第224話 中止にしない方針
「私の責任ではないんですけど」
納得できないものの、津賀留が泣いているのは事実であり、息吹戸の誤解が原因なのは明白であった。釈然としないが、この場を納めることを優先させる。
息吹戸はゆっくりとしゃがみ込むと、津賀留の背中をポンポンと叩いた。
「付き合ってないって認識に直せばいいんでしょ?」
「そうですぅ!」
津賀留が顔を上げた。号泣していてぼろぼろの顔になっている。
「そんなにショックだった?」
不思議そうに問いかけると、大きく頷かれた。
「息吹戸さんだって、好みじゃない人と勝手に恋人にされてしまうと怒りますよねぇ……好きな人に誤解されたりとか、嫌じゃないですか」
「まぁ……そうだね。好きな人いないからなんとも言えないけども。嫌いな人と勝手にカップリングにされたら怒るだろうなぁ」
津賀留が「え?」と小さく声を出して、腫れた瞼をモノともせず大きく目を見開く。
「いま……好意を寄せる男性はいらっしゃないのですか?」
女の子はこの手の話題が好きだなと呆れながら、「そうだけど」と頷く息吹戸。
「恋人いませんか?」
「いない。好きな人いないのに恋人いると思う?」
スッパリ言い切った息吹戸。
津賀留はみるみる明るい表情になった。微笑むのを我慢して唇が波打つ。喜びを隠すように両手を合わせながら口元を隠すが。
「そうなんですか。そうなんですね。えへへへへ」
口調から喜びが駄々漏れだ。
ご機嫌になっている津賀留を不思議そうに眺めてから、息吹戸は自身の髪を触って気を紛らわせる。
「えーと。何を言いたかったんだっけ」
いろいろ話題が交錯してしまい、最後にどう締めくくろうかと考えた。
「私はその日お休みだから何かあったら連絡して。すぐに駆け付けるから」
津賀留がパァっと顔を綻ばせた。一番の特別はきっと私だ、と妙な自信が沸き上がると、耳を隠す横髪をかき上げてはにかんだ。
「えへへ。有難うございます息吹戸さん。でも私たちがしっかり対応しますから大丈夫です! お休み満喫してください!」
「頑張って」
息吹戸は抑揚もない声色で応援した。
予想外のことに驚いた津賀留は目を見開き、頬を赤くしながら下を向いた。
「気掛けていただき有難うございます」
「まぁ。気にはするよ」
さらりと言い捨てながら、息吹戸は立ち上がった。彫石がこちらを眺めている。
丁度いいと、息吹戸は彼からも今回のライブ脅迫状について見解を求めてみた。
「彫石さん。辜忌の脅威は天路民にとって周知の事実ですよね? 脅迫文が届いているのにライブは中止しないのは……結構多いんですか? 辜忌の脅迫」
彫石は時計に視線を向けると、あからさまに困ったような表情を浮かべたが、しっかりと質問に答える。
「結論から言えば『多い』の一言です。しかし偽物が大多数を占めており、普通に公演できることが殆どです。なので今回も偽物だと主催者側が決めつけているため変更しなかった、のでしょう」
息吹戸は顎に指を置き「ふぅん」と納得したような頷きを返す。
「起こっていないことを懸念する必要はないっていうことか。まぁ、これだけ大規模だと直前で中止したらいろいろな影響がでる。特に金銭面に打撃。中止したくないだろうなぁ」
「私たちのような組織は『起こってから行動』が基本です。対策として行う防衛は『過剰』だとされて非難を受けます」
そこまで喋った彫石は立ち上がった津賀留に目で合図を送った。優先することがあるので解説を任せるとバトンタッチする。津賀留は深くお辞儀をして
「騒いでしまい申し訳ございません」
と謝罪してから、バトンを受け取った。
「息吹戸さん、先ほどの話ですが」
津賀留の精神状態が正常に戻ったと分かり、息吹戸が彼女に向き直る。彫石はパソコン業務に戻った。
「偽物や悪戯が多いので、企業側は殺人予告や脅迫状などが届いても危険視していません。ただ、屍処の名を出すのは辜忌の中間ですから、小規模で何かしてくるとは多いです。ちょっとモノを壊したりとか、ちょっと従僕を放ってみたりとか。でもアメミットが警備に当たれば殆ど被害もないので、イベントは続行されます」
「そっか。自然災害が起こらない限り中止にならないのね」
「しぜんさいがい?」
津賀留がきょとんとしながら聞き返す。言葉の意味が理解できていないと言わんばかりに瞬きを繰り返した。息吹戸は「ん?」と首を傾げる。
「地震とか、台風とか、津波とか……自然の猛威によるもの」
「それって……侵略時の影響の一つ、『空間汚染』のことでしょうか?」
少し困惑したように聞き返す津賀留にたいして、息吹戸はスンっとした表情になる。
「……普通に台風こないの?」
「失礼ですが『たいふう』とはなんでしょうか?」
そこから。と息吹戸はため息をついた時、不意に岡の言葉が蘇る。
(たしか世界を管理する半神がいたって聞いたような。この世界は地球みたいに惑星ではなく、水槽や動物園みたいな完全管理された世界なのかもしれない)
菩総日神が創る天路世界は緻密に管理されているので、台風や地震、津波などの自然災害は発生しない。
数百年単位で行われる地殻変動、大陸移動、山脈の形や湖、海の深さなど、内部の地形を変える際は、予め全国民に通達がされ、時期までに安全な場所へ移動するように指示が出る。
それは今の息吹戸達が生きているタイミングで行われることはないため、天路民は誰も環境変化を知らないし、今後も知ることはないだろう。
(天路国をもっと把握しとかないと。一般教養の教科書がほしいな。でも今は津賀留ちゃんに聞くか)
困惑しながら見上げている津賀留と視線を合わせた。
「空間汚染の状態ってなに?」
当たり前のことを聞かれて、津賀留は瞬きを数回繰り返したが。
「多くは、侵略者によって天候が荒れた状態を示します」
と、すぐに返事をする。
天路国たみ《あまじのくにのたみ》にとって一番の災害は異世界からの侵略であり、『異世界の大気が天路国世界を汚染している状態を環境破壊』と呼んでいる。
世界が汚染された際の弊害として、地震や竜巻などが発生することを『空間汚染』とひとくくりに称されていた。
息吹戸は「なるほど」と小さく呟いた。
「わかった。話がそれちゃったけど、侵略が日常茶飯事だから脅迫文程度であれば問題なしってことね」
「あ。え。ええ。その、通りです」
話がちょこちょこ切り替わるので津賀留がついていけず、どもる。
「あ、あの……それで結局、たいふうっていうのは?」
「ああ。忘れて。特に意味はないから」
さらっと話題を流す息吹戸。
「……分かりました」
聞き覚えのない言葉を聞くたびに、不安が津賀留にのしかかる。
おそらく、単なる記憶喪失ではなく重篤な何かが起こっていると感じているがそれを言葉にするのが恐怖であった。
昔に戻ってほしいが、今も好きである。
答えが出ない複雑な感情が常に渦巻いていた。
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