を下っている。蓮の声が南の路地の向こうでかすかに聞こえ——それも消えた。四本の道が交わるその場所は、からりと空いて、冬の夕暮れの光が石畳を照らしているだけだった。


 道は六つある。どの道を選んでも、誰かの隣からは離れる。


 それは変わらない。


 けれど——大楠の根元で重なった影のことを、朔はもう疑わなかった。あの陽だまりの重みは、道が分かれても消えない。今日の「また明日」の声は、明日もここで交わる。


 確かなものだった。


 朔は前を向いた。東への道を、一人で歩き出した。


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