第249話 出遭ってしまった
二百ページほどの小説本で、『同僚以上恋人未満のいじらしい二人です。試し読みOK』とお値段がプラカードに書かれていた。イラストに惹かれて即座に手に取りパラパラめくる。
熱血おかん系男子と冷徹鬼畜系男子の擦れ違いつつも愛をはぐくむ物語で、一話ごとに完結している連作短編だ。
(オフィスラブだけど、これは六巻って書いてある。就職一年目の話が書かれてるっぽい。もしかして学生時代から続いているのかな?)
最新刊の横に一巻から五巻が置いてあった。高校生キャラが二人並んでいたが、明らかに試し読みしている主人公たちの成長した姿だ。
(イラストかなり好み。それにちょっとだけ読んでみたけどもキャラに親近感がわく。なんかこう身近にいるような感覚が……。でも面白い。普段の距離感は遠い気がするけど、でも明らかに心の距離は近い)
これは一巻から読んでみたいと強く思った。
(描写やセリフが妙に胸に突き刺さる。このじれったいような、背中を押してやりたいような、そっちじゃないとツッコミしたいような。主人公愛され受けっぽい。しかも六巻で自分の気持ちに正直になってる。攻めはまだ無自覚だけど独占欲が強いぞふむふむ。主人公の彼氏の座を狙うキャラもいる。ふむふむ)
息吹戸は一話二十ページのお試しを読み終わって、もう一度最初から読んだ。
読み終わって、また最初から読んだ。
本を閉じる。
(これはじっくり読みたい。R18タグついてないから買ってしまおうか。きっとこのくらいなら許してくれる。無言でゴミ箱に捨ててくれる。激しいR18じゃないし、このくらいなら!)
息吹戸は葛藤するが手から本が離れないのが答えである。気持ちは買う方に傾いているようだ。
(くっ、ここで買わなかったら二度と出会えない。商業本じゃないから、今、買わないと後悔する)
お試し読みを握ったまま渋い顔をする。
売り子の女性が本を読むのをやめてちらりと視線を上げた。息吹戸に買う意思があると判断して読書を中断し、逃がさないように、驚かさないように、ゆっくりと優しく声をかける。
「もし迷っていらっしゃるなら」
息吹戸が女性の顔を見る。
艶やかなモカベージュ色の長い髪、目鼻立ちのきりっとした顔で、いくらか切れ上がったモカベージュ色の瞳をしている。
背中のカッティングが大胆な灰色のシャツを着ており、ゆったりした襟首から豊満なバストの谷間がちらりと見えた。
(綺麗なお姉さんだなー。この人が書いたのかな?)
「この作品はどの巻から読んでも楽しめるように書いています。もちろん一巻から読んでいただけるともっと楽しめるでしょう。こちらは同じシリーズ作品ですがテーマに沿って読み切りで書いたものです。一冊で完結していますのでおすすめですよ」
「あ、じゃぁ今出てるシリーズ一冊ずつ買います!」
息吹戸がにっこりと笑って返事をすると、女性がぱちくり、と目を見開いた。
「いまあるシリーズでしたら九冊になりますが……」
「買います!」
「有難うございます! 今すぐお包みします」
女性はぱっと笑顔になって椅子から立ち上がると、紙袋を取り出して一冊ずつ丁寧に入れていく。
その間に金額を聞いておつりなしでスタンバイする息吹戸。
「こちら、ポストカード五枚、おまけでいれておきますね! あとお試し読みでつくった冊子も入れますね!」
女性は色々おまけもつけてくれた。息吹戸は「有難うございます」と丁寧に礼を言ってから、「それで」と聞き返す。
「このお話は貴女が作ったんですか?」
「はい、その通りです。あ、お会計はこちらの中に」
息吹戸がトレーの中に料金を入れると、女性は紙袋を渡そうとした。その仕草と表情をみて、
「あれ?」
息吹戸は見覚えを感じて、眉間にしわを寄せながらジッと凝視する。
身長と体形、顔のパーツと目の色、髪の色。今まで出会った人たちの中で一番近い人間は……。
息吹戸が「あ」と声を出した。
抜け感メイクをしているので気づかなかったが、売り子の女性は雨下野である。
「もしかして、雨下野ちゃん?」
売り子の女性こと雨下野は、本名を呼ばれた事にビックリして大きく目を見開いた。
一体誰だと、穴が開くほど息吹戸の顔を凝視する。
さらに数秒、瞬きを繰り返して、雨下野は相手の正体に気づいた。零れ落ちるほど目を開き「あ」と意外そうな声を漏らす。
この場所にそぐわない、というか、来ることがないリスト上位の人物。
目の前の女性が息吹戸だと気づいた雨下野の顔から、血の気が引いた。
「お疲れ様。雨下野ちゃん同人やってるんだねー」
息吹戸の純粋な笑顔をみて、雨下野は恥ずかしさと失態から顔面が真っ赤に染まった。
「い、ぶっっ!」
悲鳴のような声をあげそうになり雨下野は慌てて口を押えた。
「う、うかの? いえ誰でしょうか!? 人違いでは!? 私はネオンといいますけど!」
素性がバレてはいけないと低めの声を出して誤魔化そうとするので、息吹戸は本のあとがきにある作者名を確認した。
「ネオンなら作者さんだね。雨下野ちゃんがこの話書いたんだ」
「雨下野ではないですわ! そもそもワタクシ、貴女に会ったのは初めてですわ! 知り合いとお間違えになられましてですことよ!?」
口調を変えて誤魔化そうとする。
「知り合いに否定したくなる気持ちはわかるよ雨下野ちゃん」
「違いますわ! その方とは別人ですのよ。ほら世界に似た人間が三人いるとおっしゃるじゃないですか。ワタクシに似ている女性がほかにいるということですわよ」
凄く苦しい言い訳だが雨下野は悪あがきをやめなかった。うっすら目尻に涙を浮かべて、ツンツンした態度で「人違い」だと懸命に説明する。
両隣のスペースに座っている女性達がそれを眺める。同情が籠った視線を感じて、雨下野の頬が更に赤く染まった。
息吹戸は苦笑しながら小さく首を振る。
「いやいや。誤魔化してもダメ。雨下野ちゃんでしょ。私はちゃんと顔を覚えてるんだからね」
「うううううう売り子ですわ! ここの売り子ですのよ! ワタクシが書くわけありませんでしょう!?」
雨下野は両手を激しく振って、作品を手掛けた事を否定した。
息吹戸はジト目になって、ムッとしたように唇を尖らす。
「雨下野ちゃん往生際が悪い」
「あああああああ」
雨下野は降参とばかりに背中を丸めてお辞儀をした。絶望に満ちた顔を両手で隠しながら、あまりのショックにしばらく固まる。
両方のスぺ―スに座っている女性達が何とも言えない表情を浮かべると、雨下野を労うような視線を向ける。
そこには白日の下にさらされて気の毒に、という気持ちが込められていた。
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