第68話 キャパオーバーだけども
(文字列を正しい位置に配置させてから稼働させなきゃ)
息吹戸は周囲を見渡してヒュドラの攻撃が届いていないことを確認すると、津賀留を地面に寝かせて立ち上がった。安全な場所に居た生存率が上がると配慮したためである。
難なく魔法陣の近くに到着して、揺らいでいるオーロラの光をジッと見つめる。構成が崩れて文字列が途切れて大変不安定であった。
(送還術なんてやったことないけど、まずは一度やってみよう! 文字が見えるってことは正しい位置がわかる筈! まずは全体がどうなっているか見ないと。よし、こーいうときこそ鏡だね)
ふぅ……と息を吐いて、イメージをして、息吹戸は叫んだ。
「八咫鏡よ! 魔法陣全体を写せ!!」
突如として天空から魔法陣をすっぽり覆えるほどの巨大な青銅鏡が出現した。
鏡面がオーロラ光を吸い取りながら魔法陣の全容を映し出す。
(おおー。しっかり細部まで視れる……あれ? これはもしや完成した形を映してる?)
実際にある構成と、映している構成が違っていた。
鏡文字になっているが魔法陣は完成された形に整っている、と直感が伝えた。
嬉しい予想外である。
(お手本があるなら出来そう! 引き、よせ、て! 正す!)
体内から迸る力を出しながら規律を保つイメージを行うと、鏡面の魔法陣が影響を与え、現実の魔法陣の文字が素早く動き始めた。
正しい形に惹かれるように、お手本をみて整列するように、機械で布を織っていくように、瞬く間に送還魔法陣が整っていく。
文字列が整い始めると、送還魔法陣が正しく稼働し始める。
虚ろだった光がパチパチと弾けるような光の粒子に輝きを変えた瞬間、魔法陣の中央から黒い光が渦を巻いて沸き上がった。
(よし! 形は仕上げた!)
息吹戸の口元に笑みが浮かぶ。
送還魔法陣は完成したので、今度は稼働するためのエネルギーが必要となった。
雨下野は送還への再構成が間に合わないと感じて術の破綻を覚悟していた。ヒュドラがより一層勢いを増して計画は頓挫、この辺り一帯が焦土と化すことを予感していた。
しかし突如として空に巨大な鏡が出現して、驚きと共に目を見張る。
「なんですか、あれ……」
見た事もない模様が刻まれた青銅鏡が瞬く間に魔法陣を再構築して、送還魔法陣を完成させた。
魔法陣の中央から黒い光が湧きだし回転が始める。アメミット隊員たちと共にその光景に呆然としていたが、雨下野はすぐに周囲を見渡して原因を探す。
「鏡? なにが……どなたか手を貸して?」
先ほどまでなかったモノを探している雨下野の目に、息吹戸が映り込んだ。
隊員たちが立っている位置よりも、魔法陣よりも四メートルも後ろで佇んで、空を見上げていた。
何故こんなところに。戦闘に加わらないのかと訝しむが、ハッとして目を見張る。息吹戸から大量の神通力が流れ出しており、それが鏡と魔法陣に注がれていたからだ。
雨下野は震えながら「まさか……」と呟く。
息吹戸が破綻寸前の術式を立て直した。そう考えるとしっくりくる。しかし同時にそんなことが出来るのだろうかと疑心が浮かぶ。
だが雨下野に真実など考えている余裕もなかった。
儀式は最終段階である。稼働するためのエネルギーが大量に必要となった。それこそ贄にされた三百人分は必要であり、補うためにごっそりと神通力が吸い取られていった。
本来なら神通力量が多い隊員ばかりであり、津賀留の応援を受け続ければギリギリ実行できるだろうと予想したが、人員が少なくなっている。しかも神通力の補充が途切れたのならば彼女も無事でないだろう。
今、気を抜けば失神してしまうと、雨下野が下唇を噛んだ瞬間、バタッ、と誰か倒れる音がした。
一人の隊員が気を失っていた。神通力の枯渇による失神である。
雨下野は己も含めて全員の気合を入れるため、声を張り上げた。
「皆さん! あと少しでヒュドラを送還できます! 耐えてください!」
隊員たちから「はい!」と返事がくる。押し潰されたようなくぐもった声であるが、隊員たいもラストスパートとばかりに気力を振り絞っていた。
彼らの意志を感じて、雨下野はその目に宿る輝きをより一層強くした。
光の回転が勢いを増すと、息吹戸は体内から力が流れ出るような、強い脱力感を覚えた。
凄く疲れてきたと、そう思った矢先。
全身に激痛が走って驚いた。
(いったあああああ! なんだこの痛さ! あ、これ! 分かった! キャパオーバーだ!)
