表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/184

家電芸人、故郷へ帰る

家電製品を愛する家電芸人がいるように、家電製品を憎む裏家電芸人がいた。彼こそ、もう一人の家電芸人であり、アナザーサイドあり、だからこそ真の家電芸人だった。

彼、アナザーサイド(仮名・35歳・松竹梅芸能所属)のこれまでの人生は、ある意味で家電製品との和解の個人史だった。彼は上京したときにアパートの近所にあるゴミ捨て場から拾ってきたテレビと和解して、そのあと古道具で見つけた銀のトースターと和解して、所属先の事務所から渡された携帯電話と和解して、コント芸人としてそこそこ稼げるようになってからは、家電量販店で月賦払いで購入した冷蔵庫や洗濯機とも和解していった。


アナザーサイドと家電製品との人生における暗い契約は、彼が地方の家電販売店の長男として誕生したことによって派生し、九歳のときに父親が飲み屋の若い女性と駆け落ちして家を出ていったことによって確立した。

それっきり父親が家に戻ってくることはなく、どこでなにをしているのか風の便りにも聞かなかったけども、それでも夫の帰りを待って、いつまでたっても店を閉めようとはしない母親の存在は幼い彼の心を苛立たせ、結果的に自立心と妄想癖とを育成することになった。


実家の店舗で埃をかぶって売れ残っている家電製品の一つ一つが、彼にとっては呪われた幽霊たち同然であり、それは崩落しそうな古城に住みついた家電王一族とその家来たちのようだった。

彼はいつか呪われた古城から出ていく日を待ち望みながら一人部屋に閉じこもり、いつか街を出ていくことを夢見ながら見るべきもののとくにない街の境界線を一人散策して歩いた。それらはすべて独りコント芸人アナザーサイドが誕生するための過程であった。


その夜、テレビ局が主催する独りコントコンテストで見事優勝したアナザーサイドは、副賞の電気掃除機をペットのように腕に抱えて家に帰った。それはサイクロンタイプの最新型掃除機であり、有名外国メーカーが販売しているセレブたちのリビングに似合いそうな高級家電製品だった。

アナザーサイドはセレブとはほど遠い生活環境にはいたけども、その電気掃除機との出会いにはなにか運命的なものを感じた。番組の副賞の存在はマネージャーからも聞かされていなかったけども、テレビ局の収録スタジオでそれを見た瞬間に彼は並み居る人気芸人を差し置いて自分が優勝することを確信したのだ。そして実際に優勝した彼は、まるでこの電気掃除機を手に入れるために芸人になったような、自分でもよく分からない恍惚感に包まれながら、閉じたシャッターが並んだ夜の商店街を急ぎ歩いていったのだった。

とにかく一分でも早く帰って、電気掃除機のコードをアパートのコンセントに差し込みたかった。それによって彼自身の呪われた家電製品との黒い契約はようやく満期となって終焉を迎えるような予感がしたのだ。そのために彼はコンテスト優勝者であるにもかかわらず、打ち上げの席から途中で姿をくらまして来たのだった。


テレビ局主催の打ち上げ会場では芸人仲間や事務所の人間がアナザーサイドの姿を捜していたけども、会場である洒落たレストランを後にしたのと同時に携帯電話の電源は切っていた。

それは芸人を辞めてもいいぐらいの覚悟だった。電気掃除機こそはアナザーサイドに残された最後の鬼門だったのだ。電気掃除機と和解した彼は、そのとき故郷の土をふたたび踏むことが許される。それは彼にも分かっていた。なにしろ自分で決めたことだから。コンテストで優勝して故郷に錦を飾ったアナザーサイドは、訳あってサンフランシスコに流れ着いた風変わりな図書館の元図書館員ように街の英雄になれるだろう。

