第323話 計画の失敗を受けて
「ああ、わかったよ。ご苦労さん」
中間から連絡を受けた燐木十重は、渋い表情を浮かべた。
燐木はやや腰が曲がったふっくらした八十歳の女性である。
頬にふくらみがあり目尻が下がっている。人当たりの柔らかそうな顔、皺は少なくもちもちした肌をしていた。背は百三十センチと低く、白髪染めで髪を茶色く染めている。
割烹着を着ていれば畑仕事を生業にする老婆。
そんな外見をもつ彼女は、いつも人当たりの良さと笑顔を褒められていた。
しかし今は評判の良い面影はなく、荒々しい顔つきで鼻から大きなため息を吐くと、通話を切ってリビングにあるソファーに腰を下ろす。
「こんな大掛かりな仕掛けをしたのに失敗とは……情けないねぇ。特に仮室めが。楽したいがために油断しよってから。」
通信相手は滝登りドームを観察していた辜忌の中間からであった。
儀式が失敗におわり仮室も討たれという内容を聞いて、思わず頭痛を覚える。
「はぁ。ここ八年ほどこちらが圧され気味だねぇ。他の奴の輪廻サイクルも早いし。気合入れて五十年から百年くらい生きようとすればいいのにさぁ。やれやれだよ」
燐木十重の実年齢は百七十二歳である。健康な個体には手入れを欠かさず行い、健康に気を使い、裏方に徹することで長い生を得ていた。
とはいえ、最大二百歳ほどで老衰により死んでしまう。この度は心筋梗塞が何度か起こっているので、肉体の寿命は近そうだと感じていた。
「はぁ。私の次に条業七人衆の年長者は誰だったか……移る前に連絡しておかないといけないねぇ」
辜忌の幹部たちは自分たちのことを条業七人衆と呼んでいる。防衛組織が名付けた『屍処』よりも遥かに長く使われている隠語であった。
「折角、同じ年代に五人揃ったのにねぇ……うち、二人ほど転生で成長待ちとは。私も近々そこに加わるからあんまり大きなこと言えないけどさぁ」
燐木は気分を変えるため立ち上がって、リビングにある大きい窓に歩み寄ると、おもむろにカーテンを開けた。
月明かりで輝く海が見える。小さな漁港があり、道を挟んだ山側に住宅がある。夜明け前の朝の三時であったが明かりが灯る家がちらほらとあった。
ここは天路国真中で、漁業の盛んな小さな町である。
燐木は高台にある和風モダンな二階建ての一軒家に住んでおり、移住して五年ほど経過している。
「今日はどの魚を仕入れようか、楽しみだよ」
近くにある加工場で週に二回ほど、漁獲物の選別の仕事をしていた。『吉長とえ』と名を偽り、従業員からは親しみを込めて「とえおばあちゃん」と言われている。
魚料理を思い浮かべているとみるみるうちに険が取れて柔らかい風貌になる。燐木は「うひひ」と笑ってカーテンを閉めた。
テーブルに置いてあるオカキの袋に手を突っ込み、三つほど引っ張り出してからソファーに移動して、ドスンと脚を開いて座る。
「久井杉が心血を注いでアイドル小娘を依り代にしたのになぁ。降臨までは上手くいったのに、その後が悪かった。嘆き悲しむだろうねぇ」
閉じていない口からぼりぼりぼり、と咀嚼音が響く。お世辞でも綺麗とはいえない食べ方であった。
しばし無言で味を楽しんでいた燐木は、時計を見ておもむろにリモコンでテレビのスイッチを入れた。
深夜ニュースで滝登りドームの惨状が報道されている場面を眺めながら、「チッ」と大きな舌打ちをする。
「被害が少なすぎるわい。せーっかく朝一番から動いて呪具を関係者に配っていたのに。骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだよ。はー。失敗するなら別の奴に任せればよかったわい」
滝登りドームでグミを配っていた星関食品株式会社の広告担当の樹錬、その正体は燐木である。
数週間前から幻術で樹錬に成りすまし、工場を乗っ取って、呪具を造っていた。
本物の樹錬と工場に働く人達は呪具の材料になっているため、燐木の存在がバレることはない。
念には念を入れて、『樹錬は辜忌の末端に所属している。当時は贄になるべくグミを食べて従僕になった』と推測できるように証拠を置いてある。
追手が来ることはないと自信があるため呑気に事を構えた。
「このオカキうめぇわ。追加で買いに行くかねぇ」
バリバリと食べていたらオカキの欠片がぽろぽろと床に落ちる。足にかかった欠片を手で払ってから、ふぅ、とため息を吐いて遠い目をした。
「あと不発に終わったのはどこだっけかなぁ」
彼女はこの他にも色々ちょっかいをだしており、真北支部上梨卯槌の狛犬とアメミット真中支部の内情を抜き取り餌を蒔いた。
追跡中のネメアーにちょっかいを出し内部分裂を狙ったがこちらは不発に終わった。
今しかできないやり方なため、ここぞとばかりに活用している。
そして粗方、品定めが終わった。
「実りがある方がいいのぉ。失敗してもいいかもしれん」
燐木はニヤリとあくどい笑みを浮かべた。頭の中でどう種を蒔くか段取りを考えつつ、喉が渇いたのでシステムキッチンへ足を向ける。
三人家族用冷蔵庫から『とえ』と書かれた五百ミリリットルの炭酸飲料を取り出して、ラッパ飲みで飲み干した。
「げぇっぷ。そろそろ普村が十五歳になる頃か。穏便に一家行方不明にして迎えに行ってやろう。仮室は、げぇっぷ、のんびり寝たいから赤子からだろうなぁ。活動できるまで何年かかるやら。逆香も動けばいいものを。げぇっぷ。ゲームにハマって動けないばかりか、ゲーム会社を守るなどもう……自由過ぎか」
げっぷをしながらぐちぐちぐちと不満を口にしていると、後ろでリビングのドアが開く音がした。
振り返って相手を確認する。
やって来たのは二十代後半の男性だ。身長は百七十七センチ。ミルクティー色のバレイヤージュの長い髪は腰まである。すらりとした上品な容姿であるが、少々頼りなさそうな雰囲気であった。
彼は阿子木大儀。前任者だった阿子木の実の息子だ。
前任者が死亡した際にその場にいた大義が阿子木へと覚醒した。
当時、中学生だった彼を燐木が養子として迎えて以来、祖母と孫として仲良く暮らしている。
阿子木はパジャマ姿であった。今しがた起きたと言わんばかりにあくびをしながらリビングに入る。
燐木と目が合うと、「おはよ」と囁くようなウィスパーボイスを放った。
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次回は6/29更新です
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