↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あやかしの海、硝子の揺り籠 〜結界術師の次男坊は、独自開発の『法具』と『小隊戦術』で平安異世界を圧倒する〜  作者: 鶯神楽
2部:2幕

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
137/173

137話:灯りの網

 朔は外采門の前で穢れ灯の矢を検めていた。矢軸の中ほどに据えられた穢れ灯の外殻。釉薬のなめらかな曲面と矢軸の間に、薄い緩衝材が挟んである。重心は矢の中央寄りに移した。展開脚の基部を肉厚にし、着弾時の衝撃を外殻ではなく脚が吸収する設計に変えた。


 四本。矢筒の中で、穢れ灯の橙の光は消えている。法石はまだ繋いでいない。設置場所で法力を流し、初めて灯る。


 壮介が地図を広げていた。灰輪の北から南東まで、灰界端の石柱を繋いだ手書きの線が引かれている。四つの印がある。石牙丘陵の見晴らし岩。灰の野の中央丘。泥骨沼寄りの南の稜線。枯蔦の森の外周路入口。


 「ここに灯りが灯れば、灰輪の六割は見える」


 壮介の指が四つの印を順に指す。


 「六割……」


 「残りは次だ。今日は四つ」


 鶫が訓練場の方角から歩いてきた。翔月を背に、腰に矢筒を一つ。いつもの二つではなく一つ——もう一つの矢筒には穢れ灯の矢が入っている。朔が昨日の夕刻に渡した四本だった。


 「直したんだって?」


 鶫は矢筒から穢れ灯の矢を一本抜いた。指先で重心を探る。前回のような眉のしかめ方はなかった。矢を縦にして指の腹を軸に沿わせ、外殻と緩衝材の接合部を親指で押した。


 「重心は悪くない。前のよりずっとまし。——緩衝材は何を使った?」


 「玄外さんの工房で出た硬質鉱石の削り粉と、霊木の繊維を練ったものです。衝撃を潰すんじゃなくて、散らす方向に変えました」


 鶫が矢を筒に戻した。


 「いいよ。射ってみないとわからないけど、手触りは前より素直だ」


 凌が門柱に背を預けて待っていた。鶺鴒の柄に右手を添えている。善次郎は薙刀を担いで門のすぐ内側に立ち、蓮は矢筒の紐を締め直していた。


 朔が壮介に地図を返した。壮介はそれを受け取らず、代わりに小さく折った紙片を差し出した。


 「四灯の設置座標と、巡哨路からの距離をまとめた。帰ってきたら穢れ灯の初日の記録を俺に持ってきてくれ」


 朔は紙片を手帳に挟んだ。


---


 灰輪の朝は色が少ない。


 結界を出ると空が灰色の勾配に変わった。地面の草は色を失いかけた枯れ草で、風が吹くと灰の粒子が混じっている。石牙丘陵へ向かう北の道を、五人と一羽が歩いていた。


 鶫が朔の半歩前を歩く。普段の巡哨では朔の班は四人で動く。鶫は第三班の班長で、今日だけの合流だった。穢れ灯の設置は朔の班だけではできない。高所や遠隔地に灯りを届けるには、射手がいる。