そのためには有名海外メーカーの最新型電気掃除機はうってつけの逸品だった。彼が抱えている赤いメタリックな掃除機は家電界のお姫様のようなのだ。冷蔵庫が王様で、洗濯機が女王様で、テレビが王子だった。アナザーサイドはすでに彼らとの和解にはこぎ着けていた。残すのはお姫様の電気掃除機のみだった。彼はそのチャンスを芸人として優勝することで自ら手中にしたのだ。これほど運命的な出会いはこれが最初で最後のはず。お姫様の許しを得たアナザーサイドは、ふたたび家電王国に足を踏み入れることになるだろう。一度祖国を出たきり姿を見せることのなかった英雄のご帰還として。


アパートに帰ったアナザーサイドは部屋の明かりを点けると、衣装でもあるスーツを脱ぐこともなく、さっそく電気掃除機のコードをコンセントに差し込んだ。

それが彼流の和解の方法だった。面倒な手続きはなし。実際に電源を入れて作動させ、家電製品として使用してみればいいのだ。冷蔵庫ならビールを冷やし、洗濯機なら溜まった洗濯物を放り込み、テレビでなら仕事のお笑い番組をチェックするように、汚れた部屋の床を掃除してみればいいのだ。悪い魔法使いによって眠らされていたお姫様が目を覚ますように、掃除機に電流が流れていく。

これまではいつも大雑把な掃除だけをしていた彼の部屋の床は、この夜のために充分なほどに細かなゴミ屑が堆積していた。最新のテクノロジーを搭載した赤いドレスのお姫様は嬉々としてその性能を披露してくれるはずだ。


最初は本当に動いているかどうかさえよく分からなかった。それぐらいに最新式の電気掃除機は静かだった。アナザーサイドは半信半疑に透明なダストボックスを覗き込んでみた。

ゴミ屑が水晶のような球体の中で黒いハリケーンさながら、猛スピードで回転していた。すると彼は完璧に吸い上げられた、おのれの部屋の様子を目の当たりにする前に、なにかに導かれるように吸引ホースに装備された赤くて丸い電源スイッチをOFFにした。ゴミ屑がスピードを落としてゆっくり回りはじめた。見てはならないものがそこに見え隠れしているような気がしてならなかった。流れる黒い雲の合間に白い小さな命を持ったものが。


嵐が去り、ダストボックス内に平和が訪れた。アナザーサイドはその気になれば透明な器を取り外して、ゴミ屑を指で掻き分け、中から瀕死状態の男を助け出すこともできた。でも彼は用心深く待つ方を選んだ。堆積したゴミ屑を自ら掻き分けて、そこから男が顔を出してくるのを。

彼は待った。でも決して母親のようには待たなかった。しばらくしてダストボックスを指でコンコン叩いてみた。なんの反応もなかった。それでアナザーサイドはふたたび掃除機の電源をONにした。


二十年振りの親子の再会はどこか寒々としていた。彼らの間には透明の壁があって言葉も交わさなかったし、実の親子とは思えないほどサイズも異なっていたし、それに二人が顔を見合わすのには電源が必要だった。

ダストボックスの中で薄いグレーの作業着を着た男がゴミと一緒に回っていた。よく目を凝らすと、それは失踪した小さな彼の父親だった。もしもそのとき、父親がアナザーサイドに向かってなにかしら助けを求めるような仕草なり、これまでの生き方を後悔しているような苦渋の表情を見せていたなら、彼だってそれなりの対応はしていたかもしれない。しかし、彼の父親はダストボックスの中で両手を万歳して嬉しそうにクルクル回転していただけだった。遊園地で遊んでいる子供のように無邪気に。だからアナザーサイドは電源をONにする方を選んだのだった。


あるいは父親はどんな形ではあれ、実の息子と再会できたことを喜んでいたのかもしれなかった。喜んで自然と顔がほころんでしまったのかもしれなかった。

電源ボタンのスイッチを入れ直したとき、アナザーサイドの頭にも一瞬そんな考えが過ぎりもした。でもそれは完全な誤りだったことがすぐに分かった。知らず知らずのうちに父親像を理想化していたことに気がついて、彼は心底自分にうんざりした。ふたたびダストボックスの中でゴミと一緒に回りはじめた父親は、あろうことか今度は女連れだったのだ。

