第67話 文字として認識する
魔法陣から数メートルほど離れた場所で、東護は砂埃を払いながら立ち上がった。結界を張った直後に風圧で飛ばされたが、服が傷んだだけで大きな怪我はない。
送還術を阻止しようと躍起になっているヒュドラを見据える。
「首が減っている。力は削いできたということか」
彼は攻撃を受けても尚、送還術を続行していた。
ヒュドラの直撃を受ければ流石に無事では済まされないため術を継続すべきか迷った。だが直前に息吹戸が進路を変えたので選択肢が増える。津賀留は彼女が庇うだろうと見据えて、送還術の維持に努めた。
予想通り息吹戸は津賀留を守ったが、風圧でどこかへ飛ばされた。風速三十一メートル以上で飛ばされて物体に衝突すれば怪我だけでは済まされない。
しかし東護はその点について全く心配していなかった。相変わらず津賀留の事だけは必死だな、と薄笑いで顔を歪めてから、ヒュドラに意識を向ける。
祠堂が既に戦闘開始しており、巨大な蛇に果敢に挑んでいた。
「さて祠堂が向かったようだが……」
和魂との連携でなんとか魔法陣の上から退けるものの、ヒュドラはすぐに戻ってくる。ここから遠ざけるには力足らずのようだ。
東護は鋭い目を細めつつ唇を引き締めた。
「流石に、足止めは無理か」
「東護さん!」
雨下野から鋭い声で呼びかけられ、東護は振り向いた。目が合うと、彼女は強い眼差しを返しながら大きく頷く。
「祠堂さんに加勢してください! ここは私達がなんとかします!」
「出来るか?」
東護が疑うような表情になると、雨下野の目に荒々しさが増した。
召喚術の解析が終わってやっと送還術へ変換するところまで漕ぎつけた。一番人数が欲しいときに抜けるのは致命的だが、祠堂だけではいつまで耐えるか分からない。
東護の実力を考えれば、どっちに加勢すればいいかなど迷うこともなかった。
「当然です! 行ってください!」
冷や汗をボタボタ流しながら意志の強さをみせた。
東護は頭を掻きながらヒュドラを見据える。
「全く。策を練ってもうまくいかないものだ」
そう皮肉を述べながら、速やかに送還術から離脱して戦闘に加わった。
風圧で飛ばされた息吹戸は、津賀留を庇って背中から木に激突した。メキッと鈍い音が響いて、ずり落ちるように地面に尻餅をつく。衝撃で眼鏡が飛び、葉や枝に紛れ込んで消えてしまった。
「っっ!」
顔を歪めて歯を食いしばって、数秒ほど痛みに耐える。
「いってて」
ジーンとした痛みが背中に広がってきた。内臓が揺れ動いているような感覚が強くすぐに動けないものの、激痛はない。背中や手足を動かしてみても異常はないようである。
(この体、丈夫だ……)
己の頑丈さに吃驚してから、息吹戸は周囲を見渡した。
風圧によって木々が裂けて根こそぎ倒されている。地面は木々の残骸で埋め尽くされており、嵐が去った後のようであった。
火がついた葉っぱが何枚も飛んできて地面に落ちると、他の葉や枝に移り、徐々に火の数を増やしていった。間近で燃えていても熱さを感じないのは炎無効の効果があるからだろう。
「そうだ、津賀留ちゃんは?」
抱いている津賀留を見下ろす。ぐったりとしているが、どうやら衝撃で気を失っているようだ。体は砂で汚れてしまったが、出血はなく手足も曲がっていない。
無事だと分かってホッとするが、すぐに状況を思い出す。
「そうだ。みんなは? ヒュドラはどうなって……うっわ」
息吹戸はその光景に驚いて固まった。
木々が倒れて遮るものがないため現場がよくみえる。
ヒュドラが吐く炎が大地を舐め、巨体が暴れると地響きを起こす。火が広範囲に広がっていき焦土が広がっている。
祠堂と東護は和魂と共に激しい戦闘を繰り広げ、雨下野と五人のアメミット隊員は送還術を完成させようとしていた。
「なに、これ……?」
しかし息吹戸が驚いたのはそれではない。
景色に流れる『不思議な文字列』を見て驚いていた。
まるで画面の弾幕のように視界一杯に泳いでいる。
魔法陣を構成している文字列が左回りで渦を描くように回っている。
ヒュドラの胴体半分から文字列が流れ出して、魔法陣の中央に吸い込まれている。
空を割る空間に文字列がある。
地面を割る空間に文字列がある。
息吹戸はきょとんとしながら、文字を目で追いかけた。
(見たことない記号だけど、要はヒュドラの体が文字列で出来ているってことだよね? っていうか、文字列が分解されて光の粒子みたいになっている。もしかすると召喚送還術は光の電磁波と関係あるんじゃ?)
つまり召喚魔法陣とは、電場と磁場が振動して発する光の電磁波で複雑に構成されているということだ。
空間や時空を越え、目的地へ繋がるように図形や文字列で構成されて、対象生物を強制的に光に置き換え、繋がった空間を通じて別の場所へ転移させる。
送還魔法陣も原理は同じであり、法則に定まった事を成せば発動するのだろう。
(だから召喚を送還へ変換するには、初めにいた場所の位置や時間を出すために一度計算をして算出したあと、現在地からそこまで移動させる手筈を整えるためにエネルギー供給が常に必要。更に送る場所を間違えれば発動しないってことなんだ。プログラムを組むパソコンみたいだね。この流れる弾幕ももしかしたら機械語みたいなものかもしれない)
そう考えながらも息吹戸のイメージは、編んだ細かい柄布生地を破ることなく全て糸に戻しながら、柄を反転させつつ編み直すシーンである。
(材料が光の電磁波だから通常よりも高い技術と、術を維持しながら書き替えるという大量の神通力が必要になってくるってことか)
なんとなく理解した気分になったものの、何故そんなものが見えるのか不思議であった。
首を捻っていると、人体に備わる特殊能力が関係しているのではないかと思い出す。
(これは『魔法陣の構成を文字として知覚している』ってこと? 息吹戸は共感覚の持ち主なのかも)
知覚できるなら活用しようと、息吹戸は魔法陣の文字列を凝視した。
文字や模様の集合体が渦を描いていた。構成している流れが右往左往に入り乱れ、滅茶苦茶不規則に飛んでいる。
(ええと確か。術が不完全だからヒュドラはまだ魔法陣と繋がってるって言ってた。だから今は、ヒュドラが元の世界に戻るために吸い込まれている状態? これは上手くいってるの?)
雨下野たちは脂汗を浮かべながら必死で魔法陣を保っている。真っ青な顔をしており、いつ倒れてもおかしくない。
(ううん、力が足りからこんなに不安定なんだ。マズイ! 彼女たちだけだったら術が破綻する!)
それはすなわち『ヒュドラが天路世界に固定される』という事に他ならない。
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