第196話 心労を増やしたけども
玉谷は書類から気怠そうに顔を上げて視線を向けた。目があうと、息吹戸がパッと表情を明るくして、挙手した。
「部長。旅行させてください! 絶対に後悔させませんし、なんならお土産山ほど買ってきまーす! だから各地それぞれ一週間ほど、行かせてくださーい! おねがーいしまーす!」
期待に満ちた目を向けてくる。気まずさは一切含まれない清々しい態度に、玉谷は呆れて閉口したが、息吹戸は空気を読まない。
「旅行で全国巡って還る手がかり探しに行きます。それと瑠璃の消息を追いますから、『私』をすぐに処分しないでくださいねー」
何もわかっていない。と、玉谷は眩暈が発生したようにぐらりと頭を仰け反った。
すぐに渋い表情になって手で制す。
「色々ツッコミたいんだが。還る手がかりとは?」
「秘密でーす。とりあえず磐倉さんを待つ間はどこにも行きません。そして『私』は貴方の害になることはありません! 安心してお過ごしください!」
トン、と自信をもって胸を叩く息吹戸。
彼女の真意が理解できない玉谷は強い不安を覚え、平静を装う仮面が外れて顔色が曇る。
「その発言が儂には有害だが……」
息吹戸は困った様に眉を下げて苦笑した。
「そうでしたね、ごめんなさい。近いうちに長期休暇とりたいってだけですから」
「そ、そうか……」
息吹戸はお茶目に笑うと、今度は真面目に業務にとりかかった。
玉谷も業務に戻るがすぐに作業の手が止まる。
思考がまとまらずに頭を軽く振った。はぁ、と重い溜息をつくと両手で顔を撫でる。もう一度ため息をついたところで電話が鳴った。
受話器を取ると会議室に来るようにと要請を受けた。第三者の声を聞いて現実に戻ったような気分がする。
「呼び出しがきたか」
少しの憂いをみせながら玉谷が呟くと、息吹戸は苦笑しながら「お忙しいですね」と、声をかけてきた。
「この議題は難航しておるから。答え出すのは難しい。今はこっちを優先したいのだが」
玉谷は草臥れた表情で資料に目を落とした。どれも本日中に終わらせなければならない案件ばかり。
今日も徹夜だと覚悟を決めた瞬間、息吹戸が挙手する。
「部長。書類なら私もお手伝いします」
申し出を聞いて、「ううむ……」と玉谷は呻く。
「微弱ですが、お手伝いますよ?」
「ううむ……」
玉谷は悩んだ。彼女は事務処理が苦手なはずだったが、最近は書類整理や記載がしっかり出来ている。彫石と比べても見劣りしないくらい上達していた。
「わかった、頼もう」
少し迷って、背に腹は代えられぬと玉谷は申し出を受け取った。
ぱぁっと息吹戸の表情が明るくなる。がんばります、と意気込むと、玉谷は微笑を浮かべた。
「おそらく、進行確認の有無だろうから三十分ほどで戻ってこれるはずだ。電話は直接リアンウォッチに流れるから取らなくていい。それで……」
玉谷はマウス操作をしてフォルダを息吹戸のパソコンへ送る。その後にデスクの上に詰まれていたリングファイルを確認した。ファイルは一度に170枚まとめることができるタイプだ。最大限まで紙が閉じてあり重量がある。
それを三冊重ねてから片手で持ちあげると、息吹戸の所までいき、立ち上がった彼女に手渡した。
「これと、これを作成しておいてくれ。データの作成図見本も送っている。二課の調査と開発課と研究課の分。ファイルには一課の情報と、アメミットの捜査機関の情報がある。まぁ。読むだけで時間がかかるだろうから、少しだけでも入力ができていれば御の字だ」
「これの要点をまとめて、入力ですか?」
息吹戸はファイルを開いてぱらっと眺める。小さな文字でびっしり書かれていた。手書きから印刷から写真の血文字やら色々ある。
(確かに膨大な量……これをパパはいつも一人で……凄い!)
感動して目をキラキラさせながら玉谷を見つめると、彼は不思議そうに首を傾げて、少しだけ不安そうに眉を下げた。
「……本当にやってみるのか?」
この量を任せようとすれば、大抵は嫌な顔をするか表情を強張らせる。そして『無理です』という返答が来るのだが。
「やってみます! 任せてください!」
息吹戸は書類を受け取ると、胸を張って自信満々に答える。
「ちょっとメールも確認しますね」
ファイルをデスクに置いてパソコンのメールをチェックする。情報が届いていたので開いた。
『1月から3月まで行われた降臨儀式に使われた魔法陣の種類と構成解析』
『頻発する地域の特性と生贄に選ばれる性質の特性』
なんだか小難しい内容だなと思ったが、何事も経験だとやる気をみなぎらせる。
「部長、メール届いています。あとは任せてください!」
「なら、任せてみる。行き詰ったらそのまま放置していい」
「わかりました!」
玉谷は苦笑しながら「頼む」というと、自分のデスクに戻り薄めの上着を羽織った。ポケットに貴重品を入れてオフィスのドアへ歩く。
「そうそう。まとめる箇所は付箋を張っている。そこにメモがあるからそれを眺めていてもいい。出来そうならやってくれればいい。これは勉強みたいなものだ。……では三十分で戻る」
「はーい。いってらっしゃいませ!」
玉谷は息吹戸の挨拶に手で応えてから、オフィスを出て速足で会議室へ向かった。
議題は『ゲンムトウビル召喚事件』について。
監視役と専務取締役達と代表、退院した小鳥も交えての禍神儀式の全容とその見解が行われることになる。
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