光魔法の使い方 (3)
アイナの主張に、国王は首をかしげた。
「生まれ変わっただけ? あなたは自分の真実の姿を見ても、同じことが言えるのか?」
「真実の姿? 何を言ってるんですか」
国王は壁際に控えていた従僕へ振り向き、「見せてやりなさい」と指示をする。従僕は指示に従い、手もとの綱を引いた。すると、壁にかけられた白い緞帳がスルスルと上がって行き、鏡が現れる。「鏡の間」との間を仕切る壁は、「光明の間」の側も一面が鏡になっていた。
室内にいる人々の視線が、鏡に向かう。そこに映るアイナの姿は、やはり骸骨のままだった。
国王はアイナに向かって片眉を上げてみせる。
「そら。鏡に映った自分の姿を見るがいい」
「え? 何あれ。いったいどんなトリックなの? こんな嫌がらせをするなんて、ひどいじゃないですか!」
「嫌がらせではない。これが真実なのだよ」
フェリシエンヌの背後で「コレット……!」と泣き崩れる声がした。振り向いてみれば、それはグランジュ男爵夫人だった。娘の命がすでに失われていたことを、今ようやく実感したのだろう。
嘆き悲しむ夫人のすすり泣きを聞いて、フェリシエンヌも悲しくなった。あの素朴でかわいらしかったコレットの命は、とっくに失われていたのだ。夜会で声をかけ、ハンカチを渡したときが、本物のコレットとの最初で最後の邂逅だった。
そのとき、しゃれこうべの真っ暗な眼窩の中から、小さな光の球がフワフワとさまよい出てきた。夜空に浮かぶ遠い星のような、頼りなく小さな光だ。儚げなその星は、ゆらゆらと男爵夫妻の回りを漂った。
「コレット……? もしかしてコレットなの?」
夫人の呼びかけに、星は返事をするかのようにチカチカと明滅した。そのまま少しの間、夫人の周囲をチカチカと明滅しながらくるくると回った。
やがて、星は動きをとめる。それからまるで勇気を奮い立たせるように、フワッと膨らんだ。膨らんだまま、攻撃的な動きで一直線にドレス姿の骸骨に向かって行く。だが、目的は骸骨ではなかったようだ。骸骨を素通りし、鏡の前でひときわ大きく明滅した。
その瞬間、鏡に映される映像が変わった。不思議なことに、音まで聞こえてくる。
それは誰も見たことのない、異世界らしき場所だった。異国風の顔立ちの人々が、見慣れない服装でせわしげに行き交っている。その中を、手のひらサイズの板を見ながら歩く女性がいた。ひとりだけのろのろと、歩く速度が遅い。
しかもその女性は、下り階段の手前で急に足をとめた。
すぐ後ろを歩いていた人物はその動きに対応できず、女性にぶつかってしまう。女性は階段の一番上からつんのめり、転がり落ちて行った。人混みで逃げ場のない階段では、女性が転がりながら周囲の人間を巻き込む。押されて足を滑らせた者が何人もいた。あちこちから悲鳴が上がる。
それだけではない。転がり落ちた女性の体は、階段下にいる密集した行列に突っ込んで行った。列に並ぶ人々はいきなり足もとをすくわれて、なすすべもなく倒れていく。倒れた人が、また別の人を押し倒す。そんな具合に、ドミノ倒しになっていった。行列の先頭からは、谷間に落ちていく者もいる。
阿鼻叫喚の地獄絵図の中、鉄製の柱にしがみつき、黄色い箱にある丸いボタンを必死に押す者がいた。「ビー!」という耳障りな連続音が大音量で響き渡る。遠くで、箱馬車を長く巨大にしたような乗り物が停まった。あれが停まらなければ、谷間に落ちた人々は全員ひき殺されていたことだろう。
突然、鏡の中の風景が切り替わる。
新しく映ったのは、静かな白い部屋だった。その部屋には簡素なベッドが置いてあり、そこに女性が横たわっている。階段から転がり落ちた、あの女性だ。顔には大きなガーゼが貼り付けられ、口もとは透明な半球状のガラスのようなもので覆われている。頭部や手足は、包帯でグルグル巻きになっていた。片方の腕には、透明な細い管が何本もつながれている。
そこで不意に映像と音が消えた。鏡には再び、室内が映し出される。
星は力を使い果たしたかのように儚さを増し、フワフワとグランジュ男爵夫妻のもとに飛んで行った。夫妻の目の前で、名残惜しそうに何度も八の字を描く。次第に動きが遅くなっていき、ついには飛び回るのをやめて、ゆらゆらと上昇して行った。そうして天井に届く前に、すうっと溶けるようにして消えて行ったのだった。
「コレット……! ああ、コレット!」
