第八話:神様さんと大ピンチ
メフィストと暮らしはじめてから一週間が経った。
最初はどうなるかと思った二人暮しだったけれど、慣れてしまえば楽しいものだった。
お互いのちょっとした考えの違いや生活習慣の違いを受け止めつつ、時にはスルーしながらも、僕たちはうまいことやっていた。
だからまあ大丈夫だろう。
僕が今日の夕飯のメニューの考えながら休み時間、寝たフリをして机に突っ伏していると、前の席の生徒たちの声が入ってきた。
「なあ、知ってるか。B組の木島のやつ、一週間の謹慎処分だってさ」
「はぁ、何やってんだ。ヤバい魔法薬でも栽培してたとか」
「いや、どうやら寮に女を連れ込んでいたらしい」
「マジか。そんなリア充なのかアイツ」
僕はカレーのアレンジレシピの検討から、彼らの話に聞き耳を立てることに方向転換した。
「しかもマズイのは、相手が家出中の中学生らしくてさ。相手の親は誘拐じゃないかと騒ぎ立てるし、木島はまだ高校生ってことで捕まることはないけど、それでもまったくの罰を与えないのも問題だからって」
「それで謹慎処分か」
「そのうち寮内の一斉検査があるらしいぜ、人はともかくドラゴンの子供とか魔獣とか、変なもん飼ってるやつはマズイな」
「にしても中学生か。木島あんな格好いい顔してロリだったか」
「いや中学生はロリコンではないだろう」
「いいやロリだね。俺に言わせれば高校生だってロリだ」
前の生徒たちは、そのままロリコンは何歳までだ論争に花を咲かせたが、僕はそれどころじゃなかった。
机に突っ伏した両目は大きく見開かれ、口元はわなわなと震えていた。
汗が机にいくつも落ちて、脳内でヤバいヤバいヤバいとつぶやいた。
――――全然大丈夫じゃない。
いきなり大ピンチだった。
✞
「それで私のところに相談にきた、というわけだ」
放課後、僕はエーテル魔導学園の外れにある小さな研究施設に足を運んだ。
ここは同じ学内だというのに辺りは草木が生い茂り、猫狸がうろちょろしている。
中に入っても物々しい雰囲気は同様で、気温は明らかに下がり、薬品の匂いが充満している。
――魔女の館。
そう他の生徒が形容していのを、僕は聞いたことがある。
「やっぱり、ご迷惑だったでしょうか……」
「迷惑? ふん、面白い、いやつまらない。君が悪魔召喚を成し遂げたという事実は感嘆に値するよ。なるほど、そうか笛はやはり君が隠し待っていたのか」
「……」
そう言って僕を見る彼女の瞳は価値のない実験動物から、見込みのある実験動物へと変化していった。
――――夜市屋曜子。
奇妙な名前を持つ彼女こそが、この館の主であり、エーテル魔導学園の魔女だった。
「それで君は私に何をして欲しいんだ? まさか書類にハンコを押して悪魔を子飼いにすることを許して欲しいのか」
「そのまさかです……」
僕はそう言って印刷した書類を彼女に手渡した。
学生寮での同居者申請届。
基本的に寮は学生にしか解放していないが、一部例外として生徒の近親者であれば住むことができる。
例えば生徒の兄妹とか。
「ふうん、妹。妹ねぇ。昔読んだライトノベルに妹そっくりの悪魔と同棲する話があったよ」
「……それはどうなったんですか」
「いや、未完、だよ。古い本だったからな。終わらない物語ってのはそれ自体が魂を悪魔に奪われない最善手だからまあ正しいんじゃないのか」
と、よく分からないことを喋りながら彼女は申請届を偽札でも透かすように見た。
すでに必要事項は記入されており、あとは教師の承認印があれば完了するものだった。
――教師。
そうだ、彼女は先生だった。
そして僕の祖父の弟子の一人であり、今の僕の書類上の保護者でもあった。
「それで……どうでしょうか」
「どう、とは?」
「承認していただけないでしょうか」
夜市屋さんは蛇のようにこちらを見ていた。
その名に恥じないシルバーグレイの長い髪が室内の明かりに照らされて妖しく光る。
僕は食べられる前の鼠のように震えていたが、やがて彼女は書類を机に置いた。
「ふん、別に構わないさ。君が問題を起こそうが、起こすまいが私には影響しない。それよりは君に嫌われて笛と悪魔に関われる機会を減らすほうが不都合だ」
「……ありがとう、ございます」
「礼はいい。それよりも笛を見してくれないか。持っているんだろう」
と、彼女は僕に促すように笛を要求した。
少しだけ迷ったが、僕はポケットからスレイマンの笛を手渡す。
夜市屋さんは興味深そうにそれを眺め、それから振りかぶると壁に笛を叩きつけた。
「な!?」
「割れんか。丈夫だな」
と、彼女はどうやったのか手を使わずに、笛を手元に戻す。
今度は引き出しからハンマーを取り出して、思いっきり振り下ろした。
「な、何をやってるんですか!?」
「やっぱり無理か。さすが師匠だな。大抵の魔法攻撃には耐えられるようになっている」