 六位が二体、道の脇の窪みから這い出てきた。毬栗蟲。殻の棘を立てて転がり寄ってくる。


 凌が鶺鴒を抜いた。蒼白い光が一閃した。二体の外殻が裂け、法石が転がった。凌は刃を拭いもせず、蓮が法石を拾った。


 鶫は振り返りもしなかった。


 石牙丘陵が見え始めた。風化した岩が積み重なる低い丘陵で、見晴らし岩と呼ばれる突き出た一枚岩が丘の頂部にある。灰輪の北部一帯を見渡せる高台だった。


 朔は見晴らし岩を見上げた。岩の頭頂部、人が登るには足場が悪い。四方に遮るものがなく、穢れ灯の感応板が穢れの変動を拾うには最適だった。


 「あそこに据えたい。あの岩の上なら北部一帯の穢れ変動を拾える」


 鶫は翔月を肩から下ろした。弦に手をかけ、距離を目で測っている。


 「四十歩。風は左から。——あたしが射ちこむよ。足場が悪いなら矢で届けたほうが確実でしょ」


 朔が頷いた。


 鶫が矢筒から穢れ灯の矢を抜いた。矢を弦にかけ、翔月を引き絞る。鶫の背筋が弓なりに張り、呼吸が止まった。射手の手から弓に法力が流れ込み、矢軸が光を帯びる。


 弦が鳴った。


 矢が弧を描いた。岩の頂部に突き刺さる音が乾いた空気を裂いた。着弾の衝撃で展開脚が開き、三本の脚が岩肌に噛んだ。外殻に亀裂は走らなかった。緩衝材が衝撃を散らしている。


 一呼吸の間。法石が電源管理回路に繋がり——灯が灯った。


 橙の光がゆっくり瞬く。灰色の岩肌の上で、小さな灯りが呼吸していた。


 鶫が弓を下ろした。


 「灯いた。——前より安定してる。緩衝材が効いてるね」


 朔は手帳を開いた。設置点一、北部石牙、正常稼動。筆が走る。


---


 灰の野の中央丘。二灯目。


 丘の頂にある古い石柱の根元を狙って鶫が射った。矢は石柱の脇の地面に突き刺さり、展開脚が開いて固定された。橙の灯りが灯る。灰の野の中央は穢れ濃度が石牙丘陵より薄く、明滅がゆっくりだった。


 泥骨沼寄りの南の稜線。三灯目。


 稜線に上がるまでの道で、善次郎が地面に手を触れた。


 「骨百足の痕。新しい」


 善次郎が薙刀を構え、稜線の手前に壁を張った。朔が燭明術で索敵する。五位の穢れ反応は検出されない。痕跡は通過したあとのものだった。


 善次郎の壁が維持される中、鶫が稜線の高い岩に向けて翔月を引いた。矢が飛ぶ。着弾。展開脚。三灯目が灯った。


 枯蔦の森の外周路入口。四灯目。


 森の縁に立つ枯れた高木の幹を狙った。鶫は距離を測り、風を読み、弦を引いた。射線が上を向く——幹の中ほど、枝が落ちた跡の平坦な面に向けて。


 弦音。矢が飛んだ。幹に突き刺さった穢れ灯の矢が灯る。木肌に橙の光が滲んだ。


 灰輪を一周して、四つの灯りが灯った。


 蓮が振り返った。来た道の延長に石牙丘陵の見晴らし岩がある。そこから橙の光が見えるはずはなかった——日中の灯りは距離と光に紛れて届かない。


 「夜になったら見えるかな、里の門から」


 「近い灯りなら……見えると思う」


---


 帰路は南の稜線から里に向かう道を取った。


 鳴弦が肩の上で首を動かした。朔のほうではなく、北東——石牙丘陵の方角に顔を向けている。


 キィッ。


 鋭い声だった。警戒の声。だが進行方向には何もいない。


 朔は燭明術を伸ばした。目の前の道ではなく、石牙丘陵の方角に。穢れ灯に向けて術式の糸を伸ばすと、穢れ灯の回路から信号が返ってきた。感応板が拾った穢れの変動。通常の灰輪の穢れよりも明らかに濃い反応が、法力の糸を伝ってくる。


