第11話
王都への凱旋から数週間。
実家の商会を完全に掌握した私は、不当な利益を得ていた両親や幹部たちを追放し、「新生マイヤー商会」を立ち上げた。
かつて私を政略結婚の道具としてしか見ていなかった者たちは去り、商会は文字通りグウィン・マイヤー部隊の専属後援組織として生まれ変わったのだ。
そして今夜、私たちは王都の歴史ある社交界の洗礼を受けようとしていた。
「お嬢様、いえ、奥様。最高に美しく仕上がりましたよ」
王宮で開かれる夜会に向けて、アンナが私の髪に豪奢な宝石を編み込みながら満足げに頷く。
鏡に映るのは、実家の財力と私の商才を結集して仕立て上げた、夜空のような深い青色のドレスを身に纏った私の姿だ。
「ありがとう、アンナ。戦場の泥を洗い流すのに少し時間がかかったけれど、これなら誰にも文句は言わせないわ」
私が立ち上がると、扉の向こうから深いため息が聞こえてきた。
「……おい、まだか。首の周りが窮屈で死にそうだ」
そこには、最高級の生地で仕立てられた漆黒の礼装用軍服に身を包んだグウィンの姿があった。
戦場で血と泥にまみれていた時とは打って変わり、洗練された装いの彼は、息を呑むほどに精悍で威圧的な魅力を放っている。
けれど本人はこの上なく不機険そうで、太い指で何度も襟元を引っ張っていた。
その後ろでは、補佐官のベイルが必死に笑いを堪えている。
「閣下、とてもよくお似合いですよ。まさに社交界に降り立った軍神です」
「うるさい。こんな布切れより、サラが作ったあのド派手なマントの方がよほど動きやすい」
「もう!グウィン、夜会にあのボタニカル柄のマントを着ていくつもりですか。今日は新生マイヤー商会のお披露目でもあるのです。私の隣を歩く以上、完璧なエスコートをお願いしますわよ」
私がわざとらしく胸を張って見せると、グウィンは少しだけ呆れたように目を細めた。
「……ったく、しゃーねーな」
その言葉とともに差し出された大きく硬い手を、私はしっかりと握り返した。
煌びやかなシャンデリアが照らす王宮の広間に入った瞬間、私たちの周囲だけスッと温度が下がったような気がした。
いや、実際には無数の視線が私たちに向けられ、ヒソヒソという値踏みするような囁き声が波のように広がっていた。
「あれが、死なずのグウィン……」
「隣にいるのが例の妻でしょう?実家を乗っ取って、泥まみれで戦場まで夫を追いかけたという……」
「まあ、野蛮なこと。所詮は金勘定しか頭にない卑しい商人の娘ですわ」
王都の特権階級にとって、武功のみで成り上がった無骨な軍人と、商才で実家を飲み込んだ私の組み合わせは、異端以外の何物でもないらしい。
グウィンが不快そうに眉根を寄せるのを感じ、私は彼の手を引いて優雅に微笑んでみせた。
「気にしては駄目ですわ、グウィン。あれは自分たちにない力を持つ者への、ただの嫉妬という名の賛辞ですから」
「……お前のその図太さは、ある意味で最強の盾だな」
軍の上層部への挨拶のためにグウィンが少しだけ席を外した、その隙だった。
待っていたとばかりに、色鮮やかなドレスを着飾った令嬢たちの集団が私を取り囲んだ。
その中心に立つのは、金糸の髪を高く結い上げた一際目を引く美女だった。
「ごきげんよう、マイヤー夫人。私はエレオノーラ・ヴァン・ドーレンと申しますわ」
扇で口元を隠し、冷ややかな視線で私を見下ろす彼女は、高位貴族ヴァン・ドーレン家の令嬢だ。
「ごきげんよう、エレオノーラ様。お声がけいただき光栄ですわ」
私が完璧なカーテシーを披露すると、彼女は鼻で笑うように扇を揺らした。
「戦場の泥水を啜ってきたと伺っておりましたから、どんな野蛮な方がいらっしゃるのかと思いましたけれど……見かけだけは随分と立派に整えられたのですね」
取り巻きの令嬢たちがクスクスと意地の悪い笑いを漏らす。
「泥にまみれた商人の娘が、強引な金勘定で英雄の隣の席を買い取っただなんて。王都の社交界も随分と安っぽくなったものですわ」
あからさまな侮蔑の言葉。
普通の令嬢なら、ここで泣き出して逃げ帰るか、怒りで我を忘れるところだろう。
しかし、私は商人の娘だ。
言葉の刃など、悪徳商人との交渉に比べれば子供の遊びに等しい。
私はドレスの裾をわずかに揺らし、最高に優雅で、それでいて計算し尽くされた完璧な商人の笑顔を浮かべた。
「お褒めにあずかり光栄ですわ、エレオノーラ様。ですが『買い取った』という表現は少々不正確でしてよ。私は投資をしたのです。最高の価値を持つ原石に、私の持てる全てを懸けて」
「……投資、ですって?」
「ええ。それに、安っぽくなったとおっしゃいますが、需要と供給のバランスが市場の価値を決めますの。現在、軍の兵站と王都の新たな物流を担う我がマイヤー商会の価値は、青天井で上昇しておりますわ。お分かりにならないのでしたら、後日ご自宅に分かりやすい帳簿の写しをお送りいたしましょうか?」
私の言葉に、エレオノーラの顔から冷笑が消え、怒りで微かに扇が震えた。
「……口の減らない女ね。卑しい商売人の理屈を、この神聖な社交の場に持ち込むなんて」
彼女が一歩前に歩み寄り、さらに棘のある言葉を放とうとしたその時。
私の背後から、広間のざわめきを一瞬で凍りつかせるほどの、重く、底知れない威圧感が押し寄せてきた。
振り返らなくてもわかる。
戦場を生き抜いた本物の「軍神」が、不機嫌の頂点に達した足音を響かせて、こちらへ向かってきているのだ。











