第59話 中途半端な講義
会議は滞りなく進み、作戦は極力戦闘を回避して送還術に重点を置くことで決定となった。
「ヒュドラの注意を引いて魔法陣から遠ざけて、もう一度降臨の儀を行う。成功すれば元の世界に還るはずだ」
祠堂の言葉に全員が頷くなか、息吹戸が小さく挙手する。
「還ってもらうのに降臨の儀を行うの? すでに降臨してるのに?」
その瞬間、『何を言ってるんだこいつは?』という感情が含まれた視線が突き刺さった。
(これ一般常識だったか!)
息吹戸はゆっくりと手を降ろしながら、やってしまったと暗涙する。
「貴様、立ったまま寝ているのか?」
東護が軽蔑した眼差しを向ける。
揚げ足を取るというよりは、思ったことを口に出したようであった。
(起きてますけどジャンル外はさっぱり分かりません!)
息吹戸は心の中で絶叫するも、表情に焦りはない。そればかりか若干空気が冷たくなって不機嫌さを醸し出した。
「寝てたってことでいいよ」
東護の眉間にしわがより、目の色に怒りが灯った。
強い視線が矢のように顔面に刺さるのを感じて、息吹戸は遠い目をする。
(これはあれだ。授業中、教壇の前の席で堂々と寝てしまい、起きて先生と目が合った状況にそっくり。スルーされて授業が進むかも)
「降臨の術を行うのは構造を把握するためだ。完成間近の地点から即座に逆に唱え、送還の儀式に置き換える」
東護は少し間を開けると、ため息交じりに説明を加えた。
息吹戸の様子から、業務に関する知識はおろか一般常識すら欠落していると否応なしに理解できた。これが通常の討伐ならば無視していたが、相手は未知の禍神ヒュドラである。些細なミスで失敗となれば後がない。
(教えてくれるみたい。クソ真面目教師タイプなのに意外に親切)
息吹戸は再び小さく挙手をした。
「術を反転させるってこと?」
「そうだ。魔法陣に触れて術式展開を行わなくては、術式の構造を把握できない」
「展開。この場合は術式を広げることってことかな? 魔法陣は膨大な情報を圧縮している形なの?」
「圧縮? 力の放出を行うのが魔法陣だ」
息吹戸の頭に「?」が浮かんだ。
これはもっと別の例え方が必要だと踏んで、言葉を変える。
「それは、例えば、文字を書いた後に紙を折って鶴にしたとする。その中に書いてある文字を見るために開くことを示す、ということかな?」
今度は東護の頭に「?」が浮かんだ。
二人は互いに言いたいことがすれ違っていると感じて黙る。
どこが嚙み合っていないのだろうと考えていると、雨下野が口を挟んだ。
「折り鶴と例えるのであれば、完成した鶴を一度開いて、『折り目の形跡の全体図を把握するのが展開』。そして『折る順番を確認するのが今回では降臨の儀式』となり、逆再生のように『折り目の線を消して新品の折り紙に戻すのが送還の儀式』となります」
息吹戸は一発で理解して「なるほど!」と声を上げる。
「本来ならばこのような手間は必要ないはずでしたが。今回はやや特殊です」
雨下野は痛々しく眉をしかめる。
東護がテーブルの上にある数枚の写真から、魔法陣が映っているものを手に持って息吹戸にかざす。
「写真からでしか判断できないが、この魔法陣はおそらく贄の血肉で書かれている。この大きさなら三桁は犠牲になっているだろう。この数では他の物で代用することが出来ない」
「三桁! 百人越え!? でも儀式の贄は選ばれた人が必要になるのでは?」
「禍神は種類により召喚方法が違う。人型に近い程、贄の選別が必要になるが、獣型は数が必要となる」
「はあ。今回は蛇だから数が必要ってことか」
「そうだ。この規模になってくると儀式を行うにも消し去るにも、召喚術に特化した上位能力者が必要だというのに。今回は送還術ではなく、召喚術を送還術に変換するため、人数がいる」
「音声で言えば逆再生みたいな感じ? 『おはよう』でも『うおよは』みたいに聞こえるやつ」
「は?」
東護は冷たい目になると、視線をそらして見放した。
講義が終わったと感じた息吹戸は眉間にしわを寄せる。間違っていたかと残念がり、後で調べてみようと心でメモをとる。
(時間がなかったとはいえ、常識くらいは頭にいれておかないといけないなぁ)
話がひと段落したと感じて、津賀留が息吹戸の元へトコトコとやってきた。
「東護さんは曖昧な答えを出すのを嫌がるだけなので気にしないでください。召喚術や送還術は異世界の術なので謎が多いんです。私達が使えるのもそう多くはありません」
「なるほど。ありがとう津賀留ちゃん」
津賀留の優しさに癒されて、息吹戸の眉間のしわが取れた。
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