第09話:みんなでお泊り
これは、シェリルたちの旅が始まる、少し前の出来事。
朽ちたダンジョンの奥底。
小さな灯りに照らされて、人間がひとり、身体を丸めて横たわっている。
そこに、見逃してしまいそうなほど小さな影が、ふわり、と飛んできた。
「……待っていたぞ」
気づいた人間が、ゆっくりと上半身を起こす。
手のひらを上に向け、そこに話しかける。
「ようやくわかったか」
先程の影の正体がそこにあった。
自らの羽で浮いている蝶のような、小さな生き物。
「ヤトカイの町……そうか、キサルイの西にある町か。
よくやった。休んでいいぞ」
手のひらの蝶が一瞬だけ、小さな光を発したかと思うと、消えてなくなる。
「この三の神……まだまだ、運に見放されてはいないようじゃな。
いや、わしの運の良さが際立っているという方が正解か」
独り言で自身のことを「三の神」と呼ぶ。
この世界の神は――四柱。
名を「一の神」「二の神」「三の神」「四の神」
しかし、それは過去の話。
現在は、その数を半分に減らし、
神の世界から「一の神」「二の神」だけが、下界を見つめている。
であれば「三の神」とは――
後に、下界でも知られることになる、とある物語。
瞬き三回ほどの時で決着がついた「神の三十八日戦争」
その争いの発端となり、神の座を降ろされたのが「三の神」という名であった。
「一の神め、わしを石に封じたと思っておるのじゃろう。
だが、わしのほうが一枚も二枚も上手じゃったな。
いや、わしが一の神に後れを取るなど、有り得んという方が正解か」
誰も聞くことのない場所で、自称「三の神」の独り言は続く。
「いざという時の受け皿になる人型を、こうして用意しておったのじゃ」
灯りの乏しい中、座ったまま、
両手を肩の位置まで持ち上げ、それを見つめる。
「だが、わしの存在が薄くなっているのも事実。
おそらくは……百万分の一も残っておらん。この人型の中が空虚でかなわん」
まぶたを閉じ「急がねばならん」と言葉を足す。
次にゆっくりと顔を上げ、声を強める。
「シェリルじゃ。あやつは、一の神に『神になれ』と請われるじゃろう。
いや、もう既に請われたという方が正解か。
恥知らずの一の神にはお似合いの役目じゃ」
自称「三の神」がスッと立ち上がる。
「だが、シェリルが断るのも、わしには見えておる。
いや、もう既に断ったという方が正解か」
ここは、ダンジョンの最終ボス部屋だった場所。
正面にある出口に向かって駆けだす。
「あやつは戦いにのみ生きる者……神になど興味がないはずじゃ。
だが、わしならシェリルを上手くあつかえる。
わしが再び神の座に戻るための手駒にしてやろう。
いや、わしの……」
笑いながら自称「三の神」は朽ちたダンジョンの通路を駆け抜ける。
その間も邪な独り言は止まらない。
誰も聞くことのない場所で己の思いを声高に主張する――
その行為が、すでに狂気の域にあると……それすら気づくことも出来ずに。
◇ ◆ ◇
この世界の強者の話。
身体の基本能力は戦闘を繰り返し、経験を重ねることで上昇する。
探索者で言えば、Bランクの身体能力は、Cランクと比べて格段の差がある。
しかし、いずれは限界が訪れる。経験だけでは越えられない壁が存在する。
それを突破するための方法が――肉体強化魔法。
Aランク上位の者は、ほぼ例外なく持っている。
勇者ともなれば普通に、息をするように使っている。
その強化した肉体に対抗するための武器、これも普通には製造できない。
ひとつは聖剣――能力の高い存在に祝福を受けた武器。
そして、もうひとつ。こちらが一般的――武器への強化魔法。
己の武器を、己の能力で、強者の肉体にダメージを与えられるまでに強化する。
肉体強化魔法と武器強化魔法。
この世界で強者であるためには、共に必須の能力なのである。
◇ ◆ ◇
夕暮れが近づき、ヤトカイの町の領主一行は、
予定通り、この日の目的地である隣の村に到着した。
村の責任者にライルがあいさつを済ませ、用意された宿で一息つく。
食事と入浴を済ませ、それぞれの部屋へ。
奥の一番良い部屋をライルと側近のレックス。
手前の部屋に女性陣。御者は別の場所。
夜の見張りには、シオリとアカネが交代でつく。
とはいっても念のため程度。
先にシオリが、ライルたちの部屋の前に椅子を置き、そこに座って待機する。
したがって、女性陣の部屋には、
アカネ、ノルン、マリエ、シェリル、ソラ、の四人と一体。
いまは並んだベッドの上で座っている。
全員が「さてと」という雰囲気の中で、シェリルの第一声があった。
「ソラ、お泊りの時は何するの!?」
――でた! 無茶ぶり!