 五位級の穢れ変動。


 「北東に五位。こちらには来ないけど、石牙の穢れ灯が拾ってる」


 凌が歩みを緩めた。鶺鴒の柄に手をかけたまま、北東を見た。


 「……あいつが教えてくれてるわけか」


 善次郎が朔を見た。


 「避けるか」


 「このまま帰る。明日の班が石牙方面を通る前にこの情報を共有すれば——朝の判断が変わる」


 朔は手帳を開いた。石牙穢れ灯の反応。五位推定。北東寄り。帰還後に壮介に渡す記録に、一行が加わった。


 鶫は翔月を背に戻しながら、朔の手帳を横目で見た。


 「巡哨前に穢れの分布がわかれば、無駄に六位を踏まなくて済む。当たり前のことなのに、今まで誰もやらなかったんだね」


 「やれなかった。灰輪に目がなかったから」


 鶫が前を見た。


 「いい目だよ、あの灯り」


---


 帰還。穢れ検査。


 控え詰め所に入ると、壮介が机の上に地図を広げて待っていた。灰界端の石柱の位置が鉛筆で記された地図——朔と何度も記録を持ち寄った、あの地図だった。だが今日は四つの新しい印が書き加えられている。穢れ灯の設置点。壮介は朔たちが出発した後に、設置座標に基づいて事前に印をつけていた。


 朔は手帳を開いた。四灯の稼動状況、各地点の明滅速度の概測、石牙丘陵の五位反応。


 壮介は手帳を受け取り、地図の上に並べるように読んだ。


 「灰界端の記録は、境界の後退を見ていた。穢れ灯の記録は、灰輪の内側の穢れの変動を見ている。——これを重ねると、怪異がどこから入ってきて、どこに溜まるかが見えてくる」


 壮介の鉛筆が地図の上を走った。四灯の監視域を囲む円。円の重なりが薄い地帯を結んでいく線。穢れの濃い場所を避け、薄い地帯を縫うように引かれた一本の経路。


 「ここを通れば、六位以下との遭遇をかなり避けられるはずだ。省いた分の法力と時間で、もう少し奥に行ける」


 壮介は地図を傾けて朔に見せた。灰界端の記録——壮介と何巡も積み上げた右肩下がりの数字——と、穢れ灯の初日の記録が重なっている。境界の後退と、灰輪内部の穢れの濃淡。二つの層が重なることで、灰輪が初めて地図として読めるものになっていた。


 「これを明日の班に共有すれば……」


 「お前の記録だ。ここに持ってくるだけで十分。あとは俺が地図に落とす」


 壮介は鉛筆を耳にかけた。


 「確認するぞ——四灯で灰輪の六割。あと三灯で九割をおおよそ覆える」


 朔は地図を見つめた。壮介がやってのけたことの意味が、静かに染み込んでくる。穢れ灯を設計したのは朔だった。設置先を選んだのも朔だった。だが灯りの記録と灰界端の記録を重ね、灰輪に経路を引いたのは壮介だった。


 「ありがとうございます、壮介さん」


 壮介は地図を帰還予定表の横に貼った。壁に掛かった帰還予定表の上——全ての班が任務に出る前に必ず目にする位置だった。


 「確認するぞ——明日の補充用法石は?」


 穢れ灯の法石交換の日程の話に移った。壮介の声は穏やかで、変わらなかった。何も特別なことはしていないかのように、次の手順に進んでいく。


---


 日が落ちた。


 朔が外采棟に戻ろうとしたとき、外采門の門番が門の外を見ているのに気づいた。通常班の外采使が二人、門柱に背を預けて灰輪の方角を向いていた。


 灰輪の闇に、橙の光が二つ瞬いている。灰の野の中央丘と、枯蔦の森の外周路入口。門から近い二灯だけが、夜の底に浮かんでいた。石牙丘陵と南の稜線の灯りは、丘の向こうで門からは見えない。


 「……あれ、穢れ灯ってやつか。ずっと光ってるんだな」


 「明け方に見てから出れば、どっちに行けばいいかわかるのか。——楽になったな」


 朔はそのやりとりを背中で聞いていた。振り返らなかった。


 外采棟に入った。鳴弦が肩の上で穏やかに鳴いた。ピィ。


 朔は手帳を開いた。今日の記録を整理する。明日の早朝、帰還予定表の横の壮介の地図が更新されている。その地図を見てから出る班がある。


 灰輪の闇に灯る四つの光のうち、門からは二つしか見えない。残りの二つは丘の向こうで、誰の目にも届かない。だが確かに、灯っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。