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2/20

プロローグ 男子、一名

二月も終わりに近い午後。

長谷川鳴美は、伊吹花高校の住宅支援室で、渡された資料をぱらぱらとめくっていた。

「学校まで徒歩十二分……リハビリ先まで電車一本。近くにスーパーもある」

「条件はいいわねえ」

隣で母が覗き込んでくる。

鳴美は左脚を軽く伸ばした。

松葉杖が取れて、まだ一週間と少し。歩けるようにはなったが、階段を何往復もしたい状態ではない。

「ここでよくね?」

父が眉を上げる。

「随分あっさりだな」

「もう他ほとんど埋まってんだろ?」

担当職員が少し申し訳なさそうに頷いた。

「はい。運動部の寮については、推薦入学の生徒さんを中心にかなり早い段階で決まりますので。男子の提携シェアハウスも現在は満室です」

「ほら」

鳴美が資料で父の腕を軽く叩いた。

「一般入試で決まったのが遅かった上に、手術だリハビリだ引っ越しだってやってたんだから、今さら贅沢言えねえって」

「お前が最初から一緒に引っ越すと言ってれば、こんな話にはならなかったんだけどな」

「それはそれ、これはこれ」

「都合のいい言葉ねえ」

母が笑う。

両親は、本当なら鳴美にも一緒に来てほしかった。

それでも鳴美が伊吹花に残りたいと言った以上、最後には認めてくれた。

十月に左膝の前十字靱帯を切った。

ユースへの昇格も、他所のセレクションも、十二月にはほぼ終わる。

なら仕方ない。

サッカーをやめる気はない。でも、プロだけが人生でもない。

そんな時に見つけた伊吹花高校が、妙に面白そうだった。

だから受けた。

受かった。

なら行く。

鳴美の中では、それだけだった。

「男女混合なのだけがちょっと気になるけどな」

資料を眺めながら鳴美が言う。

「まあ、部屋別なんだろ?」

「もちろんです。全室個室で施錠可能ですし、共有スペースにも規則があります。管理担当者も近隣に常駐しています」

「ならまあ」

母が担当者を見る。

「ちなみに、男の子って何人くらいいるんですか?」

担当者が資料を確認した。

「ああ、今年度ですか」

「はい」

「男性の入居予定者は、長谷川さんお一人になります」

静かになった。

鳴美が顔を上げる。

「…………は?」

父も顔を上げた。

「一人?」

「はい」

母が鳴美を見る。

「鳴美だけ?」

「俺に聞くなよ」

鳴美はもう一度担当者を見る。

「いや、待ってください。男女混合って聞いてたんですけど」

「はい。男女混合です」

「そこは合ってんすよ。比率の話です」

父が口元を押さえた。

母は普通に笑っていた。

「ちょ、笑うなって」

「だって」

「だってじゃねえよ」

担当者が慌てて付け加える。

「もちろん、他の入居予定の生徒さんと保護者の方には、男子生徒が一名入居することについて既に説明し、了承をいただいております」

鳴美の表情が少し変わった。

「向こう、いいって言ってるんですか?」

「はい」

「全員?」

「はい」

「……マジか」

鳴美は椅子にもたれた。

しばらく資料を見る。

条件はいい。

というより、今の鳴美にはかなり良い。

学校が近い。リハビリにも通いやすい。学校の管理下。費用も抑えられる。

そしてもう二月末だ。

これから公立の結果が出れば、伊吹花への進学を決める生徒も増える。当然、残っている住居も減る。

今ここを蹴って、もっと良い場所が出てくる保証はない。

「……まあ」

鳴美が頭を掻いた。

「向こうがいいって言ってんなら、いいか」

母が横から覗き込む。

「本当に?」

「今さら変えらんねえだろ。条件もここが一番いいし」

少し考えてから、鳴美は続けた。

「ていうか俺より、向こうの方が嫌じゃねえの? 男一人入ってくんの」

「それも含めて了承済みです」

「なら俺がゴネるのも変だろ」

父が鳴美を見る。

「問題を起こすなよ」

「俺を何だと思ってんだよ」

「お前は問題を起こさないんじゃなくて、問題にならない範囲でふざけるだろ」

「最高評価じゃん」

「褒めてない」

母が吹き出した。

鳴美はもう一度、入居案内を見る。

女子ばかりの家。

知らない同級生たち。

左膝はまだ思うように動かない。

家族とも離れる。

正直、面倒くさそうだった。

でも。

「まあ、なんとかなるだろ」

鳴美は申込書を引き寄せた。

その時の彼はまだ知らない。

その家で暮らす女たちが、揃いも揃って、とんでもなく面倒くさいことを。

そして――自分自身もまた、大概だということを。

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