派手な赤いミニのワンピースを着た長い髪の女だった。歳は今のアナザーサイドとそう違わないように見えた。恐らくはその女が父親の駆け落ち相手だったのだろう。

嵐の中で髪を激しく乱した女は、しかし父親同様とても楽しそうだった。そしてダストボックスの中を並んで果てしなく回りつづける二人はとても仲が良さそうだった。アナザーサイドは無意識のうちに電気掃除機のレベルを「強」にした。


家電製品を愛した芸人なら何人もいただろうが、家電製品に愛された芸人はそうはいない。

もしかしたらそれは、アナザーサイドと和解した電気掃除機が、今度は彼と父親を和解させようとして画策した、邂逅の夜だったのかもしれなかった。そうすると、アナザーサイドの頭になんだかこんな気落ちする妄想が思い浮かんできたのだった。

もしかしたら、おれがコンテストで優勝できたのは実力じゃなくて、電気掃除機のおかげだったのかもしれない......世界中の家電製品たちが掃除機のお姫様の願いを耳にして......。

アナザーサイドが掃除機のパワーを引き上げると、彼の妄想を裏付けるかのようにダストボックスの中の二人がむしろ一点に留まって浮き出るように見えはじめた。それはまるでハリケーンの銀幕に映し出されたパラパラ漫画のようだった。どうやら父と女はミクロサイズの塵や埃が集まって作り上げられた3Dアニメーションだったらしいのだ。彼の目の前では、埃と塵で作られた父親と女が、ハリケーンをバックにした夫婦善哉めいた小芝居を演じはじめた。


女が生まれた街で二人は暮らしはじめた。アナザーサイドの父親はそこでなにをするでもなく毎日のようにブラブラしていた。女がふたたび夜の店で働いて家計を支えた。しばらくして女のお腹が大きくなりはじめた。二人は街を移り住んで、父親はその土地で工場の作業員として働きだした。

アナザーサイドはその広大な工場の風景に見覚えがあった。それは彼の生まれ育った街外れの敷地に建っている大きな自動車工場だった。アナザーサイドは街のボーダーラインを幾度となく一人で歩いたし、上京するときにも電車の窓から白い煙を吐きだした工場の煙突が何本も見えた。奇しくもアナザーサイドは二十年振りに故郷の風景を眺めることになったのだ。しかしそれはダストボックスの中の。

生まれた赤ん坊は男の子だった。父親はさらに人が変わったように働きはじめた。女がこしらえた弁当を持って、借家から毎日自転車をこいで工場まで通っていた。月に何日かは夜勤もしていたようだった。仕事から帰ると家でビールを飲むのは昔と同じだった。概して父親の生活は面白味のない単調さの繰り返しだった。似たような同じ日々の繰り返しだった。こんな生活のために、どうして自分たち家族を捨てたのか、アナザーサイドはまったく理解できなかった。

ただ水晶に映し出された父親は、彼の記憶の中よりもよく笑った。女と笑い、赤ん坊をあやしては笑い、工場の門で同僚たちと笑って手を振っては、彼の父は白い歯をのぞかせた。そして家に帰って女と一緒にビールを飲みながらよくテレビを観て笑った。その画面にはいつもお笑い番組に出演しているアナザーサイドの姿が映っていた。


彼は電気掃除機の電源をふたたびOFFにした。水晶の中の家族はただの細かなゴミと塵にもどって、スノードームの粉雪のようにダストボックスの底へと散りじりになって落ちていった。

和解の儀式は終了した。アナザーサイドは吸引ホースを床に落とし、玄関のドアからアパートの外へ、冷えた夜の空気の中へと部屋を出ていった。

家電製品を愛する家電芸人がいるように、家電製品を憎む裏家電芸人がいた。彼こそ、もう一人の家電芸人であり、アナザーサイドあり、だからこそ真の家電芸人だった。


おしまい



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