「何をやってるんですか、だから!」
と、僕は彼女からスレイマンの笛を奪い取る。
な、なんだってんだよ一体。
僕が木の実を奪われた小動物みたいに縮こまって彼女を睨む。
夜市屋さんは寸部も変わらぬ表情で、ふん、と一言だけ言うと書類に判を押した。
「素直な反応だな、まるで子供みたいだ」
「子供扱い……まあ子供っすけど」
いや子供じゃなくても同反応だろう。
相変わらず頭のおかしい人だ。
僕は用事を済ましたので、さっさと帰ろうと立ち上がろうとする。
すると、夜市屋さんは去り際に思い出したようにつぶやいた。
「そうだ、君。書類上の手続きはそれで大丈夫だろうが、常々人の目には気をつけておけよ」
「……人の目、っすか?」
何言ってんだこの人と思ったが、彼女が続けた。
「そうだ。君が本当に心の底から平穏を望むのであれば空気には気をつけることだ。きっと先の一件で世界は浮き足だっているだろうからな」
「……はぁ」
「ま、これは教師としてのアドバイスだ。風評は妖魔を生むし、そこには事実は関係ない。常々気をつけることだな」
と、それだけ言うと満足したのか。
彼女は読みかけていた書籍に目を通し始めた。
よく分かんねぇな。
アドバイスなら分かりやすくしろよ。
僕はそう思った。
✞
しかし、これで一安心だな。
僕は近所のスーパー・ヴェルクにてパンプキンカレーにしようと具材を買い込んでいた。
(カレーは意外と日持ちしないし、一人だと無駄にしがちだけど二人ならちょうどいいよなー)
かぼちゃ。
にんじん。
鶏肉。
きのこは冷蔵庫にまだ余ってたからそれを使用して。
ルーは市販でいいだろ。
ニンニクのチューブも購入する。
僕は買い物しながらスマホで調べると、一日寝かした方がパンプキンカレーは美味しいという情報を見つける。
(マジか。ま、どうせ二人なら余るし食べ比べるか)
別に寝かせまいが、カレーは最強だから美味しいに決まってるだろう。
僕は冷蔵庫の牛乳が切れかけていたことも思い出して、一緒に購入する。
「……946円になります」
「千円で」
それから買い物袋をもって、帰る道すがら、ふと学生寮の前に魔法陣が作られていることを発見した。
(……なんだ?)
僕は思わず立ち止まって注意深く眺めるが、他の生徒は見向きもしない様子だ。
どうした? めずらしくないのだろうか。
僕は、メフィスト召喚のためにいろいろな召喚陣や魔法陣の勉強をしたが、そのどれにも当てはまらなかった。
……いや、どこかで見た気がするな。
悪魔召喚に関係なかったから気にしなかったけど、あれは……。
「おおーっ、ヤモリ帰ってきたかー、待ちくたびれたぞーっ!」
と、向かいの道路からメフィストがトテトテと走ってきた。
そのままダイブして来るのを僕は受け止める。
「お、おう、あぶないよ。食材があるんだから」
「それは悪かった。悪かったから早く飯にしてくれ」
「おけおけ、お前は何やってたんだ」
「今日はなー教会に行ってありったけの石を投げてきた」
「マジで何やってんだお前は」
クズ野郎じゃねぇか。
「しかしヤモリよ。天界の侮辱と破壊は妾のライフワークなのじゃ」
「やめとけよ、バレたら面倒になるんだから。この前アレだろ。トイレのカーペットを神様の横顔にしただろ、アレでいいだろ」
「あの程度の踏み絵じゃ、妾の悪魔崇拝は満足できんのじゃ」
「何その迷惑な地元愛」
と、僕があからさまに嫌そうな顔をしてると、メフィスが犬みたいに辺りをクンクンと嗅ぎ回り始めた。
「どうした。食べ物でも落ちてたか?」
「妾を動物と一緒にするでない。……んん? なんか妙に嫌な匂いがするのじゃ、香ばしいような臭いような……」
そう言ってメフィストは床に鼻を押し当てながら歩き始めた。
……器用だ。
動物でもそんな行動はしないよな、と僕は思った。
「クンクン……クンクンクン」
「僕の聞いた話だとお前って高貴な悪魔のはずなんだけど」
「クンクン……うるさい黙っておれ」
「はい」
そう言って、メフィストはひょこひょこと歩き、先ほど僕が気になっていた魔法陣の前まで来た。
「……ふむう」
「どうしたの?」
と、僕が聞いた瞬間、メフィストの両眼が大きく見開いた。
「――――――そこじゃッ! 魔力・稲妻!」
ピシャッ!
と、一帯が光り輝いたかと思うと、何もない空間から真っ黒焦げになった何かが落ちてきた。
「う、うわっ!」
「安心せい、峰打ちじゃ」
どこに峰の要素があったのだろう。
僕はそう思いつつも、恐る恐る黒焦げの物体に近づいた。
「……あ、人だ」
人だった。
と、同時にあの魔法陣が「空間を歪ませて認識阻害」を起こすものであることを思い出した。
「しかもオナゴか」
僕とメフィストの足元には、かつては真っ白なローブを着てたであろうプリーストの女の子が、両目をぐるぐる巻きにして倒れていた。