第14話
潮風が吹き荒れる王国の巨大な軍港。
無数の軍艦が停泊する桟橋に、漆黒の陸軍軍服を着たグウィンが立っていた。
周囲の海軍兵たちは、場違いな「死なずのグウィン」の登場にざわめき、警戒の目を向けている。
「何の用だ、陸の英雄殿。潮の匂いで吐き気がする前に、さっさと壁の中へ帰りな」
甲板から豪快に飛び降りてきたのは、巨大な体躯を持つ男だった。
潮風に焼けた浅黒い肌に無精髭。
軍服の前を無造作にはだけたその姿は、海軍提督というよりも海賊の頭目のようである。
王国海軍提督、バルトロメオ・ドレイク。
気性の荒い海の男たちを束ねる、実力主義の猛将だ。
「俺の妻が商会を立ち上げた。海路を開拓するため、この港の専属使用権をもらいに来た」
グウィンが単刀直入に用件を告げると、バルトロメオは腹を抱えて大笑いした。
「陸の連中が海を仕切ろうってのか!波一つ越えられねえひ弱な奴らに、俺たちの海は貸せねえな」
「第一、陸軍の軍神様が女房の尻に敷かれてお使いとは傑作だ」
挑発的な言葉に、グウィンは表情一つ変えなかった。
「……俺の妻を侮辱するのは感心しないな。それに、交渉は直接港に来いと言われたから来ただけだ。どうすれば港を貸す?」
バルトロメオはニヤリと笑い、腰の剣を外して甲板に突き立てた。
「海の掟はシンプルだ。男としての根性と実力を見せな」
「揺れる甲板の上で、俺と素手で殴り合い、その後で樽の酒を干し上げる。立っていた方の勝ちだ」
「……ったく、しゃーねーな」
グウィンも軍服の上着を脱ぎ捨て、太い腕を露わにして甲板へと上がった。
試合開始の合図とともに、バルトロメオが巨体に似合わぬ敏捷さで殴りかかってきた。
海の男特有の、揺れる足場を完璧に利用した変則的な連撃だ。
最初は船の揺れに戸惑っていたグウィンだったが、数発の拳を受け止めるうちに、即座に重心の取り方を適応させていく。
「ほう、やるじゃねえか!」
「……戦場が泥から板に変わっただけだ」
歴戦の古傷を持つ陸の軍神と、荒波を越えてきた海の猛将。
二人の素手による肉弾戦は、周囲の海軍兵たちが息を呑むほどのすさまじい迫力だった。
やがて、グウィンの重い一撃がバルトロメオの鳩尾を正確に捉え、提督の巨体が甲板に膝をついた。
「……へっ、俺に土をつけるとはな。だが、まだ酒が残ってるぞ!」
バルトロメオが痛む腹を押さえながら、巨大な酒樽を二つ引き寄せた。
そこからの飲み比べは、まさに常軌を逸していた。
致死量に近いほどの強い酒を、二人は一言も発さずに喉へ流し込んでいく。
太陽が傾き始めた頃、ついにバルトロメオが空になったジョッキを落とし、大の字で甲板に倒れ込んだ。
「……俺の負けだ、陸の英雄殿。あんたの強さは本物だ。だが、港の権利を渡したところで、素人の商会に海運が務まるのか?」
荒い息を吐きながら問う提督に、グウィンは静かに懐から一つの包みを取り出した。
「俺の強さなど、サラの才能に比べれば些末なものだ。……これを食ってみろ」
包みの中にあったのは、カチカチに乾燥した肉と、見慣れない焼き菓子のような塊だった。
「サラが開発した、絶対に腐らない船乗り用の保存食だ。特殊なスパイスと油脂で加工してある」
「塩漬け肉とカビの生えたパンしか食えない長旅で、これがどれほどの価値を持つか、海に生きるお前ならわかるはずだ」
バルトロメオは半信半疑でその保存食をかじり、目を見開いた。
「……なんだこれは。信じられねえくらいに味が濃くて、力が湧いてきやがる」
「ああ、だがそれだけじゃない。このスパイスは、防腐効果だけじゃなく、壊血病まで予防してくれる」
「本当か、それは!?……船乗りにとっちゃ、まさに渡りに船の食材じゃねえか」
「俺の妻の言うことに間違いはない。……実際、俺も彼女には何度も助けられている」
海の男たちにとって、航海中の食糧問題と壊血病は常に死活問題だった。
この画期的な保存食が海軍に導入されれば、それだけで多くの命が救われ、航海日数は劇的に伸びる。
「女房の尻に敷かれていると言ったな。……俺は、最高の投資先に選ばれただけだ」
グウィンが誇らしげに言い放つと、バルトロメオは呆然とした後、再び腹を抱えて豪快に笑い出した。
「わはははは!お見それしたぜ、グウィン!あんたの奥方は、とんでもない化け物だ!」
「……いいだろう、港は好きに使え!その代わり、この保存食は海軍にも優先的に回してくれよ!」
二人の男は固い握手を交わした。
こうして、陸と海の垣根を越えた規格外の商談は、私の不器用な夫の豪腕と、商会のささやかな食糧技術によって、見事に成立したのである。











