第202話 浮足から去る
リミット乙姫のライブはカミナシの一部でもかなり盛り上がっていた。休憩室にお邪魔すると、二課の人たちが推しについての談話しながらミ・アーズという動画サイトから歌を流していることもあった。
意識していなくても耳に入った情報が記憶されていたため、このアイドルグループの認識があったのだと合点がいく。
(宣伝効果すごい)
しみじみ感心しながら、宣伝を読み進める。
ポスターの下の方には、『乙女心アモールとときめきカモフラージュ、この二曲を担当したのはミ・アーズ・チューバーで活躍中のサカエ。リミット乙姫をイメージして作詞作曲しました』と記載されていた。
ミ・アーズ・チューバーは、ミ・アーズを使ってオリジナル動画を配信するクリエーターのことを示す。
(たしか『サカエ』って人は音楽クリエーターの人で、若者を中心にすごく人気の高いミ・アーズ・チューバーだったはず。バーチャルキャラクターを使っているけど、歌声は生声で女性の心を虜にするとかどうとか。あと、人気が高いけどテレビ出演は一切行わないので年齢不詳……って、章都さんが耳の横で言ってたなぁ)
息吹戸はなんともいえない表情を作る。
この知識は章都から得たものだ。彼女は熱狂的なサカエのファンなので、『リミット乙姫』に作詞作曲が提供されたと知り、このアイドルグループを調べ上げていた。
その結果を周囲に報告《配布》しており、沼に落として沈めようと虎視眈々と狙っている。少しでも興味がある職員がいると分かると、颯爽と現れて自前のアイテムを駆使して|同じ穴の狢に変貌させる《推し沼に落とす》。
(彼女の布教力は凄まじいからなぁ)
サカエファンの職員が一気にリミット乙姫沼へ引きずり込まれていくのを、目の当たりにしている。
ジャンルが違うので息吹戸が沼に落ちる事はないが、アイドルが好き、サカエの曲が好きとかであれば沼に引きずりこまれていただろう。
推す物が違っていて残念だ。と苦笑してポスターから離れると、別の学生たちがワッとやってきてポスターの前に集まった。
「えええ! 友達に食べた子がいるの?」
「そうなの! 試作品だったみたいだけど、お父さんがライブの関係者だったんだって」
「えええー。うらやまー。どんな味だったか聞いてる?」
「すっごく甘くって美味しくって、ちょっと不思議な味。えーと、すっごく甘いブドウと苺とレモンのイイトコ混ぜた甘さ、みたいな……?」
「へー! やっぱりフルーツの甘さなんだ」
「酸味が全然なくて、舌触りがいい甘さって感じだって。チケット交換用のほかにも、ライブ会場で買うこともできるって。数量限定だからすぐなくなるだろうけどって言ってたけど」
「ううう。気になるーー! 食べたいーー! 買い物だけでもしたいー!」
キャッキャと楽しくじゃれ合う学生たちの言葉を背中に受けながら、息吹戸はその場を後にした。
時刻は午後三時。多少の道筋は違えども、行くのと同じ時間を使って帰宅する。
「ただいまー」
玄関に入ってドサっと荷物を置くと、ブブブブとリアンウォッチが小さく振動した。連絡が入ったので確認すると『CALL玉谷』と表示されている。緊急案件の可能性が高い。息吹戸はすぐに『OK』を押す。
「お疲れ様でーす」
『急ぎの討伐案件がでたので至急本部に戻ってこい。ここまではどのくらいかかりそうだ?』
玉谷の声から推測すると、急ぎであるが時間に余裕がありそうだ。
「はーい。自宅なので十分以内に行きます」
買い物した中にナマモノはないので、そのまま玄関に置きっぱなしでもいいだろう。
『待っている』
息吹戸は通話を切って、カバンの中身をしてから出かけようとして、ふと、スペアキーの存在を思い出した。
靴を脱いで部屋に入ると、クローゼットを開けて中から小さな箱を取り出して、中から小さな青いリボンと部屋の番号がついている鍵を取り出す。これは予備の玄関の鍵だ。
ついでにこれを玉谷に渡してしまおうとポケットに入れてから、息吹戸は本部に直行した。
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