星の消えた方角へ手を伸ばしながら、グランジュ男爵夫人はポロポロと涙をこぼす。人々はいたたまれない思いで、それぞれ目を伏せた。
国王は沈痛な面持ちのまま、骸骨姿のアイナに視線を戻した。
「あちらの世界で、いったい何人を害してきたのだ?」
「いや、あれ、あたし悪くないでしょ。押したほうが悪いですよね?」
「どうであろうな。それは、あなたの世界の人々が裁くことだろうよ」
「でも、あたし、死んじゃってるし」
フェリシエンヌは首を振って、言葉を挟んだ。
「いいえ、あなたもご覧になったでしょう? 生きておいでのようですよ」
「あんなの、生きてるって言える?」
「もちろん言えますとも。少なくとも、今のあなたよりは」
フェリシエンヌは骸骨をひたと見据え、きっぱり告げた。
「サトウ・アイナ。さあ、お帰りなさい。もとの世界へ」
「いやよ! せっかくヒロインに生まれ変わったのに! あんな体に戻るなんて、絶対にいや! 死にかけじゃないの!」
「ご自分で招いたことでしょう。責任をお取りなさい」
彼女は頭上にある光の球を繰り、骸骨のいるほうへ移動させた。国王が聞き出してくれたおかげで、異界での名前もわかっている。悪霊を送り返すためには、元いた世界での名で呼びかける必要があるのだ。しゃれこうべのすぐ上に光の球が移動したところで、彼女は全力で光の力を込めた。
直視できないほどのまばゆい光が室内を満たす。
「いや! やめて! いやよ……! いや…………」
骸骨の発する断末魔のような悲鳴は、直視できないほどのまばゆい光の中で次第に消えて行った。異界の魔女の声が完全に消えたのと同時に、カシャンと硬質な音が響く。骸骨が床の上に崩れ落ちた音だろうか。
少しの間、室内は沈黙が支配した。
だが、コレットを包んでいた光が消えたとき、人々は再び息をのむ。最初に声を上げたのは、グランジュ男爵夫人だった。
「コレット……!」
光が消え、骸骨が崩れ落ちたはずの場所には、ひとりの少女が所在なげに立ち尽くしていたのだ。彼女はゆっくりと周りを見回して、不思議そうに首をかしげる。
その少女に男爵夫人が駆け寄り、ひしと抱きしめた。
「コレット! ああ、コレット!」
感極まったように娘の名を呼ぶ夫人の両目からは、とめどなく涙があふれ出てくる。
男爵も「おお、コレット……」とつぶやくが、それ以上の言葉が後に続かない。彼は妻と娘に歩み寄り、二人まとめて抱きしめた。
やがて二人を離してフェリシエンヌに向き直り、声を詰まらせながら礼を言う。
「ありがとございます。本当にありがとうございます」
「いえ、わたくしは何も……」
戸惑うフェリシエンヌに、男爵は何度も繰り返し礼を言う。コレットも母の腕の中から抜け出してきて、ピョコンとお辞儀をした。
「フェリシエンヌさま。解放してくださって、本当にありがとうございます」
コレットからの謝辞には、隠しきれない北部なまりがある。フェリシエンヌは驚きに目を見張った。
「本当に、本当のコレットさんなのね」
「はい! フェリシエンヌさまには、助けていただいてばかりです。今度は命まで救ってくださって、感謝のしようもありません」
「いいえ。いいえ……! あの骸骨姿を見たときには、もうダメかと諦めてしまっていたの。本当によかったわ」
フェリシエンヌは涙ぐみながらも微笑んで、コレットの手をとった。
「コレットさんこそ、手伝ってくださってありがとう」
「いいえ、あれはフェリシエンヌさまのお力です。あの魔女が盗んだ光の魔力が、ほんの少しだけ残っていたのです」
「それでも、あれほど見事に使いこなしたのは、あなたの力だわ。ありがとう」
いつの間にか、少女たちの傍らには国王の姿があった。彼は満足そうにコレットに向かってうなずいてみせる。
「あなたの働きには、わたしからも礼を言おう」
「光栄に存じます」
コレットは恐縮しきって礼を返す。初々しい少女に微笑みかけ、国王は次にフェリシエンヌに声をかけた。
「フェリシエンヌ嬢、邪法使いを滅してくれたことに国を代表して感謝する」
「お役に立てて幸いに存じます」
こうして「光の乙女」の任命式は、幕を閉じたのだった。
十二月十六日。冬至の日まで、残り5日。
実際に起きた事故を調べて、朝の山手線通勤ラッシュを舞台にピタゴラスイッチにしたら、こうなりました……。
歩きスマホは危険です。まじで。