第208話 端鯨が合流した
ラミアの眼球を奪いながら進む途中でリアンウォッチが振動した。メールが届いたようだ。周囲に敵の気配がないので内容を確認する。
端鯨からだ。ラミア討伐に加わるように玉谷から指示を受けたので合流したいと、上司に送るがごとく丁寧な文章で書いてあった。
(大分年上のはずなのにこの謙りな感じは一体……)
一課のどの職員よりも畏怖の念を強く感じる。過去に何かあったと想像に難くない。
ちょっとだけ遠い目をした息吹戸だが、GPSで位置を送る.すぐに到着できると返事がきたので待つことにした。
五分ほど経過した頃だろうか。
上空から鳥が近づいているのが見えたが、通常の鳥とは違う気配を感じて息吹戸はジッと凝視する。
「あれは?」
比較がないので分かりにくいが、普通の鳥と大きさが違うことに気づく。日本でよく見るカワラバト(ドバト)だが、頭から尾まで三メートル、翼を広げた大きさは四メートル越えだ。
「ほわー。でっかい鳩だなぁ」
息吹戸が立っているその少し手前で、巨大な鳩が翼を羽ばたかせて地面に着地すると、砂や木の葉が軽く吹き飛ばされた。息吹戸の服とローポニーテールが軽くはためく。
クルックー、クルックーと鳴きながら、首を前に出したり、引っ込めたり、横をみたりしている。
どこからどう見ても馴染みの鳩だが、見上げるくらい大きいと逆光も相まって不気味さがでてくる。
(ホラーゲームの隠しエンドとか、ギャグ死亡エンドに登場しそう)
鳩と全く視線が合わないな、と考えていると、端鯨が鳩の背から降りて地面に着地した。彼は白基調として朱色の模様があるミリタリージャケットを羽織り、黒いスラックス、泥で汚れた黒いローカットスニーカー(安全靴)を履いている。
手をかざすと鳩が一枚の紙札に戻る。式神だったようだ。
ひらひら。と空気を泳ぐ紙札が端鯨の手のひらに収まると、彼は胸ポケットに札を入れながら、卑屈な笑みを浮かべて息吹戸に会釈をした。
「遅くなって申し訳ないです。本部に戻ったらこちらの加勢をするように部長から仰せつかって。不本意でしょうが、よろしくお願いします」
やっぱり卑屈な態度だ。と思いながら、気にしないことにした。ラミア討伐が最優先である。
「よろしくお願いします。ラミアがあっちから流れてきてるから、倒しながら進んでるとこです」
息吹戸が左を指し示すと、端鯨はびくっと肩を震わせながらピシっと背筋を伸ばす。
「わかりました! ご指示をお願いします! できる限り希望に添えるよう心得ております!」
「いや。そんな畏まらなくても……私は鬼教官じゃないから」
息吹戸が苦笑いすると、端鯨の顔色が蒼く変わった。即座に腰を90度曲げて頭を下げる。
「申し訳ありません!」
息吹戸はため息をついて「……とりあえず行こうか」と促すと、端鯨がすぐに体を起こした。
「はい! では道しるべを出します!」
すぐに胸ポケットから紙札の形をした護符を取りだす。
「暗中な故、導を求める、神使八咫烏」
護符が自動で折り畳み、スルリと煙のように黒い靄が浮き上がり三本足の黒い鴉が現れた。
カァー。と一声鳴くと、端鯨の肩へ降り立った。
「ラミアが出現している魔法陣まで案内してくれ」
呼びかけに応じるように、カァー、と鳴くと、ふわっと飛び立った。
上空を数回ほど旋回すると、八時の方向へ飛んで行く。端鯨はその方向を指で示しながら息吹戸に振り返った。
「あちらにあるようです」
息吹戸は八咫烏を目で追いながら、親指をグッと上げる。
「凄い便利だね」
褒めると端鯨が驚いたように目を見開いた。
息吹戸はジト目になって、面倒くさそうに眼鏡の位置を直してから、声をかけずに八咫烏を追った。