初めてとなる旅先での宿泊に、うずうずした気持ちを抑え切れなくて、
行き場のない感情をどうにかしたいけど、何をすれば良いかわからない――と、
ソラはたったあれだけの言葉から、主の心の中を寸分たがわず見抜く。
だが、従者人形は主の言葉に逆らえない。
それどころか、なんだかんだで頼られて喜んでいる。
――べ、別に、お昼に頭を撫でてもらったから、ってわけじゃないんだからね。
いったい誰に対して言い訳をしているのだろう。
ソラは蓄えた知識の中から、この場に相応しいものをどうにか引っ張り出す。
「知り合いの人間から聞いた事があります。
旅先の宿で、夜寝る前にすべきこと……それは『枕投げ』というイベントです」
「何それ?」シェリルが可愛く首をかしげる。
ソラはその場にいるアカネ、ノルン、マリエの顔を見渡すが、
皆キョトンとした顔をしている。誰も枕投げを知らないらしい。
そういうソラも、話を聞いただけで実際にやったことはない。
「枕投げとは、枕を投げ合って、
相手に『参った』と云わせたら勝ちとなるゲームです。
とりあえずやってみましょう」
そう言ってソラは、
一番無難そうなアカネに、手元の枕を小さな身体で投げつける。
枕がポーンと飛んで、空気の読めるアカネの顔にポフッと当たる。
「やったっすねぇ」
アカネは投げつけられた枕をソラに投げ返し、自分の枕をマリエに投げる。
「きゃ!」
顔に受けたマリエ。一瞬顔をしかめたが、すぐにぱぁっと笑顔になる。
「アカネさん、わたしを狙うなんてひどい!」
わざと怒ったような顔をしてアカネに枕を投げ返す。
そのあと自分の枕を「やぁっ」っと、ノルンに投げつけて「あはっ」と笑う。
様子を見ていたシェリルも、この遊戯の意味がわかり、
マリエに合わせて、自分の枕を笑顔でノルンの顔へ。
ノルンは二つ同時に飛んでくる枕を両手で受け止め、
瞳を輝かせて、そのまま投げ返す。
こうなるともう止まらない。
部屋の中に枕が飛び交い、きゃあきゃあと、はしゃぐ声が響く。
「マリエちゃん、隙あり!」
ぽふ、ぽふ。ぽん、ぽふ。ドン。バフ、バフ。ドン。ぽふ、ぽふ。
「きゃあ、やったなー」
ばふ、ぼふ、ぼん、どすん。ばふ、ばふ、ドゴン、ぼふ、ぼふ。
「負けないっすよー」
ばふ、ズゴン、バゴン、ダガン、ガンガンガンガン、ゴゴガンガン。
「シェリルお姉ちゃんも、ノルンお姉ちゃんもやめなさーい!」
カチカチに固まった枕(には見えない鈍器)を手に持ったまま、
シェリルとノルンがピタリと止まり、顔だけギギギとマリエに向ける。
「それはもう枕じゃないでしょ!」
途中から枕に強化魔法を掛け、お互いに向けて投げ合い始めていた二人。
これが響いていたナゾの重低音の答え。
気付いたマリエに叱られて、ショボーンとする最強魔族少女と最強人族少女。
なんだかんだ言ってもこの二人、仲がいいのは間違いない。
すると、この騒ぎを聞いて、
外で見張りをしていたシオリが部屋に入ってきた。
部屋中に散らばった枕や布団を見て一言。
「何やってるのよ……」
そこで、シオリが言葉に詰まる。
彼女は「○○がいるのに、何で騒ぎを止められないのよ?」と、
この部屋の誰かに言いたかったのだが……。
ゆっくりと全員の顔を見渡す。
相棒のアカネは、こんな時の責任者って柄じゃない。
マリエは、まだ子供だから責任を押し付けるのはかわいそう、
ノルンは、脳筋……いやいや、違う、違う。なんだか今はショボンとしてるし。
そして、シェリル様は論外で対象外……やっぱりショボンとしてる?
