第306話 疑い深いなぁ
息吹戸と祠堂が何事かと注目する。
章都は仰向けに寝転がっている。焦点のあっていない目、真っ赤な顔、右手で胸骨部分の服を握りしめて激しい呼吸をしている。
事後みたいだなと思いつつ、息吹戸が覗き込むと、章都が恨めしそうな視線を向けた。
「息吹戸、恨むぞ。新たな扉をひらいたじゃないか。なんだあれキュンとするうううう!」
どうやら新たな沼を与えてしまったようなので、息吹戸は簡潔にシチュエーションを説明した。
「『くっころ』とは『生き恥を晒したくないので敵に自分を殺してくれと上目線で頼む、主に女性の台詞』です」
「はあ!? なんてセリフを言わせるんだ!」
祠堂が勢いよく立ち上がり不満をあらわにした。
しかし息吹戸と章都は無視して『くっころ』の話をする。
「あれにそんな意味が……まじかー。女性セリフなのに祠堂が言っても違和感ないなんて」
章都が両手で顔を隠して悶えているので、息吹戸は冷笑を浮かべた。
「まぁ。男女両方いけると思いますけど、性癖に刺さるなんてSっ気強いですね」
「絶対にアンタほどじゃない!」
章都はツッコミをしながら立ち上がった。
「だけど良いことを知った。好みな敵がいたらトドメ刺す前にやってみるぜ」
獲物を目にした狩人のように目を爛々に輝かせ、毒々しい笑みを浮かべる。
「でも逆に絆されてしまうこともあります。仕留め損なわないように気を付けてください」
息吹戸が注意事項を伝えると、章都が悩むように腕を組んだ。
「そーいう事にもなちゃうかー」
「そんな危険性もはらむので癖になります」
「肝に銘じとく! 面白いの教えてくれてありがとな!」
「どういたしまして」
声を弾ませて物騒な発言で盛り上がっている二人を観ながら、祠堂は眉間にしわを寄せた。
会話内容が何一つとして理解できないが、関わらないほうがいいとだけは分かる。
静かに立ち去ろうと背中を向けたら、章都と息吹戸の視線が刺さる。
何か言われる前に退散しようと祠堂が足を速めると、
「ちょっと待って」
息吹戸が呼び止めた。
「……なんだよ」
先ほどの話に巻き込まれるのではないかと内心ヒヤヒヤしながら、祠堂は嫌そうに振り返る。
「今回の賭けについてだけど」
「ああ、俺の負けだ、じゃあな」
祠堂が慣れたように敗北宣言をすると、
「え? 祠堂さんの勝ちでは?」
息吹戸が不思議そうに聞き返した。
数秒の沈黙が祠堂と章都に訪れる。
意味を理解した瞬間、二人は「え!?」と驚きの声を上げて、瞬きをしながら頬をつねった。
息吹戸は不可解そうに「どうしたの?」と聞き返す。
「あ、あれは、途中でファウストも攻撃をしたよな? その時点で俺の負けなんじゃ……」
祠堂が冷静を装って聞き返すが、声がひっくり返っていて金切りの声のようになってしまった。
「まぁそうですね。でもトドメはちゃんと祠堂さんがやったし」
「いやでも、章都も攻撃して倒したけど……?」
「章都さんも倒してますが、そもそもその前に一頭倒してたでしょ?」
「そ、そうだけど……でも今回は三頭で……だから三頭全部だとばかり。仲間がいたからできただけで独りでは倒せなかったから……」
祠堂がしどろもどろになりながら『賭けに負けた』という理由を探している。
(完璧主義なのかな。まぁどっちでもいいけど)
息吹戸は深い溜息をついた。
「とりあえず、二頭分の禍神の穢れを受けても意識を保っていられた点を考慮して、そっちが勝ちでいいかなと」
「おわー! あんたが負けを認めるの初めてじゃないか!? これは夢か!? 明日世界が滅ぶかもしれない!」
章都がこの世の終わりとばかりに嘆いたので、大げさだと息吹戸が毒づいた。
「賭けの内容に沿うとそうなります。っていうか、祠堂さんと賭けする頻度多いですよね? 流石に初めてなわけないでしょう?」
章都は耳を疑い、高速で首を横に振る。
「いやいや。いつもはあれこれいちゃもんつけて『勝ち』をもぎ取ってる!」
息吹戸が「嫌な奴だな」とため息を吐いた。
「それ自分で言うか」
