二度目の300日目
フェリシエンヌは現在、王都のフォンテーヌ公爵邸に滞在している。
「光の乙女」の任命式に先立って領主館を引き上げた後、そのまま王都に残ることにしたのだ。もう王都にいても安全だ。邪法の心配はなくなったのだから。
パトリスとマリウスは、事後処理に追われていた。あの日からずっと、毎日のように王宮に上がっている。今回の顛末は、包み隠さず公表されることになった。
邪法が使われたことを公表するのに、懸念を示す声もあった。しかし邪法を使ったのは、異世界からやって来た生き霊だ。もとの世界に祓ってしまえば、それでおしまいである。アイナには、邪法に関する知識を誰かに伝えたりしていた形跡はなかった。
任命式から五日目。ようやくマリウスは事後処理から解放された。
それは冬至の日だった。「前回」のフェリシエンヌが命を落とした日だ。だが「前回」と違い、今の彼女は健康そのもの。先の未来を考える、心のゆとりが出てきた。
この日、マリウスが彼女に声をかけてきた。
「フェリ、話をしたいんだけど。今いい?」
「はい」
一緒に居間に向かい、ソファーに腰を下ろす。ところが、いつもなら隣に座るマリウスが、なぜか対面のソファーに座った。何とも言えない違和感に、フェリシエンヌは眉をひそめて首をかしげる。
しかもマリウスは、深刻そうな暗い顔をしていた。問題はすべて解決し、この先の未来は明るいはずなのに。どういうわけで彼は、こんな表情をしているのだろう。いやな予感で、彼女の鼓動は速まった。
ソファーに座った後も、マリウスはすぐには口を開かなかった。
眉間に深くしわを刻み、うつむいたまま両手を組んで、じっと何かを考え込んでいる。フェリシエンヌが辛抱強く待ち続けていると、やがて彼は顔を上げた。そうして一度キュッと口を引き結んでから、決然と口を開く。
「婚約を解消しよう」
彼女の心臓が大きくひとつ、いやな跳ね方をした。自分の顔から血の気が引いていくのがわかる。
「どうしてですか?」
「どうしてって……。そうするべきだと思うからだよ」
意味がわからない。フェリシエンヌは眉根を寄せて、重ねて尋ねた。
「どうしてですか?」
「そうすればきみは、エヴラールとまた婚約できるだろう?」
彼女はぽかんとした。
「どうしてここで、エヴラールさまのお名前が出てくるのですか?」
「だって……。だって、きみが心から想っている相手は、エヴラールじゃないか!」
「はい?」
フェリシエンヌは目を据わらせた。不安が怒りに取って代わる。
「いったい全体、なんだってそんな、とんちきなお考えに至ったのか、お聞かせ願えますか?」
「とんちき」
「とんちきがダメなら、あんぽんたんでも結構です」
「あんぽんたん……。どこでそんな言葉を覚えてきたの……」
「パトリスさまから教わりました」
彼女はすっくと立ち上がり、スタスタと対面のソファーに移動して、マリウスの隣にピタリと体をつけて座った。そして冷ややかな目で彼の顔をにらみ上げ、平坦な声に圧を込めて命じた。
「いいから説明してください」
マリウスはぐっと詰まる。フェリシエンヌから目をそらし、うろうろと視線をさまよわせながら、ぽつぽつと説明を始めた。
「伯父上から、光魔法の真実について教えていただいたんだ」
「真実、ですか?」
「うん」
それは、未婚の王族には伏せられていることだと言う。
王家の者が光魔法の保持者と婚姻を結ぼうとする理由は、それが国を守ることにつながるからだ。なぜなら光魔法の保持者については、こう言い伝えられている。
『光魔法を使う者が現れるのは、国に大きな不幸に見舞われるときである。しかし光魔法使いに心から大切に想い合う相手がいれば、真実を照らす光を放ち、奇跡を起こしてその相手を不幸から救う』
だから王家の者は、光魔法使いと婚姻を結ぶ。国の安定のために。
とはいえ、心から想い合えなければ意味がない。婚姻が打算であっては、意味がないのだ。だから未婚の王族に対しては、このことを知らされないことになっていた。今回、例外的にマリウスに教えられたのは、すでに不幸が祓われたとの判断があってのことだ。
マリウスから話を聞き終わり、フェリシエンヌは小首をかしげた。
「お話はわかりました。でもそれと婚約解消がどうつながるのか、理解できません」
「きみには幸せになってほしいんだ」
「だったら婚約解消なんて、おっしゃらないでください」
彼女がピシャリと言うと、マリウスは焦れったそうに大きな声を出した。
「だってエヴラールは、きみのことを心から大切に思っているよ。きみも同じだろう? だからエヴラールをあの化け物から救ったんだろう?」
「違います」
フェリシエンヌは彼の問いを遮る勢いで即答した。その勢いに、マリウスは「え?」と間抜けな声をもらして、ぽかんとした。彼にとっては答えが予想外な上に、早すぎたらしい。
「わたくしが今、一番大切に思っているのはマリウスさまです。たとえ今日までの命だったとしても、少しでもたくさん幸せな思い出をマリウスさまに残したかった。エヴラールさまじゃありません。マリウスさまなんです」
フェリシエンヌの目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「だから婚約解消なんて、おっしゃらないでください」
「え? 今日までの命って、何? どういうこと?」
彼女の涙を見て、マリウスは周章狼狽した。
しかも涙をこぼす前の言葉の意味がわからず、混乱もしている。おろおろと手を上げたり下げたりしている彼に、彼女は「前回」のことを話して聞かせた。誰かに「前回」の話をするのは、これが初めてだ。
マリウスは時折険しい顔をしながらも、黙って聞いた。
「だから『前回』、最期に願ったのはマリウスさまの幸せなんです」
彼女がそう締めくくると、マリウスは今にも泣き出しそうに口もとをわななかせた。そして彼女の体に腕を回し、苦しいほどにぎゅうっと抱きしめる。
「ああ、フェリ。確かにきみは僕を最悪の不幸から救ってくれたよ。だってきみを失う以上の不幸なんて、考えられない」
フェリシエンヌは目を見開いた。
そういうことだったのかと、初めて腑に落ちたのだ。彼女の未来を開いてくれたのは、マリウスの想いだった。
彼女はずっと、彼の幸せを願ってきたつもりでいた。少しでも多くの幸せを願ってきた。けれども結局のところ、その願いをかなえることで得られたものは、彼女自身の未来だったというわけだ。
彼女は指で涙をぬぐい、微笑みを浮かべる。そうして肩から力を抜き、マリウスの胸に体を預けたのだった。
十二月二十一日。冬至の日。