端鯨はハッとして急いで彼女の後を追う。
しばらく走ると上空で八咫烏が旋回していた。その真下に魔法陣があるようだ。
木々を抜けると広場に出る。アスレチックの残骸が散らばっており、周囲にラミア十五匹と……。
『シャアアア。シュルルルル』
シュルシュル、とアスレチック残骸の上に大蛇が這ってあがった。
美しい女性の上半身をもち下半身は蛇である。肌の色はくすんだ青色、目は金色、黒い長髪。服を着ておらず裸体のままで、大きな乳がたゆんと揺れる。両腕に金色のバンクル(腕輪)をつけている。ここからでは見えにくいが、複雑な模様が描かれているようだ。
息吹戸は腕組みをしながら、蛇神の肉体を舐めるように見つめる。
「装飾少ないし髪ほどいてるけど、あれはナーガだ! すごく美人だねぇ!」
ナーガとは上半身を人で下半身を蛇の姿をもち、インド神話に起源を持つ蛇の精霊あるいは蛇神である。蛇はコブラであり、半人半蛇の姿は男女どちらもある。
インド文化圏では純粋にコブラとして書かれており頭が七つある姿が多い。
釈迦が悟りを開くと時に守護したとされ、仏教において天竜八部衆の一人であり、守護神となっている。
天気を制御する力を持ち、怒ると干ばつに、宥められると雨を降らすとされる。
ちなみに、コブラの存在しない中国においては「竜」とされ、日本でもその形が伝わっている。
ゲームでキャラクター名やモンスターでよく見かけるので、案外なじみ深い。
端鯨はナーガとラミアを観察するが、イマイチ見分けがつかずに首をひねる。数秒間を開けて、息吹戸に問いかけながらラミア達を指し示す。
「あっちがナーガで、あっちがラミアですか……。色違いってだけで見分けがつかないんですけど」
息吹戸は「え?」と驚くようにあげて、少し怒ったように眉をあげる。
「いやいや完全に別物だってば! 国が違うというか、神話が違うし成り立ちも違うんだよ! ラミアはギリシャ神話で怪物に変えられた女性なので怪物。ナーガはインド神話の蛇神だよ! ラミアはともかくナーガに失礼なこと言っちゃだめ!」
端鯨はぎょっとしてすぐに腰を曲げてぺこぺこ謝る。
「す、すいません。勉強不足でした。戻ったらレポート書いて提出します!」
「私は先生じゃないからいらない!」
息吹戸はすかさず拒否った。
端鯨は「え」と声を上げる。彼は少しだけ物を覚えるのに時間がかかる。息吹戸と組むときに認識が違っていたら『即座にレポートを書いて提出しろ』と指示が出ていた。忘れるとボコボコにされた。恐怖に慄きながら書物を読み返しレポートにまとめることを何百回も繰り返すことによって、端鯨は覚えたことを忘れることがなくなった。
今までの習慣が途切れ、端鯨は酷く動揺する。見捨てられたような、そんな気持ちが膨れ上がり、「ですが……」と声を震わせた。
それを知らない息吹戸は、どんな関係だよ。とツッコミしたいのを耐えて、ゆっくりと息をついた。
「覚えたらいいじゃない。後から、じゃなくて、今。ナーガの方が格上だってことを覚えればいいの。簡単でしょ」
筆記から暗記に変わったのかと解釈した端鯨は、「はい……」と弱弱しい返事をする。
息吹戸は「よろしい」と小さく頷いてから、ナーガをじっと見つめた。美人の表情は憂いが強い。こちらを見つめる目は少しばかり警戒の色が浮かぶ。あちらも敵の数が増えたと思っているようだ。
ふと、戦わずして和解する方法があると感じた。
「ナーガなら、話し合いでなんとかなるかも」
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