第203話 園児たちが巻き込まれたようです
〇ラミア討伐依頼〇
歩くスピードが速い息吹戸がオフィスに到着したのは、連絡を受けてから三分後だった。
「到着しましたー!」
二人の視線が息吹戸に集中する。部長デスクに玉谷が座り、デスクを挟んで礒報が立っていた。息吹戸はカツカツと靴音を立てながら部長デスクの前に立つと、礒報は息吹戸のほうに正面を向けた。彼女はジャケットに膝下の黒いタイトスカート、黒いストッキングを履いている。
「呼び出してすまないが、緊急案件が発生したので対処してもらう」
玉谷がそう前置きをするので、息吹戸は催促した。
「簡潔に要件を教えてください」
「ラミア討伐だ」
「ラミア。……あ、もしかして子供が襲われたり、行方不明になりましたか?」
ラミアはギリシャ神話のモンスターで女性と蛇が合わさった姿である。ラミアは美しい女性でゼウスの愛人だった。そしてゼウスとの間に子をもうけたがゼウスの妻、女神ヘラの嫉妬を買ってしまい子供たちを殺されてしまう。
それ以来、子を奪われた悲しみと怒りから、人間の子供を盗み食い殺すモンスターにったという。
また女神ヘラに眠りも奪われてしまい、不憫に思ったゼウスがラミアの目を取り外しできるようにしたとされる。
そのほかに夢を操る夢魔のラミア。青年を誘惑して食べる魅惑のラミアがいる。後者はヴァンパイアと比喩されることもあった。
ラミアは古くから子供が恐怖する名として躾の場で用いられた知名度の高いモンスターである。
玉谷はすぐに頷いた。
「幼稚園付近に出現したようで園児二十名が行方不明だ。礒報と一緒に現場に向かってくれ。移動中に彼女から詳しい話を聞くように」
玉谷の言葉が終わるとすぐに
「では参りましょう」
姿勢をピンと伸ばした礒報が促して、先導するようにオフィスをでた。
息吹戸はついて行こうとしたが、ピタッと足を止めて玉谷に振り返る。ポケットに入れてた鍵をデスクの上に置くと、玉谷が不思議そうに鍵を見た。
これは何だと視線が飛んできたので、息吹戸はにやりと笑ってから
「私の家の鍵です」
と、さらっと言い捨ててから、玉谷の顔色が変わらないうちにオフィスから走り去っていった。
「こっ!」
玉谷が反応した時にはすでに息吹戸はオフィスから消えていた。
唖然としながら椅子に深く座り、鍵を凝視する。
断ったのでそれで終了したと思っていた。まさか言い出したその日の内に合鍵を持ってくるなど、予想すらしていなかった。
合鍵をこのまま放置するのは危険である。かといって、息吹戸のデスク上に置きっぱなしにするわけにもいかない。
「儂にどうしろと……」
返せるタイミングまで持っておくかと、玉谷は合鍵をつまみ、仕方なく財布に入れた。
「礒報さん。あっちに寄りたいんですけど」
礒報のやや後方を歩きながら息吹戸は武器庫を示した。
彼女は首を左右に振るだけで立ち止まらなかった。
「取りに行く必要はありません。すでにこちらであなたの通常使う装備を整えています。現場まで少し距離があるので車で移動します。車内で装備を整えてください」
早口の説明だ。いつもはもう少しゆっくりなので、事態は急を要するのだろう。
でもこれだけは確認したいと、息吹戸は聞いた。
「鉈ある?」
「あります」
それならばいいと息吹戸は黙った。
今まで鉈以外のアイテムを使ったことがない。敵に対して斬るか殴るかしかしておらず、完全にパワーにステータス全振り状態だ。
「貴女の使う道具は記憶していますから」
礒報は後援支援として一課と二課の職員が使う武器を全部把握していた。勿論、息吹戸の戦闘スタイルとよく扱う武器防具は記憶済みだ。更に今回必要になるだろうと予想した護符も用意している。
「これに乗ってください」
駐車場に案内されるとくすんだ灰色のジープを示された。ボンネットと窓にでかでかとカミナシロゴが入っている。運転席と助手席のドアはあるが、後部座席をあけるドアがない。
息吹戸がどうしようかなと佇んでいると、礒報が運転席へ移動する。
「私が運転します。後部座席に移動してください」
「助手席ではなくて?」
「後部に荷物が置いてあります。運転中で揺れますが、現地に着く前に装備をお願いします」
「わかりました」
ドアを開けて運転席に乗り込む礒報に返事をしながら、車の後ろに回った息吹戸は観音開きのバックドアを開けた。そして面白くて微笑する。
「わぁ、この車、特別仕様だ」
後部座席は左右対面式に座れるように改造されているので、荷室といったほうがしっくりくる。ぎゅうぎゅうにすれば大人六人は対面式で座れそうだ。
中に入って息吹戸がバックドアを閉めると、すぐに礒報がロックボタンを押す。カチッと音がした。
「これってもしかして、人員輸送用の車?」
息吹戸はロングシートに座りながら質問すると、バックミラーを確認した礒報が「そうです」と頷いた。
「普段は調査などで第二課が使用してしますが今回は借りました」
エンジンがかかって発進した。息吹戸はまだシートベルトをしていなかったが、持ち前の筋力でバランスをうまくとり、よろけることもシートから落ちることもなかった。
「発進するって言ってくださいよ」
「緊急なので」
礒報はいきなりトップスピードに入った。レーシングカーさながらのスピードを出す。体感でかなりスピードが出ていると分かった息吹戸は「いいのかな」と呟く。
礒報は制限時速を大きく超えて信号無視走行をしている。急いでいるとはいえ、ハンドルミスすると第三者を巻き込んで事故を起こしそうだが、奇妙な安定感があった。
縦揺れも横揺れも少なく、右左折時に無駄にふくらまない、車の流れを邪魔していない。
礒報は高度な運転技術を兼ね備えていると分かる。
しかしサーキット場を走るレーシングカーに乗っているような気分になるのは否めない。いざ衝突が起これば大きな事故は免れないと、息吹戸は少し背中に冷や汗をかいた。
装備するように言われていたが、スピードが気になったので、座ったままそっとシートベルトを着けた。この程度の揺れやスピードは怖くはないし動けるのだが、なんだか車に乗っているということが怖かった。
「あのー。礒報さん。今更なんですが、結構スピード出しているし、信号無視してるけど、これって大丈夫なんですか?」
借りてきた猫のように大人しく席に座る息吹戸を、バックミラーで確認した礒報は苦笑を浮かべる。なんだか小動物のようで可愛いという感想を抱いた。
息吹戸の記憶が戻った時に痛い目に遭うかもしれないが、今は普通に接してもいいかもしれない。そんな気持ちがせめぎあう。
礒報は後から傷つく事を覚悟して後者を選んだ。
「配慮ができるようになったとは……貴女は本当に変わりました」
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