章都はツッコミをしてから、ちょっと気難しそうにしかめ面をした。腰に左手を添え、右手で顎を触りながら呻く。
「いやこれって本当に大丈夫なのか? 今はこうでも、後で思い出したら……」
息吹戸が記憶を取り戻した時にどうなるかと考えただけで、章都の胃に鉛が落ちてきた。あとで『なんで止めなかった』と殴られる流れではと戦々恐々する。
「あの……」
祠堂が会話に割り込んだ。真剣な眼差しで息吹戸を見つめる。
「ほんとに。お前が負けを認めるのか?」
「今回はね」
息吹戸がさらりと答える。
あっさりしすぎていたため現実味が持てず呆然としながら、祠堂は口元に添えた手をゆっくりと下ろす。
数十秒経過すると、初めて賭けに勝てたという喜びが全身に広がった。
「そうか」
祠堂は下を向くとソワソワしながら首の後ろを掻き始める。そして意を決して顔を上げた。頬が朱に染まり、期待に目が輝いている。
「だったら約束通り俺と」
「わああああああああ!」
章都が奇声を出しながら駆け寄り、祠堂の頬を全力で殴った。
「ぐはっ」
予想外な攻撃に対処できず、祠堂が後方へ吹っ飛んだ。すぐに両足をつけて転倒を回避すると章都が目の前にいる。手を伸ばして口を塞ごうとしたので、パッと手を振りほどきながら鋭い目を向けた。
「なんなんだ一体!」
「ダメだ! まだタンマ! 早合点するんじゃない!」
章都が足払いをしてきたので、祠堂はかわす。
「早合点ってなんだ! っていうか賭けについて知ってんのか!? だったら止める必要ねぇだろ勝ったんだから!」
「止める必要は大いにあるね! 現実をよぉぉぉく見てみろ! どうせ『今』言ったところで進展なんて期待できねーじゃん! あと素っ裸で何をしても雰囲気ぶち壊しだ!」
「た、確かに……っ」
祠堂が怯んだ瞬間、章都が足払いを決めた。祠堂は背中から地面に倒れてしまい、砂や泥が傷口に当たり、痛みで「ぐっ」と呻いた。
章都は見下ろしながらにやりと笑う。
「つまりはアンタの行動を止めてやるのがワタシの優しさってことだ。タイミングを考えろよガキンチョ」
悔しいことに祠堂は何も言えなかった。
「ってことで、いまはやめとけ」
そう告げると、章都は祠堂の手を引っ張って無理やり立ち上がらせた。
二人の攻防を静観していた息吹戸は、腕を組んだまま静かな声で質問する。
「『俺と』って何? 次の討伐は合同になるとか?」
祠堂は息吹戸の表情を見る。こちらを見ている目は感情すら浮かんでいないと分かってガックリと肩を落とした。
乱暴に髪を掻きながら、「お前の言う通りだ。止めてくれて助かった」と小声で章都に呼びかける。
章都が満足そうに「そうだろう」と頷いてから、息吹戸の所へ歩いた。
祠堂は脱力しそうになるものの、気を取り直して姿勢を正した。
「なんでもない。またな」
挨拶だけ済ませると、駆け足で班目たちの所へ向かった。
息吹戸は去っていく祠堂の背中を眺めながら、解せぬと声を漏らす。
「ドン引きするほど疑い深い。こっちが負けですって言ってんだから素直に頷くだけでいいのに」
「アンタ相手だとそうなるぞ」
章都が当然と言わんばかりに頷いたので、息吹戸はスッと目を細めて苛立ちをアピールする。
「怒るなよ。いつもだとそうなんだから。むしろ今回は驚きすぎて心臓が止まりそうだ」
そう言い訳してから、章都は悪い顔になった。
「それにしても、息吹戸が『賭けに負けた』ことを認めたか。勝木さんと彫石さんに教えてやらないとなー。きっとびっくりするぞー!」
息吹戸が不思議そうに章都を見つめる。
「そんなにビックリすることですか?」
「当然だろ、だって………………いや、やめておこう。こーいうのは本人が言わないとな」
章都は珍しく気を使って言葉を濁す。
息吹戸が不可解そうに眉をしかめると、章都が笑いを耐えながら「まぁ、そのうちわかるさ」と声を弾ませた。
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次回は4/30更新です
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