第83話 和気あいあい
(そうだ、こんな時は!)
椅子に座る前に本棚へ足を向ける。
隙間時間に読もうと思っていた二冊の本を取り出し、にやにやと口の端を緩ませながらデスクに置く。それは呪詛についての知識本だ。大判でページ数は五百ほど。武器として使える分厚さである。
(本を読みながら待ってよう)
この会社は案外自由がきく。
勤務中でも飲食やトイレ休憩がしっかり出来るし、体調が悪ければ医務室で休めるし、病院に行ける。寝不足なら仮眠も取れるうえ、本部から10分以内に戻れる場所なら仕事に関係ない外出も許されている。
なので、堂々と本を読んでも咎めない。
仕事のスキルアップに繋がる内容であれば、逆に勧められるほどだ。
そのことを知ってから、暇をみつけては専門書を読み漁っていた。
ペラペラとページをめくる。
上質紙なので手触りが良い。1ページごとにびっしり文章が書かれており、図形やイラストがカラーで掲載されていた。
呪術も古今東西、メジャーな内容からマイナーな内容まで載っている。
ここに書かれているということは、実際に効力があるのだろう。
(呪詛かー。目に見えて在るっていうのは、やっぱ凄い事だよねえ)
呪詛は祈祷や願掛けの一つである。
神や仏に頼んで、相手を不幸にすることを目的とした儀式だ。
通常ならば、肉眼で捉えられない曖昧な超常現象である。
(この世界は神が実体を持って直接干渉できるんだよね。それを考えると、神同士の戦いを、人に代理させているようなもんだよ。だから呪詛返しもしっかり伝承されてるし、どの術に対してどう対処すべきか、という、種類別項目もあると。ふむふむ)
思読み始めたら面白くて没頭した。
ふと、通路が賑やかになったな。と、思った直後にオフィスのドアが開いた。
「ひゃー! なんだあれしんどかった!」
「くったくた、腹へったぞ、食べに行くか!」
「ただいま戻りましたー!」
彼雁、端鯨、津賀留が疲労満載で入ってきた。
時間を確認すると18時になっている。
(うーん。もう少しで読み終わるし、こっちに集中しちゃおう)
息吹戸は労いの声をかけるよりも、本を読破する事を選んだ。
「お疲れ様です。凄いにおいですね」
と、声をかけつつ、礒報がドアに歩み寄った。
自覚があった三人は顔をしかめて苦笑いを浮かべ、津賀留が「でしょ」と代表して答えた。
彼らの髪はぼさぼさで、顔や手は汚れている。
厚手のジャンパーとスラックスが、泥や埃や返り血で汚れていて、泥の匂いがほんのり漂った。
彫石は彼等を一瞥しただけでパソコンと睨めっこ。
勝木は席を立って駆け寄り、
「よ! おつかれ」
と労う。
「ゾンビの数がすごくて……」
津賀留が苦笑いを浮かべると、
「倒すのも骨が折れたが、燃やすのも疲れたぞ。何十体火葬したか分からん」
端鯨が肩を押さえながら呻く。
アンデッドを倒した後、肉片を残すと汚染が広がる事があり、さらなるアンデッド発生を促すことがある。
そのため討伐後には念入りな火葬と消毒が徹底されている。
倒すよりも後処理が面倒な案件だ。
「もう、しばらくゾンビやグールは勘弁してほしい……です」
彼雁が頭を掻き、口から深いため息をはいた。
大勢のアンデッドを片付けてきたので、鼻に腐敗臭がこびりついて気分も悪い。
「ちょっと待ってください」
彼らのげんなりした様子をみて、すぐに礒報はリフレッシュスペースに向かい、設置されているタオルウォーマーからホットタオルを多めに取り出し、小走りで持ってきた。
「はい、タオルをどうぞ」
流れる様な綺麗な動作で、蒸しタオルを疲労困憊の三人に手渡しをする。
彼らはお礼を言いながら受け取って、顔や手の汚れを拭きとり始めた。
汚れを落としていくと爽快感が戻ってきて、三人の表情が緩んだ。
「はあ。生き返る」と誰かが呟いた。 ほっと一憩ついている3名の背後で、ドアがバンと乱暴に開かれ、ドアの周囲に集まっていた津賀留達は驚いて目を丸くする。
「だから! あの時に浄化しろっていったじゃない!」
「失敗したわけじゃないからいいでしょ!」
二人の女性が会話の節々で語尾を強め、喧嘩腰になりつつオフィスに入ってきた。
「良くない! 見てよこれ! ゾンビの返り血!」
カミナシのジャンパーごと染みこんでしまったのか、ワイシャツの左肩から腹部にかけて、どす黒い色と異臭を放つシミがある。
それを見せつけながら、糸崎有希香は吠えた。
彼女はもうすぐ30になる小柄な女性だ。
本来はアイドルのようなキュートな姿なのだが、今はカールした茶色い髪も、丁寧に化粧されていた顔も汚れている。つけ睫毛も取れてしまい、不格好に拍車がかかっていた。
「ああもう、うるさいなー!」
問い詰める糸崎を、鬱陶しそうに睨むのは章都小袖だ。
30代になったばかりの平均身長の女性。大輪の花のような美しい容姿をしているが、中身はごろつきのように荒々しい。
彼女もまた、黒い返り血が灰色の背広を汚く染めている。カミナシのジャンパーでは防ぎきれず、染みこんでしまったようである。
「忙しくて手が回らなかったんだって、言ってんだろ! 分かれよ!!」
頭を振りながら答えるので、章都のライトブラウンの長い髪がふわふわと揺れる。
「そう言って、いつもーーー!!!」
「だからなーーー!!!」
「はい。お二人ともストップです」
慣れた手つきで礒報が二人の顔面に蒸したタオルを押し付ける。
当たった瞬間、二人同時に「あっつーーーー!」と悲鳴をあげ、
「急に押し付けないでってば、火傷するじゃないのよ!」
「もうちょっとぬるくなってからちょうだい、っていつも言ってるでしょーが! シメっぞ!!」
それぞれが礒報に文句を言うと
「まあまあ。お二人とも。落ち着いて下さい」
津賀留が彼女たちに間に割って入り、笑顔で話しかける。
「このホットタオル。いい匂いがするんですよ。それに熱々で気持ちいですね。汗や汚れた顔がスッキリします」
屈託ない津賀留の笑顔をみると、糸崎と章都はお互いを見合わせ「そうね」と少し照れながら同意し、温かいタオルに顔を埋めた。
すっと匂いを嗅ぐと、ジャスミンの香りがする。肺の中が異臭からジャスミンに置き換わったところで、二人はタオルから顔を離し、「さっぱりした」と清々しい笑顔をみせた。
「ふふふ。鶴の一声とはこのことですね」
礒報が含み笑いしながら呟くと、津賀留の汚れた髪をタオルで拭き始める。
「わわ! 大丈夫ですよ!? わわ」
「背が低い分、頭部にもかかってましたからね」
「えええ!? そうだったんですか!? 拭いてくれてありがとうございます」
津賀留が素直にお礼を言うと、女性達は妹を愛でるような柔らかい瞳を称えつつ、薄く笑った。
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