結果――選んだのは空色の少女人形。
「ソラさん……こういう時は、みんなを止めていただかないと」
「シオリにそうやって、認めてもらえるのは有り難いけどね。
何度も言うけど、従者人形には出来ることと、出来ないことがあるの」
「枕投げはソラさんが言い出したっすよ」
「ソラさん……」
「シオリ、ちょっと待って。言い訳させて」
と、その時――
全員の視界の隅に、おかしな光景が映る。
それは何かと言うと……。
その場にいる全員が手を止めているにもかかわらず、
マリエの近くの枕が動いている……いや少し違った。
シェリルの近くにあった枕が動いて、マリエに近づいている。
皆がギョッとして様子を見ていると、
ポーンと枕が放り投げられたように動き、マリエの傍らに落ちる。
そこでようやく、何故こんな現象が起こったのか、全員が理解する。
枕を運び、投げていた存在がそこに居たのだ。
しかし、新たな謎が発生した。
「なんなの、それ……?」
そこに居たのは……手のひらサイズのぬいぐるみのような生き物。
紫色の狸? もしくはアライグマ?
……が、身体全体で枕を運び、放り投げていた。
いち早く、その生き物が何なのか理解したマリエ。
半信半疑ながらも声をかける。
「ポンタ……?」
マリエの頭の上にいた紫色のマルスライムの姿がなく、
同じ紫色した狸の頭のてっぺんからは、あの特徴的なアホ毛が二本ぴょこんと。
その場の全員に「目の前の生き物=ポンタ」の図式が出来上がったころ、
正解を知らせるように、その生き物がポーンとジャンプして、
空中で三回転、見慣れた帽子に擬態してマリエの頭の上に収まった。
マリエは自分の頭の上に手を伸ばして、帽子のポンタを優しく撫でる。
それを見たシオリが呟く。
「私が見たポンタのナゾの能力って、この【変身能力】みたいね……」
狸がポンタなら、あの行動は、
マリエに枕投げ用の枕を運んでいた、と考えるのが妥当だ。
とすると……、そこからは、はっきりとした知性が見て取れる。
マリエを守ろうと反射的に大ネズミを攻撃した時よりも、もっと高度な知性を。
枕投げをしていることを理解し、
枕を運ぶことでマリエが有利になると考え、自主的に行動するだけの知性を。
「これって……ポンタが凄いのか、マリエが凄いのか。どっちなんでしょ」
「マリエちゃんも、ポンタも、どっちもすごい!」
自分のしでかしたことがうやむやになり、
ちゃっかりと普段の調子に戻って、ここぞとばかりに褒めるシェリル。
マリエは、ポンタを撫でながら「てへへ」と笑う。
ポンタがプルプルと幸せそうに身を揺らす。
そして夜は更けていく。
◇ ◆ ◇
翌朝の出立。
早めの朝食を終え、全員そろって外に出る。
馬車はすでに用意されていて、宿屋の前で待機していた。
乗り込む前に、領主の側近レックスが皆に告げる。
「今日はタンガクの町まで行く予定です。
魔物が現れることは少ないと思いますが、
先にお話しをしていたように。盗賊が出没するそうです」
続けて、朝からきりっとした表情のライルが、側近の言葉を引き継ぐ。
「盗賊の件の詳細はタンガクの町で、その地の領主に聞く予定です。
しかし、町に到着する前に、我々が襲われる可能性も十分にあります。
その時は……皆さんの活躍に期待します」
旅は二日目。
時折小雨がちらつくような、あいにくの天気。
警護役のシオリたちは、雨に降られるのをそのままに街道を歩く。
旅慣れている彼女たちにとって、気にするほどのことではない。
馬車の中では、元気なシェリルが相変わらずマリエを相手にはしゃいでいる。
心の底から旅を楽しむ姿は、見る者の心を和ませる。
少し上り坂の街道は、草原地帯の中、緩やかに曲がりながら北に延びている。
この先にある山を越えると、今日の目的地であるタンガクの町。
その方角の空は少しだけ雲が途切れ、わずかばかりの晴れ間も見えていた。
旅は順調そのもの。
だからこの時、誰も予想していなかった。
タンガクの町で、あのような事件に巻き込まれてしまうなんて。
第09話、お読みいただき、ありがとうございます。
次回は「タンガクの町(1)」
懸念していたことが現実になる。
目的の町の手前で襲撃される一行。だが、相手の正体は?……です。
次回更新は2月25日の予定です。