保持する力を越える量が瞬く間に削られ肉体が悲鳴を上げたと、瞬時に理解した。
(メンタルがガスガスやられて、体に反映しているってことか。めっちゃ痛い!)
息吹戸は痛みで数秒ほど集中力が切れた。
すると鏡が揺らいて魔法陣が不安定になったため慌てて集中する。
(うわあー。気が抜けないんですがー! もおおおお覚悟決めよう! ミッション成功させるためにやり遂げるしかない。命は賭けたくないけど……)
ギッと、魔法陣を睨むと、
(賭けるならやりきる!)
保身よりも事態の解決を選んだ。
息吹戸は肉体を無視して搾り出すように神通力を放出。術式に溶け込ませて稼働エネルギーに変換する。その際に他から力を感じないなと思って探ると、どうやら枯渇しているようであった。
まぁいいかと軽く考えて、息吹戸は送還魔法陣を稼働させた。
(送還対象はヒュドラ)
魔法陣から飛び出した黒い光が天を貫き高速回転を始めた。
無事に術式が動いたのをみて安堵した息吹戸は「ふぅ」と息を吐いた。その途端、鼻から耳から目から、鮮血がドバっと飛び出した。
手で拭って血を見ると、次に張り裂けそうなほどの痛みが体を蝕んだ。痛みの強さで体が硬直する。呼吸が辛い、声がでない、音も聞こえない、目も見えなくなってきた。
息吹戸は心の中で絶叫する。
(あばばばばば体が爆発しそう! 死ぬのはいいけど痛いのは嫌だ! 助けて神様! 痛いのは嫌だあああ神様助けてええ! 痛くないように死にたい! 助けて助けて)
心の中で強く祈りながら、激痛でショック死を覚悟した瞬間――ふわっとした柔らかいものに包みこまれた感覚がした。
『なんでこんな無茶やってんの?』
頭の中で少年の声が響いた。
息吹戸は眼球を動かすが、真っ暗で何も見えない。
(……誰?)
『神様って呼んだじゃないか』
(呼んだけど……)
『だから来た。ヒュドラの魔法陣を一人でなんとかしようだなんて吃驚しすぎて笑っちゃう。僕の目を使ったって一人じゃ無理。いつからそんな無茶するような子になったの? で、鏡はいつ使えるようになったの?』
(目……鏡?)
『そうだよ。っていうか。あれ? 君は…………ああ、そうなんだ』
少年の声が沈んだ。
『そーいう事情か。なんてことだ。誰が一体こんなことを……』
そしてため息をする。
『ごめん。君も混乱してるよね。説明をしてあげたいけど僕はまだ忙しい。後で話をしよう。絶対に会いに行くから少しの間待ってて』
息吹戸は心の中で頷いた。
『ヒュドラは直接手を下さなくていいみたいだ。君の根性がよくわかる。さてと、僕の力を鏡に映すから、最後の仕上げをよろしく』
(え、あ、りがとうございます)
気配が去った。
そんな感じがすると、体の痛みが嘘のように引いて音が戻って来た。視力に光が戻り景色が分かる。
(鏡に力を映す……)
息吹戸は少年の声に導かれるよう空を見上げて、ハッと息を飲んだ。
鏡から神々しい光が降り注いで、地面に描かれた魔法陣に突き刺さったのである。
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